いすゞ ジェミニの軌跡
いすゞ自動車株式会社
辻村 百樹(広報部)
いすゞ自動車は、1992 年に経営資源を商用車とSUVおよびディーゼルエンジンビジネスに集中することを決定し
1993 年を以って乗用車の生産を終了した。しかしながら、1974 年に誕生以来、3世代に渡っていすゞ乗用車の主力と
して人気を博して来たジェミニは、ご愛顧戴いたお客様をはじめ、多くの方々の記憶に、今も残っているものと確信して
いる。
ジェミニの誕生
ジェミニが誕生したのは 1974 年。1971 年に米国 GM
社と資本提携したいすゞは、小型乗用車ベレットの後継
車開発にあたり、GM の子会社である西ドイツ(当時)オ
ペル社のカデットをベースとすることとした。カデットは如
何にもヨーロッパの小型車らしく、シンプルなスタイリング
と広い室内空間および広大なトランクスペースを備えて
いた。
いすゞはカデットの基本ボディとサスペンション構造に、
いすゞ製 1.6 ㍑ エンジンを搭載するとともに、内外装を
日本市場向けにデザインに仕上げ、名称をこの車の成
り立ちに相応しく「ジェミニ(双子座)」と名付けた。
ジェミニは、“大きく豪華に見せる”という当時の国内乗用
車の風潮とは対照的な、シンプルなデザインとスポーティ
ーな走りが、都会派の若者を中心に受け入れられ、隠れた
人気車種として高い評価を得ることが出来た。また、1980
年には大規模なフェイスリフトを行なうと共に、乗用車専用
に開発された新世代の 1.8 ㍑ディーゼルエンジンと、その
後ラリーなどのモータースポーツで活躍する 1.8 ㍑DOHC
ガソリンエンジンを搭載したZZ(ダブルズィ-)を追加した。
ジェミニディーゼルは、新開発の乗用車専用 1.8 ㍑ディ
ーゼルエンジンを搭載し、騒音・振動・加速の鈍さといった、
それまでのディーゼルエンジンのマイナス面を、総てに亙
って払拭した画期的な車両であった。またこの時期は第二
次石油ショックの影響で、ガソリン価格が高騰しており、ジェミニディーゼルは瞬く間に市場に受け入れられ、その後デ
ィーゼル乗用車のベストセラーの地位を独走した。
こうして初代ジェミニは、1974 年から 1986 年まで 12 年間にわたり 769,000 台が生産された。
FFジェミニ登場
1985 年に発売された2代目ジェミニは、エンジ
ン・駆動方式をはじめとして、総てを新たに開発
する文字通りのフルモデルチェンジを行い、そ
の名もFFジェミニとして発売された。 米国市場
を意識してクラスを一回り小さくしたものの、コン
セプトを“クオリティ コンパクト”として、乗る人に
とって本当に必要な機能を磨き込み、それを凝
縮することによって、小さいながら質感の高い独
特の存在感を実現した。
開発の狙いは、
�クリーンでシンプルなデザイン
�ヨーロッパ感覚の快適なインテリアスペース
�しなやかで俊敏な走り
�すみずみまで気を配った品質
であり、スタイルやその走りなど、総てにわたって狙い通りに仕上がっていた。
FFジェミニ広告作戦
FFジェミニは、それまでの国産車にはなかった、“小さいけれどヨーロピアン感覚の、おしゃれでキビキビとした走り
のクルマ”というキャラクターを持っていた。しかし、いわゆる大衆車クラスが主戦場であり、その中にあって後発のFFジ
ェミニが一定のポジションを得るのは至難の業であり、乗用車の販売力が弱いいすゞの戦略を危ぶむ声も多かった。
激戦の市場で存在感を得るには、当然広告宣伝活動が重要になる。ところがいすゞの規模では、潤沢な予算による
広告の大量投下は不可能であり、従来とは異なる手法を編み出す必要に駆られていた。
当時の自動車広告の主力は、有名な俳優やタレントを起用するイメージ広告だった。これはタレントの個性とクルマ
のコンセプトが一致すれば非常に効果的だが、得てしてタレントが主でクルマが従となり、クルマの本質が伝わりにくい。
また、目立つ有名タレントには相応の高額なギャラが必要だった。
FFジェミニは、広告展開においてもクルマのコンセプトから逸脱しない、クルマのキャラクターを 大限に伝える方
策を模索していた。従ってその時点でタレント使用のイメージ広告は選択肢から外れたが、タレント広告の様に、脳裏
に残る強い印象が必要だった。
脳裏に残るためにはイコール目立つことが必要となる。しかし広告の世界では目立つことが手段ではなく目的になる
傾向がある。つまり「広告は面白いけど、何の広告だったか記憶にない」ということが起こりがちである。
少ない広告予算を無駄には出来ない、けれどジェミニを印象付ける目立つ広告にしなければならない。こうした命題
を前に、ひとつのキャッチコピーが生まれた。
街の遊撃手
開発の狙いにある様に、FFジェミニのキャラクターは“小さいけれどヨーロピアン感覚の、おしゃれでキビキビとした
走りのクルマ”。この中のキビキビした走りから想起したのが野球の遊撃手だった。常に俊敏に頭脳的なプレーをする
遊撃手は、ジェミニの走りのイメージにぴったりだった。しかし遊撃手だけでは野球のイメージが強すぎて、しゃれたセ
ンスは表現出来ない。そこでジェミニがもっとも
似合う走りの場面を想像して付加されたのが、
街という言葉であった。街の遊撃手 これにより
ジェミニの、街中でキビキビ走るクルマというキャ
ラクターを文字に置き換えることが出来た。
次の課題がビジュアル表現。こちらはストレー
トにヨーロッパの街角にジェミニを置くことにより
質感、本物感を表現することとした。当時は現
在の様にCG合成などの技術が未熟であり、質
感を実現するには現地ロケを行なうことが必須
であり、パリにて撮影を行なった。また、発売時
のテレビCFについても、新聞広告やカタログと連動して、“パリの街中や郊外に溶け込むヨーロピアンなジェミニ”を表
現した。
無難なスタート。しかし…
こうして 1985 年 5 月FFジェミニは発売された。コンセプトは自動車評論家から高い評価を得ると共に、メインターゲッ
トとした 20 代後半のヤングアダルト層を中心に、予想通りの売れ行きを見せていた。 しかしながらそれはあくまで予想
の範囲であり、無難なスタートは切ったものの、それ以上の強い盛り上がりはみせなかった。
クルマのポテンシャルに密かに自信のあった宣伝部は、ここで大胆な決断をする。いくら良いクルマでも、目立たな
ければ認知されない。認知を促進するには一方的に情報を伝達できるテレビCFが相応しく、テレビCFをとにかく目立
つものに替えようというものだった。その決断をしたのは、発売からわずか 3 ヶ月後。宣伝計画は通常 1 年単位で行な
われ、また評価を分析するのは半年後というのが常識であったから、広告代理店にとっても晴天の霹靂であった。
クルマが踊る
新たなテレビCFを計画するに当ってのコンセプトは
�ユニークで目立つこと
�あくまでジェミニが主役であること(タレントは使わない)
�ヨーロピアン感覚をはじめ、ジェミニのキャラクター
から乖離しないこと
�シリーズ展開が可能なこと
�高品質で完成度が高いこと
というものであり、この総てを満足するCFなど本当
に生み出せるのか、と関係者は頭を抱えた。
そんな時広告代理店のプロデューサーが通勤途
中何気なく目にしたのが、中古車店に並んで展示
されていた色違いの外国製スポーツカーだった。
彼の脳裏にこの2台のクルマが街中を走り抜けるシ
ーンが浮かんだ。しかも踊るように走るシーンが。
これがきっかけとなり、新しいテレビCFのイメージ
が急速に固まっていった。ジェミニがパリの街中を
駆け抜ける。それも2台がペアとなってダンスを踊る様に、軽やかにステップを踏むように走り、 後にポーズを決めると
いうものが構想された。 関係者の評価も高かったものの、しかし夢の中ではともかく(繰り返すがCGが普及していなか
った時代に)実際にその様な映像が実現出来るのか、皆半信半疑であった。
しかし、それらの疑問をいとも簡単に払拭してしまったのが、フランスに本拠を持つ、レミー・ジュリアン アクションチ
ームだった。007 映画シリーズでカーアクションを担当するこのチームにこのプランを打診したところ、翌週には 1 本のビ
デオテープが送られてきた。そこには彼らの保有するトレーニンググラウンドで 2 台の小型乗用車がプラン通りの、いや
それ以上の見事なダンスを踊るシーンが収録されていた。 これにより、直ちにジェミニの新しいテレビCFの制作に GO
サインが出された。
ジェミニダンシングシリーズ
新しいCFはパリを
舞台に撮影が始まっ
た。しかし出来上がっ
た優雅な映像とは裏
腹に街中での撮影は
苦労の連続だった。
日光の関係で映像が
撮れるのは朝方か夕
方のみ。しかもパリの夜明けは遅く、撮影はまさに通勤ラッシュと同じ時間帯となってしまう。その中でパリの目抜き通り
を封鎖して撮影を行なうのだから、周辺は大渋滞とクラクションの嵐に包まれてしまい、挙げ句に業を煮やしたドライバ
ーが怒鳴りながら次々と撮影現場に押し寄せてくる。 ところがそこは芸術の都、交通整理はパリ警察が全面協力してく
れたほか、怒っていたド
ライバー達も現場で見
事なスタントシーンを目
撃すると、拍手喝采して、
笑顔で引き上げていっ
た。
パリの地下鉄ホームに
ジェミニが入っていって
しまうCFでは、どうしても
クルマが通り抜けられな
い地下通路があったが、
地下鉄公団の担当者が
現場で一言「現状復帰
を条件に壁をぶち抜い
て結構」これには逆にス
タッフの方が仰天してしまった。ジェミニ ダンスシングシリーズCFは 1986 年の正月からオンエアされた。正月三が日は、
家でテレビを観ている人が多いとの分析によって、3 日間の夕方から夜に集中して放映するという作戦だった。
正月明けの初日、各地のいすゞ販売会社には過去にない程をお客様が来店し、「CFのクルマを観に来たと」と口に
されていた。計画は予想以上の反響を呼んでいたのだった。
おわりに
こうしてFFジェミニは一躍人気車に数えられるようになり、多く
のお客様から高い評価を頂戴した。そしてジェミニは、基本コン
セプトの確かさと、広告宣伝の人気にも支えられて、初代から通
算で 1,924,000 台が生み出された。
いすゞは乗用車生産から撤退したが、そのクルマづくりの精神
は、商用車にエンジンに脈々と受け継がれている。
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