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埋蔵文化財ふしぎ発見! 特集 2旧石器 縄文 弥生 古墳 奈良 鎌倉 室町 安土・桃山 平安 紀元前 10000 紀元前 400 0 300 400 500 600 700 794 1192 1336 1568 時代 年代 使64570114671600▲H遺跡の中世墳墓群 ▲旧石器時代のナイフ型石器 八里向山A~J遺跡の10遺跡があり、 この遺跡群だけでも年表ができてしま うほどです。また、集落、古墳、窯跡、寺 院跡、中世墳墓群といったいろいろな 種類がそろい、豊富な内容を誇る遺跡 群です。 今から1.5~2万年前の槍先やナイ フなどの石器の中には、関東や信州、瀬 戸内地方の影響を受けたものもあり、 広い交流のあとがうかがえます。 JR小松駅の東側一帯に広がる弥 生時代の集落遺跡。膨大な量の土 器や石器、木製品が出土し、特に木 製品は工具や武器、祭祀具など種 類も豊富。集落では玉生産や木器 生産が行われ、北関東地方から中 国地方まで広範囲に及ぶ地域間交 流が行われていました。 遺物の量と質は、北陸の弥生集 落遺跡では類を見ないもので、モ ノと人とが集まった北陸の中心地 であったようです。 平成18年に石川県指定有形文 化財になっています。 ▲木製容器 矢田野エジリ古墳は、6世紀に造られた全長約30m の前方後円墳です。墳丘と埋葬施設は失われていまし たが、周溝からは、形象埴輪13体を始めとする数多く の埴輪が出土しました。冠をつけた男子、神につかえた 巫女、馬飼い人を従えた馬上の男子などがあり、葬列 の様子を表現したのではないかと考えられています。 これらの埴輪は、平成9年に国の重要文化財に指定さ れ、小松が全国に誇れる文化遺産の一つといえます。 遺跡をたどると、その 時代の文化や暮らしが 見えてくるよ。 八里向山遺跡群 やさとむかいやまいせきぐん (旧石器時代~奈良・平安時代、室町時代) 上八里町・下八里町 八日市地方遺跡 ようかいちじかたいせき (弥生時代中期) 日の出町 額見町遺跡 ぬかみまちいせき (飛鳥・奈良時代~平安時代) 額見町 矢田野エジリ古墳 やたのえじりこふん (古墳時代) 矢田野町 ▲円筒埴輪 ▲馬・馬に乗る人・馬子のセット 人物埴輪▶ 飛鳥 約25万㎡を超える飛鳥時代から平安時代の大規 模な集落跡。オンドルカマドをもつ住居跡が多数発 見され、朝鮮半島から渡来した移民たちの大集落と 分かりました。人々は鉄作りや土器作りをする職人 であったようです。 ◀密集する竪穴 住居群 710 2 広報こまつ 2010.3 3

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Page 1: 特集 - Komatsu › material › files › group › 6 › ... · 2018-08-21 · たものです。と、発掘調査の内容をまとめ出土品を正確に計測したもの査報告書という本を作ります。皆さんに見せるため、発掘調出土品が出てきたか、全国の

埋蔵文化財ふしぎ発見!特集

み こ

埋蔵文化財

 ふしぎ発見!

 埋蔵文化財は、私たちの祖先がその時代をどのように

暮らしてきたのかを今に伝える貴重な資料です。そこに

は、先人たちの多くの知恵と工夫を見付けることができ

ます。

 古代ロマンに思いをはせ、埋蔵文化財の不思議な魅力

と、このまちを築いた祖先の足跡を訪ねます。

小松の遺跡

2万年の歩み

小松城跡

旧石器縄文弥生古墳奈良鎌倉室町安土・桃山 平安

紀元前10000

紀元前4000300400500600700794119213361568

時代年代

小松の主な遺跡

日本の動き

八里向山D遺跡

念仏林遺跡

山崎遺跡

六橋遺跡

八日市地方遺跡

梯川鉄橋遺跡

吉竹遺跡

千木野遺跡

埴田後山古墳群

三湖台古墳群

南加賀窯跡群

矢田野エジリ古墳

額見町遺跡

南加賀製鉄遺跡群

佐々木遺跡 松梨遺跡

荒木田遺跡

漆町遺跡群

高堂遺跡

国府台地遺跡群(国府推定地)

浄水寺跡

中宮八院

銭畑遺跡

波佐谷城跡

氷河時代

石器による狩猟生活

土器の発明

弓矢の使用

狩猟、木の実などの採集、

魚を取る生活

稲作の始まり

鉄器・青銅器の伝来

古墳の出現

近畿地方を中心に大き

な政治勢力発生(大和

朝廷)

須恵器の生産開始

仏教伝来

中央政権の確立

国家制度の整備

645年

大化の改新

701年

大宝律令

奈良に都が置かれる

京都に都が置かれる

平氏政権全盛を迎える

源頼朝、平氏追討のた

め伊豆で挙兵

源頼朝、鎌倉に幕府を

開く

足利尊氏、室町幕府を

開く

織田信長入京

1467年

応仁の乱

1600年

関ケ原の

戦い

▲H遺跡の中世墳墓群

▲旧石器時代のナイフ型石器

 八里向山A~J遺跡の10遺跡があり、この遺跡群だけでも年表ができてしまうほどです。また、集落、古墳、窯跡、寺院跡、中世墳墓群といったいろいろな種類がそろい、豊富な内容を誇る遺跡群です。 今から1.5~2万年前の槍先やナイフなどの石器の中には、関東や信州、瀬戸内地方の影響を受けたものもあり、広い交流のあとがうかがえます。

 JR小松駅の東側一帯に広がる弥生時代の集落遺跡。膨大な量の土器や石器、木製品が出土し、特に木製品は工具や武器、祭祀具など種類も豊富。集落では玉生産や木器生産が行われ、北関東地方から中国地方まで広範囲に及ぶ地域間交流が行われていました。 遺物の量と質は、北陸の弥生集落遺跡では類を見ないもので、モノと人とが集まった北陸の中心地であったようです。 平成18年に石川県指定有形文化財になっています。

▲木製容器

 矢田野エジリ古墳は、6世紀に造られた全長約30mの前方後円墳です。墳丘と埋葬施設は失われていましたが、周溝からは、形象埴輪13体を始めとする数多くの埴輪が出土しました。冠をつけた男子、神につかえた巫女、馬飼い人を従えた馬上の男子などがあり、葬列の様子を表現したのではないかと考えられています。 これらの埴輪は、平成9年に国の重要文化財に指定され、小松が全国に誇れる文化遺産の一つといえます。

 小松で人類の営みが始まったのは

約2万年前。八里向山遺跡群からそ

のころの石器が見付かっています。

弥生時代の拠点集落遺跡「八日市地

方遺跡」を始め、重要文化財の埴輪が

出土した「矢田野エジリ古墳」、渡来

系移民たちの大集落遺跡と考えられ

る「額見町遺跡」など、小松には全国

的に注目される遺跡があります。

これらの遺跡から、はるか昔にこの

地で生きた私たちの祖先の暮らし、

小松のルーツが見えてきます。

遺跡をたどると、その時代の文化や暮らしが見えてくるよ。

特集

八里向山遺跡群やさとむかいやまいせきぐん

(旧石器時代~奈良・平安時代、室町時代)上八里町・下八里町

八日市地方遺跡ようかいちじかたいせき

(弥生時代中期)日の出町

額見町遺跡ぬかみまちいせき

(飛鳥・奈良時代~平安時代)額見町

矢田野エジリ古墳やたのえじりこふん

(古墳時代)矢田野町

▲円筒埴輪

▲馬・馬に乗る人・馬子のセット人物埴輪▶

千代能美遺跡

河田山古墳群

飛鳥

八里向山H遺跡

軽海中世墓

 約25万㎡を超える飛鳥時代から平安時代の大規模な集落跡。オンドルカマドをもつ住居跡が多数発見され、朝鮮半島から渡来した移民たちの大集落と分かりました。人々は鉄作りや土器作りをする職人であったようです。

◀密集する竪穴住居群

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2広報こまつ 2010.33

Page 2: 特集 - Komatsu › material › files › group › 6 › ... · 2018-08-21 · たものです。と、発掘調査の内容をまとめ出土品を正確に計測したもの査報告書という本を作ります。皆さんに見せるため、発掘調出土品が出てきたか、全国の

 何千年、何万年もの間、土の中で眠ったままだった家や建物の跡、墓の跡、生活道具

や装飾品などの出土品は、開発工事などでなくなってしまうと、それまでの歴史や文

化の成り立ちを理解できなくなってしまいます。国民共有の歴史財産でもある埋蔵

文化財を保存して次代へ継承することが、埋蔵文化財調査の役目です。

 では、その作業はどのように行われているのでしょうか。

 開発工事を行う予定地が埋

蔵文化財の範囲内またはその

近隣地である場合、埋蔵文化

財の有無や状況を確認するた

め試掘調査を行います。この調

査で埋蔵文化財が発見され、

開発工事によってどうしても

壊れてしまう場合は発掘調査

に進みます。

 土の中に埋もれている家や

建物などの昔の人の暮らしの

跡、生活道具や装飾品など使っ

ていた物を探して掘り出しま

す。どのような暮らしの跡があ

り、どのように造られ、埋もれ

ていったのか、また、生活道具

などの出土品はどこから出て

きたのかなどを調べます。

 発掘調査で調べた内容を写

真や図面で記録します。発掘

調査が終わると、遺跡はなく

なってしまい、出土品と記録だ

けが残ることになるので、記録

は丁寧に正確に行います。

 泥だらけの出土品をきれい

に洗います。出土品には土器、

石器、木器などがありますが、

性質に応じて洗い方を変えて

います。その後乾燥させて、出

土品の破片一つ一つに出土し

た場所を記入します。

 割れて出土したものは、破片

をくっ付けていき、本来の形に

します。これを接合・復元と言い

ます。1か所にまとめて捨てた

ようなものは比較的楽に接合・

復元できますが、大抵は土器の

模様とにらめっこ。ピーンとい

うひらめきでくっ付くものも。

 どんな遺跡があって、どんな

出土品が出てきたか、全国の

皆さんに見せるため、発掘調

査報告書という本を作ります。

出土品を正確に計測したもの

と、発掘調査の内容をまとめ

たものです。

試掘調査

発掘調査

記録保存

出土品の洗浄

出土品の接合

報告書作成

1

2

3

4

5

6

発掘現場は学びの場所

 発掘作業員になって10年以上に

なります。もともと埋蔵文化財に興

味があり、よく学習会などに出掛け

ていましたが、実際に発掘作業を体

験してみると、さらにはまっていき

ました。

 微妙な土の色の違いを見極めな

がら、土器を割らないように力を抜

いて堀っていき、大きな土器を見付

けたときは、本当にうれしい。昔の

人がどんな思いでこの土器を作っ

たのかを想像すると、感慨深いです

ね。

 現場では、監督である調査員から

いろいろなことを教わっています。

毎回の作業が学ぶ機会だと思って

います。

ぴったり合ったときはうれしい

 遺物の分類や接合、復元、実測な

どの作業をしています。初めは土器

の表と裏もよく分かりませんでし

たが、目で色を見分け、手触りで堅

さや質が区別できるようになると

面白くなってきました。

 一番大変なのは接合作業です。

立体なので組み合わせが難しく、最

後の最後でパーツがはまらなかった

こともありますが、美しい曲線を描

いた土器に復元できたときは、やっ

た!という達成感があります。

 歴史的資料として貴重な埋蔵文

化財のお仕事に携わることができ、

やりがいを感じています。

國本 久美子さん 纐纈 武さん

礼を言うぞ。 見付けてもらえて良かったですね。

▲埴田後山無常堂古墳出土銅製四獣鏡

埋蔵文化財発掘作業員埋蔵文化財整理作業員

地中から、今よみがえる…

大発見の舞台裏

八日市地方遺跡出土の人面付土器です。

▶八日市地方遺跡出土

魚形木製品

こうけつ

埋蔵文化財ふしぎ発見!特集

4広報こまつ 2010.35

Page 3: 特集 - Komatsu › material › files › group › 6 › ... · 2018-08-21 · たものです。と、発掘調査の内容をまとめ出土品を正確に計測したもの査報告書という本を作ります。皆さんに見せるため、発掘調出土品が出てきたか、全国の

埋蔵文化財が伝える

メッセージ

やっぱり渡来人が住んでいた額見町遺跡の渡来人の住居跡(飛鳥時代) カマドの煙道を壁伝いに曲がらせ、屋内に蓄熱作用を促したオンドルカマドのついた住居です。朝鮮半島にルーツがあり、半島からの移民が作ったようです。 このカマドは初代の人々だけで、次世代では煙道が短くなり、最終的に日本の通常のカマドになります。渡来人の生活様式が次第に日本化する経過が見えます。オンドルは、日本の気候には熱過ぎたのでしょうか。

小さな発見の積み重ねで

歴史が見えてくる

 遺跡を見ていると、そこに昔の

人がいるように感じることがあ

ります。例えば、奈良・平安時代に

須恵器を焼いていた窯には、手で

粘土を塗り込み何度も修理した

跡があります。その手跡の大きさ

や形を見ていると、昔の人が一生

懸命に作業している姿が浮かん

でくるのです。

 矢田野エジリ古墳の巫女が祈

っている埴輪は、今と同じように

両手を合わせ、私たちに祈りの原

点を教えてくれているような気

がしますよね。

 埋蔵文化財の調査は、大きな発

見もありますが、ほとんどは小さ

な発見の積み重ねです。この地道

な作業によって、歴史の1ページ

に新たな真実が加わることもあ

ります。一つ一つの発見からその

時代の人々の息づかいを感じ、伝

え残していくことが、私たちの大

切な使命だと思っています。

大橋 由美子さん

「能美」は「野身」だった佐々木遺跡「野身郷」墨書土器(奈良時代) 「野身郷」とは平安時代の古文書にある、能美地域にあった村の名。“能美”が、もともとは“野身”であったことを物語っています。

豊穣を願う人々の気持ちは今も昔も同じ八日市地方遺跡出土の絵画土器(弥生時代) 弓をもった狩人とシカが描かれています。シカは土地の聖霊、聖獣とされ、稲作の豊穣祈願のシンボルであったため、この絵画土器は日常生活ではなく、祭りなど特別な場で使用されたと考えられています。 弥生時代に稲作技術が伝わり、自ら食料を生産するようになった人々にとって、作物の豊かな実りを願う祭りは重要行事だったことでしょう。埋蔵文化財センター

     オープン

425

 小松市埋蔵文化財センターは、旧原保育所を改修し、2階建ての新館を増築したもので、館内には、展示室、研修室、特別収蔵庫、整理作業室などを備えています。展示室では企画展を開催するほか、古代体験や出土品整理作業体験を行うことができます。

問い合わせ埋蔵文化財調査室☎24・8132(4月1日以降は☎47・5713)

c om i n g s o o n !

 発見された遺跡や遺物の特徴を分

析すると、その時代の生活習慣や産業、

文化などが分かってきます。

 当時の人々は何を思い、どんな生活

を送っていたのでしょうか。埋蔵文化

財から伝わってくる先人たちの声に

耳を傾けてみましょう。

埋蔵文化財調査室

祈り続けて1500年余り。これからもみんなが平和に暮らせますように。

皆さんは、弓を持った人とシカが分かりますか?

原町に

所在地 原町ト77番地8(原保育所跡)開館時間 9時~17時(入館は16時30分まで)

教えてくれたのは、埋蔵文化財調査室の川畑さんです。

こんなことが分かるよ~。

まさか21世紀の皆さんに会えるとは。埋蔵文化財って奥が深いね…。

来て、見て、体験して、古代ロマンの世界へ● ●

MAP

小松市

加賀産業開発道路

小松駅

至中ノ峠

埋蔵文化財ふしぎ発見!特集

蔵文化財センター小松市

Komatsu City Archaeological Research Center

じょう

弥生時代もリサイクルブーム⁈八日市地方遺跡出土の勾玉(弥生時代)

 紐を通す穴の部分が欠けてしまいましたが、その部分を磨いて修理しています。瑪瑙製のきれいな勾玉だったので、壊れても大事に直して使ったのですね。

めのう

ひも

まがたま

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