PEACE CULTURE...

16
インターネットでは、本財団ホームページ(上記URL)から、カラー写真掲載のウェブ版機関誌がご覧になれます。 被爆73周年平和記念式典… ………………………………………………… 長崎原爆犠牲者慰霊の会/青少年「平和と交流」支援事業… ……………… 平成30年度ひろしま子ども平和の集い/ピースナイター2018… …………… ピースマッチ、ピースアクティビティの開催支援/ 中・高校生ピースクラブ「ヒロシマ青少年平和の集い」……………………… 被爆体験記「あの日の思い出」(川崎宏明) ………………………………… 国際平和シンポジウム(長崎)/「国際平和デー」記念行事/国連軍縮フェローズの受入れ収蔵資料の紹介コーナー「お母さんに会いたい」/特別展「広島赤十字病院」/ 資料展「こうの史代『夕凪の街』」複製原画展」 …………………………… 「原爆の絵」が完成…………………………………………………………… こども平和キャンプ/英語で伝えようヒロシマセミナー/国内3都市で原爆展を開催海外からの来訪者が発信するメッセージ……………………………… 被爆体験伝承者等を全国に派遣しています/被爆体験記の執筆をお手伝いしています広島市外国人市民の生活相談コーナー/国際交流ラウンジ… ……………… 平成29年度下期および平成30年度上期国際交流・協力補助金交付事業報告会の開催/ JICAサロン「キルギスってどんな国?」/災害関連情報の多言語サイトを開設姉妹・友好都市の日記念イベント(ボルゴグラード)/新国際交流員のご紹介「ドイツ・ハノーバー市との青少年交流」(広島ハノーバー友好協会…会長…井内康輝) 簿簿簿調2018. 11 No.199 PEACE CULTURE 〒730-0811 広島市中区中島町1番2号 TEL(082)241-5246(代表) FAX(082)542-7941 E-mail:[email protected] 平成30年(2018年)11月/年3回発行 [URL]http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/ 公益財団法人 広島平和文化センター Hiroshima Peace Culture Foundation 姿平和宣言を行う松井市長

Transcript of PEACE CULTURE...

Page 1: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

インターネットでは、本財団ホームページ(上記URL)から、カラー写真掲載のウェブ版機関誌がご覧になれます。

目 次

被爆73周年平和記念式典… …………………………………………………長崎原爆犠牲者慰霊の会/青少年「平和と交流」支援事業…………………平成30年度ひろしま子ども平和の集い/ピースナイター2018… ……………ピースマッチ、ピースアクティビティの開催支援/中・高校生ピースクラブ「ヒロシマ青少年平和の集い」…………………………被爆体験記「あの日の思い出」(川崎宏明)……………………………………国際平和シンポジウム(長崎)/「国際平和デー」記念行事/国連軍縮フェローズの受入れ……収蔵資料の紹介コーナー「お母さんに会いたい」/特別展「広島赤十字病院」/資料展「こうの史代『夕凪の街』」複製原画展」… ……………………………

「原爆の絵」が完成………………………………………………………………こども平和キャンプ/英語で伝えようヒロシマセミナー/国内3都市で原爆展を開催……海外からの来訪者が発信するメッセージ………………………………被爆体験伝承者等を全国に派遣しています/被爆体験記の執筆をお手伝いしています……広島市外国人市民の生活相談コーナー/国際交流ラウンジ…………………平成29年度下期および平成30年度上期国際交流・協力補助金交付事業報告会の開催/JICAサロン「キルギスってどんな国?」/災害関連情報の多言語サイトを開設……姉妹・友好都市の日記念イベント(ボルゴグラード)/新国際交流員のご紹介……「ドイツ・ハノーバー市との青少年交流」(広島ハノーバー友好協会…会長…井内康輝)… …

❶❷❸

❹❺❻

❽❾

❿~⓫⓬⓭

⓮⓯⓰

 

被爆七十三年目の八月六日

(月)、広島市の平和記念公園で、

市主催の平和記念式典(広島市

原爆死没者慰霊式並びに平和祈

念式)が行われ、被爆者や遺族

など約五万人が参列して犠牲者

の冥福と恒久平和を祈りました。

 

式典は午前八時に始まり、最

初に松ま

井い

一かず

實み

広島市長と遺族

代表二人が、この一年間に亡

くなられたことが確認された

五千三百九十三人の氏名が記帳

された二冊の原爆死没者名簿

を、原爆死没者慰霊碑の

中の奉ほ

うあんばこ

安箱に奉納しまし

た。これで名簿登録者総

数は三十一万四千百十八

人、名簿総数は百十五冊

となりました。

 

続いて永な

田た

雅まさのり紀広島市

議会議長の式辞、各代表

による献花の後、原爆が

投下された八時十五分に、

遺族代表の上う

えたお峠賢け

太た

さん

と、こども代表の森も

りした下碧

あおい

さんが平和の鐘をつき、参

列者全員が一分間の黙も

くとう祷

を捧ささ

げました。

 

この後、松井市長が平和宣言

を行いました。宣言の中で市長

は、「あなたや大切な家族がそ

こにいたらと想像しながら聞い

て下さい」と呼び掛け、昭和

二十年(一九四五年)八月六日

午前八時十五分に広島の上空で

炸さくれつ裂

した原子爆弾による惨禍を、

被爆者から寄せられた体験談に

より描写しました。そして、当

時二十歳だった二人の被爆者の

訴えを紹介し、被爆者は、為政

者に対し、理性と洞察力を持っ

て核兵器廃絶に向かうよう求め

ており、その取組が各国の為政

者の理性に基づく行動によって

継続するようにしなければなら

ないと訴えました。

 

また、核抑止や核の傘という

考え方は、核兵器の破壊力を誇

示し、相手国に恐怖を与えるこ

とによって世界の秩序を維持し

ようとするものであり、長期に

わたる世界の安全を保障するに

は、極めて不安定で危険極まり

ないものだと述べ、為政者に、

NPT(核兵器不拡散条約)に

義務づけられた核軍縮を誠実に

履行し、さらに、核兵器禁止条

約を核兵器のない世界への一里

塚とするための取組を進めるよ

う求めました。

 

日本政府には、国際社会が核

兵器のない世界の実現に向けた

対話と協調を進めるよう、その

役割を果たすことや、平均年齢

が八十二歳を超えた被爆者をは

じめ、放射線の影響により心身

に苦しみを抱える多くの人々の

平和文化2018. 11 No.199

PEACE CULTURE

〒730-0811 広島市中区中島町1番2号TEL(082)241-5246(代表) FAX(082)542-7941 E-mail:[email protected]平成30年(2018年)11月/年3回発行 [URL]http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/

公益財団法人 広島平和文化センターHiroshima Peace Culture Foundation

被爆七十三周年平和記念式典

―世界にいまだ一万四千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が

炸裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています―

平和宣言を行う松井市長

Page 2: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

2

平和文化 第199号平成30年11月

苦悩に寄り添い、その支援策を

充実するとともに、「黒い雨降

雨地域」を拡大するよう強く求

めました。

 

平和宣言の後、こども代表の

新しんかい開美み

織おり

さんと米よ

ねひろ広優ゆ

陽ひ

君が、

被爆者の証言を聴き、被爆資料

の見学や慰霊碑巡りなどで学ん

だことから、強く平和を願いな

がら、「平和への思いを折り鶴

に込めて、世界の人々へ届けま

す。七十三年前の事実を、被爆

者の思いを、私たちが学んで心

に感じたことを、伝える伝承者

になります。」と「平和への誓い」

を読み上げました。

 

この後「あいさつ」の中で、

安あ

べ倍晋し

んぞう三

内閣総理大臣は、近年、

核軍縮の進め方について、各国

の考え方の違いが顕在化してい

ると指摘し、真に核兵器のない

世界を実現するためには、被爆

の悲惨な実相の正確な理解を出

発点として、核兵器国と非核兵

器国双方の協力を得ることが必

要であり、政府として、粘り強

く双方の橋渡しに努め、国際社

会の取組を主導していくと述べ

ました。そして、具体的な取組

として、NPT発行五十周年と

なる二〇二〇年の運用検討会議

が意義あるものとなるよう、積

極的に貢献していくことや、若

い世代が被爆者の方から伝えら

れた被爆体験を語り継いで行く

取組を推し進める考えを示しま

した。

 

今回の式典では、昨年に引き

続き、アントニオ・グテーレ

ス国連事務総長のメッセージ

を、中な

かみつ満

泉いずみ

国連事務次長兼軍

縮担当上級代表が日本語で代読

しました。事務総長は、過去何

十年にわたり核兵器のない世界

という共通の目標に向け機運が

高まってきたが、今、その進歩

は停滞していると指摘し、そう

した中、昨年、核兵器禁止条約

が採択されたことは、核兵器の

持つ脅威に恒久的に終止符を打

つことに強く、正当な国際的支

持が存在すること、そしてこの

目標の達成が遅々として進まな

いことへの不満が存在すること

を示したと述べました。そして、

世界の指導者は、対話と外交の

重要性を認識し、核兵器の完全

廃絶、そしてすべての人にとっ

てより安全で安定した世界の実

現に向け、再び共通の道を歩ま

ねばならないと訴えました。

 

式典には四十都道府県の遺族

代表の他、核兵器国のアメリカ、

イギリス、フランス、ロシアを

含む八十五か国と欧州連合(E

U)の大使や代表が参列しまし

た。

 

式典の様子はインターネット

でライブ中継されました。動画

は、ひろしまムービーチャンネ

ル(http://w

ww.city.hiroshim

a.lg.jp/m

ovie/

)の「原爆・平和」

から視聴できます。式典で読み

上げられた「平和宣言」、「平和

への誓い」の全文は、広島市

ホームページ(http://www.city.hiroshim

a.lg.jp/

)の「原爆・平和」

→「平和宣言・平和への誓い・

平和に関する要請等」から閲覧

できます。「平和宣言」は九言

語(アラビア語、中国語、英語、

フランス語、ドイツ語、ハング

ル、ポルトガル語、ロシア語、

スペイン語)の外国語版も閲覧

できます。

(総�

務�

課)

 

本財団では、長崎に原爆が投

下された八月九日に、同じ被爆

地である広島から長崎の原爆犠

牲者に哀あ

いとう悼

の意を表し、平和へ

の誓いを新たにするため、「長

崎原爆犠牲者慰霊の会」を開催

しています。

 

広島平和記念資料館東館地下

一階ホワイエで開催した今年の

慰霊の会には、被爆者や国内外

からの来館者など約九十人が参

加しました。

 

まず、小こ

溝みぞ

泰やす

義よし

本財団理事長

の挨拶で開会し、長崎原爆犠牲

者慰霊平和祈念式典のテレビ中

継を視聴しました。原爆炸さ

くれつ裂

刻の午前十一時二分には、全員

で一分間の黙とうを捧さ

げました。

 

続いて、広島県原爆被害者団

体協議会の佐さ

ま久間邦く

にひこ彦

理事長か

ら挨拶をいただき、最後に、長

崎の被爆者証言ビデオ(証言者・

髙たか

野の

澄すみ

子こ

さん)を視聴して閉会

しました。

(平和連帯推進課)

 

核兵器廃絶と世界恒久平和の

実現のための人材育成と、平和

首長会議の加盟都市間のネット

ワーク強化を目的とする、青少

年「平和と交流」支援事業を実

施しました。

 

この事業は、国内外の平和首

長会議加盟都市の青少年を対象

に、被爆者の体験や平和への思い

などを伝え、若者同士の交流を深

めるため、広島市等が実施する事

業への参加を支援するものです。

 

別表のとおり、今夏

「HIROSHIMA�and�PEACE

」、「ひ

ろしま子ども平和の集い」、「ヒ

ロシマ平和セミナー」の三事業

長崎原爆犠牲者

慰霊の会   

青少年「平和と

交流」支援事業

佐久間理事長の御挨拶

参加者による意見交換(HIROSHIMA and PEACE)

Page 3: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

3

平成30年11月平和文化 第199号

を対象に支援を行いました。

 

また、各プログラムにあわせ

て、平和首長会議の概要説明や

意見交換会等の平和首長会議の

独自プログラムを実施しました。

(平和連帯推進課)

 

八月六日(月)、広島市、広

島市教育委員会との共催により、

若い世代の平和意識の高揚と主

体的な取組の促進を図る「平成

三十年度ひろしま子ども平和の

集い」を広島国際会議場で開催

しました。

 

最初に、広島市市民局長が挨

拶を行い、広島県内外から参加

した十一団体の児童・生徒に、

平和への熱いメッセージを広島

の地から世界に向けて発信して

ほしいと呼び掛けました。

 

その後、児童・生徒は、平和

への思いをメッセージ発表や合

唱、群読や作文朗読など、様々

な表現方法で発表しました。

 

児童・生徒の多くは、当日の

朝、平和記念式典に参列してお

り、全ての発表において、平和

な世界の実現に向けた子どもた

ちの熱意と高い意識が感じられ

ました。

 

最後に、発表した全ての団体

に、広島市教育長がそれぞれ「ア

オギリ賞」、「キョウチクトウ

賞」、「折り鶴賞」として、表彰

状と記念の楯た

を贈呈しました。

 

会場は、開会から閉会まで多

くの来場者で賑に

わいました。

(平和連帯推進課)

 

八月七日(火)、本財団と生

協ひろしま等との共催により、

広島東洋カープの試合の場を活

用して、核兵器廃絶と世界恒久

平和の実現に向けたメッセージ

を発信する、「ピースナイター

二〇一八」をマツダスタジアム

で開催しました。

 

昨年に続き「継承」をテーマに、

①� 

大型ビジョンで松ま

井い

市長や

湯ゆ

﨑ざき

県知事等の平和を願う

メッセージを放映しました。

②� 

被爆四世でJ1サンフレッ

チェ広島の川か

辺べ

駿はやお

選手が始

球式を行いました。

③� 

広島東洋カープの監督、選

手等がユニフォームにピース

ワッペンを着けてプレーしま

した。

④� 

五回裏終了時に、入場者が、

配付されたピースポスターを

掲げて、球場全体が平和首長

会議のイメージカラーである

緑色に染まる中、原爆ドーム

と同じ高さの地上25メートル

に復興の象徴であるカープを

イメージした赤色の線「ピー

スライン25」を作り、平和へ

の願いをアピールしました。

「平成三十年度

ひろしま子ども

平和の集い」の開催

「ピースナイター

二〇一八」の開催

発表する神奈川県の茅ち

ヶが

崎さき

市平和大使

緑色と赤色のピースポスターを用いて原爆ドームと同じ高さに「ピースライン25」を作る観客

対象事業(広島市等の所管)

広島市等が実施する事業の概要

平和首長会議独自プログラム

を含めた全体日程

平和首長会議独自プログラム

を含めた実施場所

支援人数(実績)

参加者の派遣元加盟自治体

HIROSHIMA and PEACE(広島市立大学国際学部)

国内外の学生等が「ヒロシマと平和」を英語で学ぶ夏期集中講座

7/31 ~ 8/10(11 日間)

広島市立大学、平和記念資料館 等

9人(学生・社会人)

バメンダ1市(カメルーン)、バルセロナ市(スペイン)、グラノラーズ市(スペイン)、マンチェスター市(英国)、サントス市(ブラジル)、テヘラン市(イラン)、東京都三

み鷹たか

市、東京都台たいとう

東区、岐阜県高山市ひろしま子ども平和の集い

・ (公財)広島平和文化センター

・ 広 島 市( 市 民 局、教育委員会)

⎛⎜⎜⎜⎝

⎛⎜⎜⎜⎝

子どもたちによる平和メッセージの発信

8/5 ~ 8/7(3 日間)

国際会議場、平和記念資料館 等

15 人(小中学生・引率者)

神奈川県茅ち

ヶが

崎さき

ヒロシマ平和セミナー(広島市立大学広島平和研究所)

公務員や大学院生等を対象にした平和・国際関係に係る集中講義

8/24 ~ 8/26(3 日間)

広島市立大学サテライトキャンパス、平和記念資料館 等

4人(公務員)

北海道札幌市、山形県山形市、長野県松本市、岐阜県高山市

Page 4: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

4

平和文化 第199号平成30年11月

また、グラウンドでは、地元

高校生等による「ピースパ

フォーマンス」を行いました。

 

約三万人の方々に参加いただ

くとともに、「ピースライン25」

及び「ピースパフォーマンス」

は全編テレビ生中継が行われ、

多くの方が核兵器廃絶及び世界

恒久平和について考える日とな

りました。

(平和連帯推進課)

 

広島・長崎の平和記念(祈念)

式典から数日後の八月十一日

(土)、サッカーJ1のリーグ

戦、サンフレッチェ広島対Vヴ

ファーレン長崎の試合が、「ピー

スマッチ」として、平和首長会

議と本財団等の後援のもと、エ

ディオンスタジアム広島で開催

されました。キャッチコピーは、

「One�Ball.�One�World.�

スポーツ

ができる平和に感謝」です。試

合会場には、約二万人の観客の

方々に来場いただきました。�

 

当日は、会場内外でのピース

アクティビティとして、

①� 

平成三十年の広島・長崎の

平和宣言と、「原爆の子の像」

に寄せられた折り鶴再生紙を

使った折り紙を観客に配布し、

核兵器廃絶に向けた世論の醸

成を図りました。

②� 

試合開始前に、来場者全員

による黙も

くとう祷

、広島市長・長崎

市長によるキックインセレモ

ニーを行いました。

③� 

広島市立広ひ

瀬せ

小学校の校長

を講師に迎え、「被爆樹でつ

ながる、広島・長崎」と題し

た平和学習を行いました。長

崎の児童を含む小学生約八十

人とその保護者は、真剣に話

に耳を傾けていました。

④� 

広島・長崎の被爆の実相と

現在の核兵器の状況、そして

平和の大切さを伝えるため、

「ヒロシマ・ナガサキ原爆写

真ポスター」などのブースを

出展しました。

⑤� 

来場者が平和への感謝・思

いをメッセージボードに記入

しました。このメッセージ

ボードを八月十七日(金)~

三十一日(金)まで広島市役

所市民ロビーに展示し、ピー

スマッチで発信された「平和

への思い」を共有しました。

 

サンフレッチェ広島、V・

ファーレン長崎、サポーター、

協力団体が連携し、多くの方に

平和への思いを届けることがで

きました。

(平和連帯推進課)

 

本財団は、平成十四年度から、

被爆の実相を学び、平和に対す

る見識を高めるとともに自ら平

和の推進に取り組む人材を育成

することを目的として、中・高

校生ピースクラブを運営してい

ます。

 

平成三十年度は中学一年生か

ら高校三年生まで四十人が参加

し、平和記念資料館の見学や平

和記念公園内の慰霊碑などの学

習、被爆体験証言者の方からお

話を聴くなどして、戦争の恐ろ

しさや平和の大切さを学んでい

ます。

 

八月五日(日)には、被爆の

実相や平和の尊さを発信する

「ヒロシマ青少年平和の集い」

を実施し、平和記念式典等に参

加するために全国から派遣され

た十六団体・百六十四人の青少

年が参加しました。

 

当日は、中・高校生ピースク

ラブ代表者四人が原爆被害の概

要を説明した後、証言者の瀬せ

越ごし

睦むつひこ彦

さんが自身の被爆体験につ

いて講話を行いました。

 

その後、「平和をどのように

伝えるか」をテーマに六人一グ

ループでディスカッションをし

ました。

 

参加者からは、「被爆体験講

話を聴き、平和の大切さ、戦

争の恐ろしさがわかりました」、

「様々な地域から来た同世代の

子供達と話すことで、平和に近

づくには一人ひとりの意識が大

切だと思いました」といった声

が寄せられました。

(平和記念資料館 

啓発課)

ピースマッチ、

ピースアクティビ

ティの開催支援

中・高校生ピースクラブ

「ヒロシマ青少年

平和の集い」の実施

試合開始前の平和祈念セレモニーに臨む広島・長崎市長、広島・長崎の被爆者

中・高校生ピースクラブによる原爆被害の概要説明

平和についてディスカッションする参加者

Page 5: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

5

平成30年11月平和文化 第199号

プロローグ

 

昭和二十年(一九四五年)五

月、小学校一年生の私は、祖母

に連れられて山やまがた県郡ぐん

に縁えん

故こ

疎そ

開かい

しました。その直後、四歳だっ

た妹も三み

原はら

の母方の実家に一人

で預けられたそうですが、余り

にも寂しがるために、わずか半

月足らずで再び両親の元に戻さ

れたそうです。

 

私も、やはり同じような寂し

い毎日を送っていました。それ

を察したのか、祖母が時々広島

に連れて帰ってくれました。そ

して二、三日家族と過ごし、元

気を取り戻すと再び疎開先に戻

るということを何度か繰り返し

ました。最後の広島帰りは原爆

が落ちる一、二日前でした。

〝ピカッ〟ものすごい光が私を

包みました

 

八月六日の朝、教師だった父

はいつもの様に自転車に乗って

学校に出かけました。原爆が落

ちる少し前、父を除く六人の家

族は涼しい居間に集まり、一歳

の弟をあやしていました。

 

やがて母が弟をトイレに連れ

て行きました。退屈した私は外

に出てみようと思い、一人で玄

関に行き、靴を履き終えた瞬間

でした。

 〝ピカッ〟ものすごい光が私

の周りを包みました。

 

驚いた私は靴を履いたまま先

ほどまでいた居間に走りこ

みました。居間に逃げ込む

のと建物が倒れるのは、ほ

とんど同時でした。柱が倒

れ、天井は小学生の私で

も手の届くところまで落

ち、舞い上がった埃ほこりで辺り

は一瞬で真っ暗になりまし

た。母が弟を抱き、手さぐ

りで居間に戻ってきました。

私たちは皆、家に直ちょく

撃げき

弾だん

落ちたと思いました。しか

し、いくら待っても助けの

来る様子がありません。そこで、

母が玄関に行き皆の履はき

物もの

と非常

鞄かばんを抱え戻って来て、私たちは

道路に面した窓から外に出まし

た。周りの家は同じように倒れ

ており、埃で薄暗くなった道路

には、多くの人がすでに外に出

ていました。しゃがみこんで子

供の傷を調べている人、家に向

かって何か叫んでいる人、子供

は皆、泣いています。

逃避行

 

大人たちが相談して、とりあ

えず西の方に避難することにな

りました。途中、両側の家は全

部倒れ、瓦やガラス、木切れの

飛び散った道路を、ケガや火傷

を負った大勢の人に交じって避

難しました。頭をケガして血が

流れフラフラ歩いている人、肩

を支えられながら歩いている人、

背中が血に染まっている人、上

着がボロボロに焼けている人、

大勢の人に交じって西にし

大おおはし橋を

渡って避難しました。太おお

田た

川がわ

水路の工事をしている所の草む

らには、大勢の人がケガや火傷

を負い、力尽き、座り込んだり

倒れたりしていました。

 

その後、己こ

い斐の街に入り、し

ばらくすると突然、煤すす

を水に溶

いたような黒い雨が降ってきま

した。神社の境内で一時休んだ

後、竹たけ

藪やぶ

や田んぼ傍ばた

の細い農道

を可か

べ部方面に避難しました。そ

の辺りに来ると、右手に見える

広島市街は大火災が発生してい

ましたし、たくさんのケガや火

傷を負っている人とすれ違いま

した。小学一年生にはとても恐

ろしい光景です。

 

可部町の親戚宅に夜遅く着き

ました。学校へ行った父は数日

後、大火傷しながらも助かって、

その親戚宅に運び込まれました。

エピローグ

 

当時七人だった家族は、被爆

後五十年くらいの間に、祖父、

祖母、母、弟、父の順に「歯が

抜けるような感じで」亡くなり、

今では妹と私の二人だけになり

ました。父の火傷と不自由に

なった目、耳は死ぬまで治りま

せんでしたし、母は心しんきんこうそく

筋梗塞で、

弟は癌がん

で亡くなりました。また、

現在生きている妹も大だい

動どう

脈みゃく

剥はく

離り

や卵らんそう巣摘てき

出しゅつなどの大手術をし、

私も心筋梗塞を発症、何度も手

術を受けました。いずれも放射

線被曝の影響が色濃く出ている

症状です。

「一滴の水」の気持ちで証言活

動 

私は「無色透明」「無味無臭」

な「一滴の水」になったつもり

で証言活動をしています。それ

は、政治、宗教、人種、国境な

ど人間の作ったルールに染まる

ことなく、「方円の器に従う」

素直な水であり、それでいて「点

滴石をも穿うが

つ」エネルギーを秘

め、そしてその点滴も集まれば

「愚ぐ

公こう

山をも動かす」大きなエ

ネルギーを持っている水。それ

が私の証言活動のバックボーン

なのです。そしてその一滴の水

のはるか前方には、「まだ見ぬ

私たちの子孫が安心して暮らせ

る平和な世界」があると信じて

います。

被爆体験記プロフィール〔かわさき ひろあき〕昭和13年(1938年)生まれ。爆心地から1.3kmの東

ひがし

観かんのんまち

音町の自宅で被爆。6人の家族は他の被爆者に交じり西広島地区を経て市内北部の親戚宅に避難。途中、ケガや火傷をして避難している人、力尽き座り込んだり横たわっている人を多数目撃。平成28年度から被爆体験伝承者として、平成29年度から被爆体験証言者として活動。

あの日の思い出

本財団被爆体験証言者

川崎 宏明

「避難する家族と七歳の私」

制作: 三み

坂さか

日ひ

奈な

子こ

(広島市立基もと

町まち

高等学校普通科創造表現コース)、川崎宏明

Page 6: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

6

平和文化 第199号平成30年11月

 

七月二十八日(土)、長崎市

と公益財団法人長崎平和推進協

会、朝日新聞社の主催、広島市

と本財団等の後援により、「核

兵器廃絶への道~持続可能な

平和のために~」をテーマに、

二十四回目となる国際平和シン

ポジウムが長崎市の長崎原爆資

料館ホールで開催されました。

 

開会式では、長崎市長、主催

の朝日新聞社代表の挨拶に続

き、後援団体を代表して本財団

の小こ

溝みぞ

理事長が、核廃絶に向け

た市民社会の役割を強調する挨

拶を行いました。

 

まず、「愛と平和と一生懸命」

をテーマにサッカーJ1のVヴ

ファーレン長崎社長で通販大手

ジャパネットたかた創業者の高た

田た

明あきら

氏と田た

上うえ

富とみひさ久長崎市長に

よる特別対談が行われました。

 

次に、オバマ米政権で国際安

全保障・核不拡散担当の国務次

官補を務めたトーマス・カント

リーマン氏が登壇し、「核なき

世界への選択肢」をテーマに基

調講演を行いました。カント

リーマン氏は、NPT(核兵器

不拡散条約)加盟国にとって深

刻な脅威は、核軍縮のペースが

遅すぎることによって非核保有

国の間の不満が高まっているこ

とだと述べました。また、昨年

の核兵器禁止条約の採択は歴史

的快挙であり、強い道徳的・倫

理的な声明だが、現状を打開す

る道が示されていないなどの限

界もあると指摘し、今必要なの

は多国間主義を信じる民主主義

国家による核軍縮についての議

論だと訴えました。

 

続くパネルディスカッション

では、阿あ

べ部信の

泰やす

元国連事務次

長、目め

加か

田た

説もと

子こ

中央大学総合政

策学部教授、スージー・スナイ

ダーICAN国際運営委員が登

壇し、核兵器の開発、保有、使

用を法的に禁じる核兵器禁止条

約の採択から一年を経た世界の

動きや、米トランプ政権の戦略、

市民社会のアプローチについて

意見が交わされました。

(平和連帯推進課)

 

国連が主催する軍縮専門家育

成のための「国連軍縮フェロー

シップ・プログラム」に参加す

る研修生(フェローズ)を、広

島に十月一日(月)から二日間、

受入れました。

 

このプログラムは、国連が昭

和五十四年(一九七九年)から

実施している研修事業で、広島

では昭和五十八年(一九八三年)

から毎年受入れを続け、本年で

受入れの累計人数は九百人を超

えました。

 

今回は、二十五か国の若手外

交官等二十七人が参加しました。

 

一行は一日(月)には、小こ

溝みぞ

本財団理事長から平和首長会議

の核兵器廃絶に向けた取組など

について説明を受けました。続

いて、平和記念資料館、原爆死

没者追悼平和祈念館、原爆ドー

ム等を見学した後、原爆死没者

慰霊碑への献花を行いました。

広島市民との交流では、被爆の

実相を伝える書籍と、各フェ

ローズの国旗の色で構成された

折鶴レイが手渡されたほか、地

元の高校生から銅板で作った折

り鶴が寄贈されました。最後に、

被爆体験証言を聴講しました。

 

二日(火)には、放射線影響

研究所を訪れ、ウーリック副理

事長兼業務執行理事から放射線

が人体に与える影響について講

義を受けました。講義後は質問

が相次ぎました。

 

台風で大幅な予定変更を余儀

なくされた今回の受入れです

が、一行からは可能な限り予定

のプログラムを実施してほしい

との声が上がり、限られた時間

の中で有意義な広島滞在となり

ました。フェローズの皆さんは、

とても熱心に受講され、被爆の

実相について理解を深めるとと

もに、被爆地の思いを共有でき

た二日間となりました。

(平和連帯推進課)

国際平和シン

ポジウムの

開催(長崎)

国連軍縮フェローズ

の受入れ   

「国際平和デー」

記念行事の開催

 

国連は、毎年九月二十一

日を「国際平和デー」と定め、

世界の停戦と非暴力の日とし

て、この日一日、敵対行為を

やめるよう呼び掛けています。

 

本財団では、この趣旨に賛

同し、記念行事を開催してい

ます。市民を含む約三十人の

参加の下、原爆死没者慰霊碑

に献花を行い、参加者全員で

一分間の黙とうを捧ささ

げるとと

もに、平和の鐘を鳴らし、核

兵器廃絶と世界恒久平和の

実現を祈念しました。また、

「二〇二〇年までの核兵器廃

絶を!」という平和首長会議

の横断幕を慰霊碑前に掲げ、

その実現を訴えました。

 

国内外の平和首長会議加盟

都市においてもホームページ

やフェイスブックを通じた

一〇〇日前メッセージの発出

やメールマガジンによる呼び

掛けにより、様々な記念行事

が開催されました。

(平和連帯推進課)

原爆死没者慰霊碑献花後のフェローズ一行

Page 7: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

7

平成30年11月平和文化 第199号

展�

示場所 平和記念資料館 

館一階企画展示室

展�

示期間 平成三十年七月十二

日(木)~約一年間

展�

示資料 軍手など実物資料十

 「収蔵資料の紹介」コーナー

では、平和記念資料館で収蔵し

ている約二万点の資料の中か

ら、テーマに沿って数点ずつを

展示しています。

 

一九四五年(昭和二十年)八

月六日、一発の原子爆弾により、

広島のまちは一瞬にして廃は

虚きょ

化しました。大量の放射線を浴

び、体を焼かれ、多くの人々が

苦しみながら亡くなりました。

親たちは愛するわが子を残し、

その身を、その将来を案じなが

ら、死んでいきました。残され

た子どもたちは頼るべき支柱を

失い、途方に暮れ、悲しみに暮

れました。

 

亡くなった親の年齢を超えた

子どもたちにとって、その記憶

は、時を経ても、大きな喪失感

とともに心に刻みつけられてい

ます。

 

今回は、母親の遺品を中心に、

遺族の思いと合わせて紹介して

います。

【お問い合わせ】

平和記念資料館 

学芸課

☎(082)241・4004

展�

示場所 平和記念資料館 

館地下一階会議室(2)及び

ホワイエ

展�

示期間 平成三十年七月二十

日(金)~平成三十一年三月

末(予定)

展�

示内容 

写真�

二十一点、現

物資料�

十七点、市民が描い

た原爆の絵�

十点、映像�

一点

 

広島赤十字病院の被爆後の惨

状と混乱の中での救護活動を物

語る資料から、原爆被害の悲惨

さを知り、戦争のおろかさ、命

の尊さに思いをはせていただく

展示会です。

 

原子爆弾の投下により壊滅的

な被害を受けた広島市におい

て、倒壊や焼失を免れた数少な

い医療機関の一つであった広島

赤十字病院には、被爆直後から

負傷者が殺到しました。設備や

備品は破壊され、薬品も治療材

料も底をつく状況で、生き残っ

た医師や看護婦たちは、昼夜を

分かたず救護にあたりました。

 

展示会場では、広島赤十字・

原爆病院所蔵の「熱線のあとが

残る椅子」や当時の収容患者が

着用していた「病衣」等の現物

資料のほか、横たわる負傷者や

治療の様子を撮影した写真や動

画、病院前に押し寄せる負傷者

や治療を待たずに亡くなってい

く人々を描いた絵などを紹介し

ています。

 

また、リニューアル前の東館

で展示していた同院の「ガラス

片の刺さったあとが残る壁」を

ホワイエに移設しました。こち

らは、特別展終了後も常設展示

します。

【お問い合わせ】

平和記念資料館 

学芸課

☎(082)241・4004

 漫画「夕ゆ

うなぎ凪の街」の発表十五

年を記念して、「夕凪の街」複

製原画展を、平成三十年九月

十二日から平成三十一年二月末

まで、平和記念資料館東館地下

一階で開催しています。

 「夕凪の街」は、平成十五年

九月、「W

EEKLY

漫画アクショ

ン」紙に掲載されました。「広

島市に生まれ育ちはしたけれ

ど、被爆者でも被爆二世でもあ

りません。被爆体験を語ってく

れる親戚もありません」と言う

作者のこうの史ふ

代よ

さん。ヒロシ

マと距離を置こうとした作者

が、原爆と向き合い、丁寧に取

材を重ねた結果が、被爆後十年

資料展「こうの史代

『夕凪の街』複製

原画展」を開催

特別展「広島

赤十字病院」を

開催しています

「収蔵資料の紹介」

コーナーで「お母

さんに会いたい」

を開催しています

母は、横になっている間、

化のうしたやけどの傷がくっ

ついてしまうまで、妹の眞

紀子を離さなかったそうで

す。そして、疎開中で最

期まで会えなかった私のた

めに、死の間際まで「写

真を(撮って)!」と叫んで

いたと聞きました。

(二男・恭やす

之ゆき

さんのお話より)

敏子さんが被爆時に身に着

けていた軍手

(髙たか

木ぎ

尊たか

之ゆき

氏寄贈)

母・

敏とし

子こ

さん(死亡時34歳)、

長女・

眞ま

紀き

子こ

さん(当時7歳)

「廃墟の中のオアシス」と呼ばれた広島赤十字病院

菊きく

池ち

俊しゅん

吉きち

氏 撮影/田た

子ご

はるみ氏 提供

「腕章」

上うえ

野の

照てる

子こ

氏 寄贈

Page 8: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

8

平和文化 第199号平成30年11月

を過ぎても原爆の後障害に苦し

む若い被爆者の姿を繊細な筆致

で表現した作品に昇華していま

す。この作品は国内外で高い評

価を受け、現在、英語、フラン

ス語、スペイン語、イタリア語、

ポルトガル語、ハングル、中国

語(繁体字)に翻訳され、世界

中で原爆被害の理解を深める契

機となっています。

 

資料展では原画を精密に複製

したパネル二十三点を展示して

います。あわせて、情報資料室

内の展示ケースで、被爆者の

森もりとみ冨

茂しげ

雄お

さんが被爆前後の広島

の街を描いた「消えた町 

記憶

をたどり」の原画も、十一月

二十六日まで展示しました。森

冨さんの絵は、こうのさんも作

品を制作する上で参考にされた

という精緻な鉛筆画で、修学旅

行生たちが「被爆前の平和記念

公園がこんな繁華街だったと

は」と感心して見入っていまし

た。

(平和記念資料館 

学芸課)

 

本財団は、広島市立基も

町まち

高等

学校普通科創造表現コースの協

力を得て、平成十九年度から、

本財団被爆体験証言者と同校生

徒が共同し、証言者の記憶に残

る被爆時の光景を描き、当時の

状況を伝える「原爆の絵」の制

作に取り組んでいます。

 

このたび、八人の証言者と十

人の生徒が平成二十九年度から

制作を進めていた十点の絵画が

完成しました。

 

七月二日(月)に基町高等学

校展示ギャラリーで行われた完

成披露会には、八人の証言者と、

絵を制作した生徒を始めとする

創造表現コースの生徒のほか、

本財団及び基町高等学校関係者

が出席しました。

 

吹き出物の治療の様子を描い

た生徒は、「絵の制作を通して、

被爆から七十年以上が経った今

でも消えない傷跡から、原爆の

恐ろしさを改めて感じることが

できた一年だった」と話して

くれました。また、生

死も分からない人々を

踏み分けながら避難す

る場面を描いた生徒は、

ギャラリートーク(作

品解説)で、「見たこと

も、想像したこともな

い、目を背けたくなる

ような光景をどう表現

すれば良いか、どう描けば

良いのか、模索し続けた。

話を聴いて、それを理解するだ

けでなく、伝える立場にならな

ければならない、受け取るだけ

でなく、私達が次の世代に伝え

ていかなければならないという

事に気付かされた」と制作の難

しさと自らの思いを話してくれ

ました。

「原爆の絵」が完成

―高校生たちが     

 

 被爆体験を絵に描く―

展示風景

「生死不明の人たちを踏み分けながら逃げる」

制作:山やま

土ど

莉り な

奈(広島市立基町高等

学校普通科創造表現コース)、原はら

田だ

浩ひろし

「閃せんこう

光」

制作:曽そ ね

根沙さ や か

也佳(広島市立基町高等

学校普通科創造表現コース)、李イ

鐘ジョングン

「私が初めて見た被爆者」

制作:岩いわもと

本依い ぶ き

蕗(広島市立基町高等学

校普通科創造表現コース)、岡おか

田だ

恵え

美み

子こ

「ヒロシマの最も長い夜(地獄の炎と

きのこ雲の残ざんかい

塊)」

制作:河かわもと

元愛ま な か

香(広島市立基町高等学

校普通科創造表現コース)、中なかにし

西巖いわお

「吹き出物の治療」

制作:富ふ じ

士原わら

芽め い

依(広島市立基町高等

学校普通科創造表現コース)、笠かさ

岡おか

貞さだ

江え

「道に転がる屍しかばね

制作:門かどわき

脇友ともはる

春(広島市立基町高等学

校普通科創造表現コース)、河こう

野の

キヨ美み

「被爆した馬」

制作:桂かつら

木ぎ

晋しんさく

作(広島市立基町高等

学校普通科創造表現コース)、李 鐘根

「お母ちゃーん!」

制作:中なかがわ

川雛ひいな

(広島市立基町高等学校

普通科創造表現コース)、岡田恵美子

「私は地獄に迷い込んだんじゃろうか」

制作:宮みやもと

本陽ひ

菜な

(広島市立基町高等

学校普通科創造表現コース)、篠しの

田だ

恵めぐみ

Page 9: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

9

平成30年11月平和文化 第199号

 

完成した「原爆の絵」は、被

爆体験をより深く理解してもら

うため、証言者による被爆体験

講話で活用するほか、絵の貸出

や、画像データの提供なども行

い、原爆被害の実相を後世に継

承するために役立てています。

(平和記念資料館 

啓発課)

 

本財団では、六月二日から一

泊二日の日程で、小・中学生向

けの平和キャンプを広島市似に

のしま島

臨海少年自然の家との共催で実

施しました。

 

通算二十五回目となる今年の

キャンプには、四年生以上の小

学生十九人、中学生三人、十八

歳以上のボランティア三人の計

二十五人が参加しました。

 

一日目は、被爆体験伝承講話

を聴講後、被爆後の復旧の様子

を紹介したアニメを鑑賞するな

ど被爆の実相について学習し、

続いて、原爆ドーム前から広島

港まで被爆電車に乗り、車内で

沿線の被爆建物などについて説

明を受けた後、似島へ移動しま

した。

 

似島では、原爆で傷ついた沢

山の人々を収容した似島につい

て、歴史を含めて詳しく学び、

遺構を見学しました。

 

夜には、ピースキャンドルを

灯し、親し

んぼく睦

を深めました。

 

二日目は、似島とバウムクー

ヘンの関わりを学び、実際に皆

で協力してバウムクーヘンを作

り、おいしく食べました。

 

最後に、似島原爆慰霊碑を参

拝し、班ごとに二日間の学習の

振り返りを行いました。振り返

りの中では「原爆でたくさんの

人が苦しんで辛い思いをしてい

たことが分かった」、「平和がど

れくらい大切かが分かった」と

いった声が出るなど、次世代を

担う小・中学生が、楽しく時間

を過ごしながら、平和について

考える有意義な機会となりまし

た。

(平和記念資料館 

啓発課)

 

平和記念資料館では、原爆被

害の実相を正しく英語で伝える

ための知識と表現を学ぶ「英語

で伝えようヒロシマセミナー」

を、平成十八年度から実施して

います。

 

今年度は七月十四日(土)に

ベーシック編、二十一日(土)

にアドバンス編をそれぞれ実施

し、十代から八十代まで合計

三百三十二人が参加しました。

 

ベーシック編では、資料館職

員が原爆被害の概要を英語で説

明した後、被爆者の梶か

じもと本淑よ

子こ

んが自身の被爆体験について日

本語で話し、ひろしま通訳・ガ

イド協会の渡わ

たなべ邉

妙たえ

子こ

氏が、英語

で逐次通訳を行いました。

 

アドバンス編では、広島文教

女子大学のクレィグ・ネヴィッ

ト氏が講師を務め、原爆被害の

概要を英語で説明した後、平和

記念公園内の碑や被爆資料等に

ついて英語で話すグループワー

クを行いました。

 

参加者からは、「被爆体験証

言を初めて聞けて良かった」、

「分かりやすい英語で参考に

なった」、「学んだことを伝えて

いきたい」といった声が寄せら

れました。

 

資料館では、来年一月にも同

セミナーを開催する予定です。

(平和記念資料館 

啓発課)

 

平和記念資料館では、原爆被

害の実相を伝え、核兵器廃絶に

向けた国内世論を醸成するた

め、平成八年度から国内各地の

都市で原爆展を開催していま

す。

 

本年度は、岡山県笠か

さおか岡

市、岡

山県総そ

うじゃ社

市、兵庫県芦あ

屋や

市で

開催し、三都市合わせて、約

二千三百人の来場者がありまし

た。岡山県内での開催は今回が

初めてです。

 

各展示会場では、被爆資料の

ほか、被爆の実相や核兵器の現

状を伝える写真パネル、高校生

と被爆体験証言者が共同で描

いた原爆の絵などを展示しま

した。また、笠岡市では白し

石いし

多た

こ美子さんが、総社市では寺て

らもと本

貴たか

司し

さんが、芦屋市では山や

まもと本

玲れい

子こ

さんが、それぞれ被爆体験講

話を行いました。聴講された方

は、被爆体験証言者の一言一言

に耳を傾けていました。

 

来場者からは、「広島にはな

かなか行けず、今回地元に居な

がらにして貴重な資料を見るこ

とができて良かった」、「連れて

きた孫がとても熱心に見学して

いた」、「命の尊さを強く感じた。

後世へ受け継ぐことが大事だと

感じた」などの感想が寄せられ

ました。

国内3都市で

原爆展を

開催しました

こども平和

キャンプ

~楽しみながら平和を考える~

英語で伝えよう

ヒロシマセミ

ナーの実施

被爆電車内で説明を聞く様子

アドバンス編グループワークの様子

Page 10: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

10

平和文化 第199号平成30年11月

実施の概要

【岡山県笠岡市】

期�

間:七月二十七日(金)~八

月二日(木)(休館日を除く・

六日間)

場所:笠岡市民会館

来場者数:六百五十八人

【岡山県総社市】

期�

間:八月五日(日)~八月

十五日(水)(十一日間)

場所:総社吉き

備び

路じ

文化館

来場者数:二百七十六人

【兵庫県芦屋市】

期�

間:八月十九日(日)~八月

二十六日(日)(休館日を除く・

七日間)

場所:芦屋市民センター

来場者数:千三百五十人

(平和記念資料館 

啓発課)

マカモ・デリョーヴォ・ヴェロ

ニカ・ナタニエル/モザンビー

ク共和国国民議会議長

�広島市民の皆様へ

 

我々代表団は、原子爆弾の犠

牲者を哀悼し、また、かけがえ

の無い命を失い、戦争の犠牲と

なった日本国民に連帯の意を表

します。

 

モザンビーク国民は、悪夢の

ような戦争を経験し、その悲惨

さを身にしみて理解していま

す。

 

従って、我々は平和を支持

し、人類すべてに平和を希求し

ます。

 

モザンビーク国民は、核兵器

のない世界と原子力エネルギー

の平和的利用を擁護し、モザン

ビークと日本の友好協力関係の

強化、世界の平和と調和を願い

ます。

 

共に世界を平和にする中心と

なりましょう。

(二〇一八年二月十日)

カル・ジャヤスーリヤ/スリラ

ンカ民主社会主義共和国国会議

� 

広島訪問はスリランカ代表団

にとって記念すべきものとなり

ました。

 

一九四五年八月六日に広島の

人々が受けた苦しみに心が痛み

ました。

 

このような破壊行為が二度と

繰り返されないよう祈ります。

 

善き行いをすべく全力を尽く

します。

 

広島の皆さまの平和と繁栄と

幸福とを祈念いたします。

(二〇一八年三月一日)

ムハンマド・アル・イーサ/ム

スリム世界連盟事務総長

� 

この歴史的な広島平和記念資

料館を訪れることができて嬉し

く思います。また、資料を拝見し、

お話を伺って非常に感銘を受け

ました。人類の存在に対する脅

威である核兵器拡散を制限する

重要性を再確認させる、この人

類の悲劇がもたらした損害の深

さを痛感しました。社会生活に

おいて平和は、最も重要な人類

の願いであるとも感じました。

 

私たちは、文化や芸術を通じ

て他国を魅了する「ソフトパ

ワー」こそが調和と真の人類の

平和の武器であると考え、また

このソフトパワーを得る者こそ

が真の勝者だと考えています。

強力な権力が一時的に勝利を得

たとしても、その強大な影響は

それを行使する名目上のものに

すぎないと信じています。

(二〇一八年三月十四日)

ニキル・セス/国連事務次長補

兼ユニタール事務局長

 

これほどに心を揺り動かさ

れ、胸が締め付けられたことは

ありません。広島平和記念資料

館が今の世に伝える、無意味な

戦争、死、破壊、そして兵器の

無益さを訴えるメッセージは、

後世に残る貢献のひとつとなる

でしょう。しかし、平和への誓

海外からの来訪者が

発信するメッセージ

~平和記念資料館芳名録よ

り抜粋、日本語に訳したもの

(仮訳)を掲載しています~

展示解説を受ける来場者(笠岡市)

Page 11: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

11

平成30年11月平和文化 第199号

い、復興、連帯、調和もまた、

ヒロシマからのメッセージで

す。人類の繁栄と尊厳を守るた

めには、世界はより一致団結す

る必要があるのです。

(二〇一八年三月三十日)

アイマン・アリ・カーメル/駐

日エジプト・アラブ共和国特命

全権大使

� 

温かい歓迎に心から感謝いた

します。また、広島平和記念資

料館を訪れた際に館内をご案内

いただき誠にありがとうござい

ました。

 

本日私が目にしたものは、世

界平和の大切さを認識させるも

のであり、人類と世界平和を守

るために暴力を放棄し、世界が

大量破壊兵器を手放すことに取

り組ませるものであります。

(二〇一八年四月二日)

カミラ・ハニファ/駐日ブルネ

イ・ダルサラーム特命全権大使

 

広島の方々の経験は、私たち

が共に力を合わせて核兵器のな

い世界を作らなければいけない

という事を教えてくださいま

す。

 

アラーの祝福が皆様と共に常

にありますように。

(二〇一八年四月九日)

エウニシオ・ロペス・デ・オリ

ヴェイラ/ブラジル連邦共和国

上院議長

 

今回の私の訪問に同伴した妻

モニカと娘マリア・エドゥアル

ダ、並びに日本への公式訪問に

おいて私が率いたブラジル連邦

上院議員団の上院議員、アント

ニオ・アナスタシアとジョルジ・

ヴィアナを代表して、広島に投

下された原子爆弾の犠牲となっ

た罪のない数十万もの犠牲者の

御親族、御子孫に心よりお悔や

み申し上げます。

 

ブラジル国会の議長として、

二度とこのようなことが繰り返

されないことを望みます。

 

神が我々すべてをお守りいた

だけますように。

��

(二〇一八年四月十九日)

アブル・ハッサン・マームード・

アリ/バングラデシュ人民共和

国外務大臣

 

バングラデシュ政府とバング

ラデシュ国民を代表して、広島

の原爆被害の犠牲となられた

方々に謹んで哀悼の意を捧げま

す。

 

広島の皆さまの、生活を再建

した復活力、世界平和の実現に

向けて活動し続ける決断力に、

敬意を表します。

(二〇一八年五月十五日)

ラインハルト・トット/オース

トリア共和国連邦参議院議長

� 

核兵器が初めて使用されたこ

の場所で、犠牲者を悼むととも

に、惨禍を生き抜いた方々への

強い連帯感を覚えています。

 

この唯一無二の苦しみを前

に、オーストリアの核軍縮政策

を続ける決意を新たにしまし

た。

(二〇一八年五月十七日)

フランシスコ・シャヴィエル・

エステヴェス/駐日ポルトガル

共和国特命全権大使

 

広島と平和記念資料館を訪れ

ることができたことを貴重な経

験だと思います。

 

我々が考えるべきことは一つ

だけ、「ノーモア!」

 

人が人を苦しめることは理解

不能で耐えがたいものです。

 

善意ある人の願いは一つだ

け、それは、二度と繰り返さな

いことです。

(二〇一八年五月二十五日)

Page 12: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

12

平和文化 第199号平成30年11月

 

国立広島原爆死没者追悼平和

祈念館では、被爆者の体験や平

和への思いを次世代に語り継ぐ

ため、「被爆体験伝承者等派遣

事業」を本年度から開始し、被

爆者から直接受け継いだ体験を

語り継ぐ「被爆体験伝承者」や

被爆者が記した被爆体験記・原

爆詩を朗読する「被爆体験記朗

読ボランティア」を全国に派遣

しています。

 

派遣者は、申し込まれた団体

が行う平和学習等の場で、被爆

体験伝承講話又は被爆体験記朗

読会を実施します。

 

修学旅行の事前学習などに活

用する学校や、なかなか広島に

来られない子供達に、原爆の恐

ろしさや戦争の悲惨さを伝える

ため、交通費などを当館が負担

し、全国に被爆体験伝承者等を

無料で派遣しています。

 

平成三十年十月末現在、

二百七十四件の申込を受けてお

り、これまでに二百六件派遣

しました(被爆体験伝承講話・

百七十九件、被爆体験記朗読会・

二十七件)。

 

派遣先の学校等からは、児童

たちが最後まで引き込まれ聴い

ている様子だった、などの感想

が寄せられています。

 

また、海外にも被爆の実相を

伝え、核兵器廃絶に向けた世論

を醸成するため、平成三十年

十一月に、イギリスのマンチェ

スター市とコベントリー市に被

爆体験伝承者一人と被爆体験記

朗読ボランティア二人を派遣し

ました。

 

両市において、小学校での被

爆体験伝承講話、被爆体験記朗

読会の開催や、平和団体所属の

市民等との交流会などを行いま

した。

【寄せられた感想(抜粋)】

大阪府高たかつき槻市立奥お

くさか坂小学校

 

広島市の地図を元に、原子爆

弾、被害の様子、池いけ

田だ

精せい

子こ

さん

の被爆体験について詳しくお話

しいただきました。また最後に

は、伝承者の古ふる

田た

さんが、お父

様の体験から自身がお感じに

なったことを話していただき、

さらに当時の様子をイメージす

ることができました。

 

児童の感想からは「いかに核

兵器がひどいものかがわかっ

た」、「この貴重な話を覚えてお

き、自分たちがこれから伝えて

いく」、「平和の種をもらったの

で、それに花をさかせられるよ

うに戦争についてしっかりと学

びたい」などの感想が見られま

した。

宮崎県西さい

都と

市立妻つ

南みなみ

小学校

 

とても素晴らしい朗読会でし

た。詩を見せずに、ゆっくりと

語りかけるように聴かせるとい

う手法、間合い・トーン・表

情・ジェスチャーなど、その状

況が目に浮かび、作者の悲しみ

が子供たちに十分伝わってきま

した。

 

テレビや新聞などを通してな

んとなく知識として知っていた

子供たちでした。実際被爆され

た方々の詩や体験記は、戦争や

原爆の怖さや、悲しさ、悲惨さ

を痛感させられるものでした。

朗読会の途中、思わず涙ぐむ子

や、教室に戻った後、静かに体

験記を読み返す子もおり、深く

平和について考えたようでした。

 

お越しいただいて、貴重な経

験をさせていただきました。あ

りがとうございました。

【お問い合わせ】

国立広島原爆死没者追悼平和祈

念館

☎(082)207・1202

 

被爆者の高齢化が進み、その

体験を記録して原爆の悲惨さ、

非人道性を人類の教訓として後

世に伝えることが重要となって

います。国立広島原爆死没者追

悼平和祈念館では、被爆の記憶

を体験記として残したいが自分

一人では困難な方から聞き取り

を行い、体験記としてまとめる

被爆体験記執筆補助事業を行っ

ています。

 

今年度も執筆補助希望者の募

集を行い、九人の体験記を作成

する予定です。十月末時点で四

人の方からの聞き取りを実施し

ました。

 

聞き取りをする前に、まず当

館の担当者は、申し込んだ方の

被爆に関する証言映像などの資

料を集め、昔の住所・所属(学

校や職場)などの情報から、お

おまかな当時の様子について下

調べなどの準備をします。ある

方の聞き取りでは、拡大した昔

の地図を見てもらい、「当時こ

の地区には、Hさんはこの一軒

のみですが、もしかしてこれが

ご自宅ですか?」と聞くと、「そ

うじゃそうじゃ! 

両隣はSさ

んとYさんで、うちと合わせて

三軒だけが焼け残った!」など

と、どんどん当時の情景が浮か

び上がりました。

 「家が一瞬で倒壊し、友人の

うめき声を聞きながら助けられ

被爆体験記の執筆を

お手伝いしています

―被爆者から語り継がれた思いを聞き、

 被爆の実相を学んでみませんか―

被爆体験伝承者等を

全国に派遣しています

奥坂小学校での講和の様子

妻南小学校での朗読会の様子

Page 13: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

13

平成30年11月平和文化 第199号

なかった」、「まだ中学生だった

が、人手がなく、一人で河原に

行って親を火葬した」と話され

る表情には、物悲しさや無念さ

がにじみます。被爆体験は言葉

では表現し尽せないほど辛いも

のです。聞き取る側も、つい目

を潤ませる瞬間もしばしばで

す。

 

しかし、被爆者の証言や体験

記から教わることは、辛さ、悲

しみだけではありません。今回

の聞き取りでは、「結婚差別を

憂慮して、経済的に自立しよう

と薬剤師になり、最終的には共

稼ぎの家庭を希望する男性と結

婚した」と話される、働く女性

の元祖のような被爆者の方のた

くましさや、九死に一生を得て、

軍国教育から開放されて感じた

自由の素晴らしさを、身振り手

振りで表現される被爆者の方の

姿に心を打たれました。

 

被爆体験を伺い、悲惨な歴史

を繰り返してはならないという

教訓はもちろんですが、そんな

体験を経てもなお、前を向き、

ひたむきに生きてこられた姿

に、次世代が学ぶこともたくさ

んあるのではないでしょうか。

 

国立広島原爆死没者追悼平

和祈念館には被爆体験記が約

十四万編収蔵されていますが、

執筆補助事業で集まったもの

も、十三年間で百三十編余りあ

ります。これらは祈念館に来館

くだされば読んでいただけま

す。予約や申し込みは不要です。

ぜひ祈念館を訪れ、被爆体験記

に触れてください。

(原爆死没者追悼平和祈念館)

 

通訳相談員が、生活全般につ

いて不安を抱える外国人市民の

生活相談、生活関連情報の提供、

行政機関窓口等との通訳などを

行っています。

 

平成三十年七月豪雨災害の際

には、被災した外国人市民の相

談を受け、区役所などの担当窓

口に取り次ぎ、また、通訳とし

て同行するなど、災害に関する

各種手続や支援に関する相談な

どへの対応を行いました。

【連絡先】

☎(082)241・5010

E-mail:�soudan@

pcf.city.hiroshim

a.jp

【場所】

広島国際会議場一階 

国際交流

ラウンジ内

【時間】

月曜日~金曜日 

午前九時~午

後四時

【対応言語】

中国語(月~金)、スペイン語

(月・水・金)、ポルトガル語(火・

木・金)�

【休室日】

祝日、八月六日、十二月二十九

日~一月三日

 

広島国際会議場一階・国際交

流ラウンジは、国際交流・協力

に関する情報や、外国人市民の

ための生活に役立つ情報など

を、スタッフが日本語と英語で

提供しています。トリオフォン

サービス(電話による三者間通

話)を利用して、通訳ボラン

ティアの協力を得ながら、英語

以外の言語での対応も行ってい

ます。

 

さらに、世界の新聞・雑誌の

閲覧や、図書の閲覧・貸出、学

習や会合ができるスペース、無

料インターネットなど、どなた

でもご利用いただけるサービス

を提供しています。

 

また、新聞・雑誌のバックナ

ンバーの無料配布(年二回)、

除籍した図書資料の無料配布

(年一回)、JICAボランティ

ア体験者が派遣国の魅力を語る

「JICAサロン」(年四回)と

いったイベントも開催していま

す。

 

併設する外国人市民の生活相

談コーナーでは、日常生活上の

悩みや問題の相談に、中国語、

ポルトガル語、スペイン語で対

応しています。

 

是非お気軽にご利用くださ

い。

【連絡先】

☎(082)247・9715

E-mail:�golounge@

pcf.city.hiroshim

a.jp

【場所】

広島国際会議場一階

【時間】

午前九時~午後六時

(四月~九月は午後七時まで)

【休館日】

十二月二十九日~一月三日

広島市外国人市民の

生活相談コーナー

をご利用ください

国際交流ラウンジ

をご利用ください

聞き取りの様子

国際交流ラウンジ

広島市のHPからもダウンロードできます。

QRコードはこちら→

『外国人市民のための生活ガイドブック』

(広島市発行)

翻訳:

英語・中国語・ハングル・ポルト

ガル語・スペイン語・フィリピノ語

・ベトナム語

Page 14: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

14

平和文化 第199号平成30年11月

 

当財団では、広島市内の団体

が行う国際交流・協力事業を育

成・振興するため、国際交流・

協力補助金を交付しています。

 

申請は年二回、上期(四月~

九月)実施事業分を一月、下期

(十月~三月)実施事業分を七

月に受け付けています。

 

このたび、平成二十九年度下

期と平成三十年度上期に補助金

を交付して事業を実施された四

団体の公開報告会を以下のとお

り実施します。

 

是非お越しいただき、今後の

皆さんの国際交流・協力活動に

生かしてみませんか。

【実施日時・会場】

平成三十年十二月四日(火) 

午後二時~四時

広島国際会議場三階 

研修室2

【報告事業・団体】

●和紙ちぎり絵・折り鶴を中国

へ広めて、平和を祈る(特定非

営利活動法人 

虹にじはし橋

の会)

 

中国で日中永久友好について

の座談会の実施や現地の学生と

のちぎり絵や折り鶴の体験を通

して、平和の大切さを学び、相

互理解を深めました。

●カンボジア 

ツアー2017

(ひろしまカンボジア協会)

 

カンボジアで農村や小学校、

広島市に在住していた留学生と

の交流活動等を行い、相互理解

を深めました。

●ぺあせろべ2017(ぺあせ

ろべ実行委員会)

 

広島市中区基も

とまち町にある中央公

園芝生広場で、様々な国籍を持

つ人たちが、各国の町や食べ物、

踊りなどの生活文化を紹介する

イベントを行い、国際交流や多

文化共生のまちづくりの推進を

図りました。

●HAPイタリア国際交流使節

団(一般社団法人 

HAP)

 

イタリアで、障害者支援施設

でのワークショップやイベント

に参加し、広島の文化・歴史の

紹介や意見交換会を行うこと

で、相互理解や国際交流につな

げました。

(国際交流・協力課)

 

七月二十二日、広島国際会議

場国際交流ラウンジを会場に、

(独)国際協力機構(JICA)

中国センターとの共催で、平成

三十年度第一回JICAサロン

「キルギスってどんな国?~青

年海外協力隊が語る派遣国の魅

力~」を開催しました。

 

今回は、二〇一六年から二年

間、「青少年活動」という職種

でキルギス共和国にて活動した

片かたやま山

美み

や弥さんにお話を伺いまし

た。

 

中央アジアに位置するキルギ

スは、一九九一年に旧ソビエト

連邦から独立した小さな国で

す。農業と牧畜以外の基幹産業

が少なく、中央アジアの中では

貧しい国とされています。しか

し、国土の約四割を占める三千

メートルを超える山々に囲ま

れ、湖周辺には豊かな自然が広

がり、その美しさは「ジブリの

世界」とも言われています。

 

日本人にはまだあまり馴な

じ染み

のない国かもしれませんが、キ

ルギスは日本と「兄弟説」があ

るくらいの親日国で、外見も日

本人と似ており、多くのキルギ

ス人が日本や日本人に親近感を

抱いているそうです。また、お

もてなしの精神が強く、頻繁に

お茶に誘われるそうで、「仲良

くなる秘訣は一緒にお茶を飲む

こと」など、キルギスの人々の

素顔が垣間見えるエピソードを

語ってくださいました。

 

また、片山さんが撮影した動

画を見ながら、キルギスの様子

を紹介していただきました。市

場や、ノマドゲームと呼ばれる

騎馬戦など、普段見る機会の少

ないキルギスの風景や、派遣先

の小学校で児童たちがコムズと

いうキルギスの伝統的な三弦の

楽器を演奏する様子など、とて

も興味深いものでした。

 

キルギスには、孤児や女性の

地位の問題など社会的な課題も

まだ多くあるそうです。しかし

今回、片山さんのお話を通じ

て、キルギスの文化や人々の暮

らし、そして観光地としての魅

力を十分に知ることができまし

た。

(国際交流・協力課)

 

当財団では、平成三十年七月

豪雨災害時に、広島市在住外国

人の皆さんに災害関連情報を提

供するため、多言語サイトを開

設しました。国際交流・協力課

のホームページを通じて、七月

九日から発信をしています。

平成二十九年度下期

および平成三十年度

上期国際交流・協力補

助金交付事業公開報

告会の開催について

JICAサロン

「キルギスって

どんな国?

青年海外

協力隊が語る派遣国の魅力」

災害関連情報の多言語

サイトを開設しています。

中国の学生による和紙ちぎり絵体験の様子

キルギスの魅力をたっぷりと話してくださいました。

Page 15: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

15

平成30年11月平和文化 第199号

 

広島市市民局人権啓発部人権

啓発課�

多文化共生担当との協

働で、提供する情報を選別し、

広島市に登録している災害通訳

ボランティアや当財団の通訳相

談員が翻訳を行いました。

 

今なお、広島市や周辺の地域

では復旧に向けた活動が続いて

います。少しでも、被災した在

住外国人の皆さんの生活上の不

安や心配事を和らげることがで

きるよう、支援していきたいと

考えています。

【URL】

http://www.pcf.city.hiroshim

a.jp/ircd/

【内容】

●水道、ガス、電気などのライ

フライン情報

●JR、バスなどの交通情報

●広島市からの災害関連情報

 

・断水給水情報

 

・り災証明書について

 

・被災者に対する支援制度

 

・義援金の受付について

 

・出張所の臨時休業 

など

【言語】

●八言語

 

・�

日本語、英語、中国語、ポ

ルトガル語、スペイン語、

ベトナム語、フィリピノ語、

ハングル

【アクセス件数】七月九日~七

月二十三日(十五日間)

 

・総アクセス数 

三三四八件

 

・一日平均 

約二二〇件

 

・�

最大件数は、七月十五日

のベトナム語の四四八件で

す。

 

九月九日(日)、記念イベン

トを開催しました。主催―平成

三十年度ボルゴグラードの日実

行委員会

 

まず来場者に、ロシア・ボル

ゴグラード市の紹介展示コー

ナーで、ロシアの民芸品やボル

ゴグラード市の風景写真、また、

広島市とボルゴグラード市の青

少年交流の紹介展示を見ていた

だきました。

 

次の食文化体験コーナーで

は、ロシアのお菓子〝パフラ

ヴァ〟とジョージアワインなど

を味わいながら、田た

中なか

香か

月づき

さん

のピアノ演奏を楽しみました。

 

ホールでの記念セレモニーで

は、実行委員長、広島市長が登

壇してあいさつし、ボルゴグ

ラード市長のメッセージを、司

会進行を務めた広島市在住のロ

シア人、ユリア・スミルノーワ

さんがロシア語で代読。また、

来賓として出席された、在大阪

ロシア連邦総領事館領事のシュ

ベツォワ・エレーナさんからも

あいさつをいただきました。

 

その後、ヒロシマ・メッセン

ジャーの藤ふ

じおか岡弘ひ

ろかず一さんが、画像

と映像を使ってボルゴグラード

市を紹介。また、昨年同市を訪

問した広島合唱団の団員が訪問

時の様子を報告しました。

 

続いて、昨年に引き続きエリ

ザベト音楽大学の学生二人が、

バイオリンとピアノでロシア音

楽を演奏し、続けて広島合唱団

の皆さんが、さまざまなロシア

の楽曲を披露しました。また、

スミルノーワさんも参加したロ

シア語ミニ講座、ロシアグッズ

が当たるお楽しみ抽選会をはさ

み、再度広島合唱団が登場し、

会場の参加者と合唱して大いに

盛り上がりました。

 

当日は、悪天候にもかかわら

ず、約百二十人の参加者があり、

ボルゴグラード市との姉妹都市

交流を深めました。

(国際交流・協力課)

 

今年の八月から、アンド

リュー・デンプスター国際交流

員に代わり、イギリス出身の

マーク・マクフィリップス国際

交流員が国際交流・協力課に着

任しました。

着任あいさつ

マーク・マクフィリップス

 

今年八月にイギリスの大学を

卒業し、その後すぐに広島に参

りました。

 

来広して数か月経ちました

が、すでに学校訪問や相談日を

通して市民と交流し、平和記念

資料館をはじめとする広島の名

所や旧跡を訪れ、この町の歴史

や文化について様々なことを学

びました。

 

私は、イギリスと日本に限ら

ず、様々な国の文化や歴史に興

味を持っているため、様々な人

と交流したいと思っています。

 

どうぞよろしくお願いいたし

ます。

「Have�a�N

atter!

」のご紹介

 

以前から実施していた「相談

日」の名称や内容を一部変更し、

十二月から「Have�a�Natter!

を実施します。「Natter

」はイ

ギリス英語で、「おしゃべりす

る」という意味です。マーク国

際交流員への質問や相談等の会

話を通して、海外のことについ

て触れてみませんか。

【実施日】毎月第四水曜日

 

※英語と日本語の時間あり

【場所】広島国際会議場一階

 

国際交流ラウンジ

■詳細は国際交流・協力課まで

☎(082)242・8879

新国際交流員のご紹介

姉妹・友好都市の日

記念イベント

~ボルゴグラードの日~

田中香月さんと広島合唱団の皆さんによる演奏

マーク・マクフィリップス国際交流員

Page 16: PEACE CULTURE 平和文化ないと訴えました。継続するようにしなければなら者の理性に基づく行動によってており、その取組が各国の為政て核兵器廃絶に向かうよう求め者に対し、理性と洞察力を持っ

16

平和文化 第199号平成30年11月

 

ドイツ・ハノーバー市との青少

年交流の始まりは、一九六八年(昭

和四十三年)に遡ります。この年、

広島国際青少年協会総主事であっ

た故林

はやし

壽としひこ彦

氏(二〇一〇年〔平

成二十二年〕十月逝去)が、日独

政府間の文化協定に基づく日本か

らの初めての訪独青少年代表団の

監督としてハノーバー市を訪れた

ことがきっかけでした。当時のハ

ノーバー市長、ヘルベルト・シュ

メルスティーク氏から、国家間の

交流よりも都市間の交流をもっと

発展させるべきではないかという

提唱があり、広島市とハノーバー

市との間で青少年の交流が始まる

ことになりました。

 

一九七〇年(昭和四十五年)、

広島市から二十二人の青少年使節

団がハノーバー市に初めて派遣

され、一九七一年には二十五人

が、一九七二年には三十二人の青

少年使節団とともに当時の広島市

長、山や

田だ

節せつ

男お

氏もハノーバー市を

訪問しました。一九七三年(昭和

四十八年)からはハノーバー市か

ら広島市への使節団の訪問も始ま

りました。交流十周年となった

一九七八年(昭和五十三年)には、

ハノーバー市長から豆つげ樹木

三千本が贈られてきたことから、

広島市は当時の広島市民球場横に

沈ちん

床しょう

花か

壇だん

ハノーバー庭園を造園

しました。

 

こうした交流が十五周年を迎え

た一九八三年(昭和五十八年)、

広島市とハノーバー市との間の姉

妹都市縁組が決まり、五月二十七

日にハノーバー市において荒あ

木き

武たけし

広島市長とシュメルスティー

ク市長との間で調印式が行われま

した。

 

広島市では、一九七九年(昭和

五十四年)二月に広島・ハノー

バー協会が発足し、事務局は広島

国際青少年協会内に置くことが定

められました。ハノーバー市で

は、一九七八年十二月に友好会が

発足し、事務局はハノーバー市青

少年局に置かれていました。これ

以降、青少年の交流はこれら事務

局が主体となって行うことになり

ました。

 

二〇〇五年(平成十七年)、当

時の広島市長、秋あ

葉ば

忠ただ

利とし

氏と林壽

彦氏の発案で、青少年国際平和未

来会議(IYCPF)が創設され

ました。広島市とハノーバー市が

それぞれの姉妹都市によびかけて

青少年が集い、青少年の手による

平和活動を探る会議となりまし

た。この会議は広島市と他都市の

交互開催の形をとり、現在まで広

島市とハノーバー市が中心となっ

て、とぎれることなく続いていま

す。

 

一時期停滞気味であった広島市

とハノーバー市との青少年の相互

訪問は、二〇一一年(平成二十三

年)二月にハノーバー市において、

前年に逝去された林壽彦氏の追悼

会が行なわれるにあたって、私が

招待された際、青少年の交流を復

活させることを約束しました。任

意団体としての広島・ハノーバー

協会は活動が休眠状態でしたの

で、私は二〇一一年四月に広島国

際青少年協会が社団法人化される

にあたってその代表理事になり、

あわせて一般社団法人広島ハノー

バー友好協会を設立することとし

ました。活動を青少年交流のみな

らず、文化交流及び経済界の交流

へ拡げるために、理事として、上う

田だ

宗そうけい冏

氏(茶道上田宗そう

箇こ

流家元)、

椋むく

田だ

昌まさ

夫お

氏(広島電鉄株式会社代

表取締役社長)、坪つ

井い

宏ひろし

氏(広島

信用金庫会長)、渡わ

たなべ辺

博ひろゆき之

氏(故

人・ドリームベッド株式会社社

長)の各氏に加わっていただき、

二〇一二年(平成二十四年)十二

月の設立総会をへて活動を開始し

ました。

 

二〇一四年(平成二十六年)四

月、再開したハノーバー訪問団は

青少年の代表十四人、和楽器奏者

五人、広島電鉄社員四人、株式会

社アンデルセン社員三人など計

三十一人からなり、ハノーバー

市では、市長表敬訪問、平和祈念

施設エギディエン教会での追悼行

事などに加え、青少年のホームス

テイ、市庁舎での邦楽演奏会、路

面電車とバスを運営するユース

トラ社訪問などを行いました。�

二〇一五年(平成二十七年)十月

には、ハノーバーから十二人が来

広して広島市長への表敬訪問、原

爆死没者慰霊碑(広島平和都市記

念碑)への参拝、広島ハノーバー

友好協会との交流パーティーなど

を行いました。ハノーバー市へ

の訪問は二〇一六年(平成二十八

年)にも二十二人で行い、今年、

二〇一八年は交流開始から五十年

目の節目にあたり、四月には広島

市からハノーバー市へ(青少年

十七人を含む三十四人)、八月に

はハノーバー市から広島市へ(九

人)の相互訪問が実現しました。

ハノーバー市の広島ハイン(林

園)、広島市のハノーバー庭園で、

ともに記念植樹を行い、交流の歴

史の新たな一ページを加えていま

す。

 

今後とも、青少年を含めた各層

の人々の人的往来が相互理解を生

み、世界平和達成の一歩となるこ

とを信じてこの交流を大切に続け

てゆきたいと思っています。

(平成三十年九月寄稿)

プロフィール〔いない こうき〕

1974年広島大学医学部卒業。1990年か

ら 2012年まで広島大学医学部教授。こ

の間、2002年から2006年まで医学部長。

専門は人体病理学。1963年から広島国

際青少年協会に入会、2011年から一般

社団法人となった同協会の代表理事、

2012年から一般社団法人広島ハノーバー

友好協会会長を務める。

ドイツ・ハノーバー市との青少年交流

一般社団法人広島ハノーバー友好協会

会長 井内 康輝

“平和について思う”

再生紙を使用しています

ハノーバー訪問団(2014 年)