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119 シュルレアリスムと近代 ―マックス・エルンストの1930年― Surrealism and Modernity: A work in 1930 of Max Ernst 本田 悟郎 HONDA Goro 概要(Summary) 本稿ではダダからシュルレアリスムへ至る美術動向と関係性の深いエルンストの作品展開を論 じ、美術史における近代の美術概念を考察する。エルンストは1929年の『百頭女』 (註1) や1930年 の『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』 (註2) 、1934年の『慈善週間または七大元素』 (註3) などコラージュ・ロマンの大作を刊行した。それはエルンストの仕事を代表するばかりか、 シュルレアリスムの動向にとっても不可欠な取り組みであった。本稿では、生涯にわたりとかく複 雑な様相を呈したとされるエルンストの作品展開の根幹を成すものとしてコラージュやフロッター ジュの技法を駆使し書物の形式で作品制作をしたことの意義を検討する。また、エルンストの同時 期の油彩絵画と比較することで、その芸術世界とモダニズム美術について考察するものである。 This study examines the works of Max Ernst, a major figure in surrealism, in addition to modern artistic concepts of art history. Ernst printed his famous collage-works such as 1929’s“La Femme 100 têtes”, “1930’sReve d’une petite fill qui voulut entre au Camel” and 1934’s“Une semaine de Bonté ou les Sept éléments capitaux.” These works are not only representative of him as an artist but they also signify an essential approach within the surrealist movement. This study also examines the significance of Ernst’s works in book form using the collage and frottage techniques, which then formed the basis for his complete oeuvre and its many complicated aspects over the course of his life. By comparing these collage-roman works with Ernst’s oil paintings from the same period, this study considers the art world and modern art. キーワード:シュルレアリスム,マックス・エルンスト,コラージュ,主題,モダニズム 1.序 マックス・エルンスト(Max Ernst,1891~1976)は、ダダやシュルレアリスムにおける重要な美術 家の一人である。ドイツのケルン近郊ブリュールに生まれたエルンストは、1910年からはボンで、 美術史、文学、哲学等の人文学を中心に、法学、精神医学に至るまで実にさまざまな分野を総合的 に学んだ。この頃にはアウグスト・マッケと知り合い、1913年に「ラインの表現主義者展」に参加 している。翌1914年から1918年に従軍するも、この間にもベルリンやチューリッヒで作品が展示 された。そして、ハンス・アルプとの交友が深まり、また、パリのアンドレ・ブルトンとも手紙で の接触をもつようになった1920年頃から、エルンストはコラージュやフロッタージュなどの独創 宇都宮大学 教育学部(連絡先: e-mail:yug5256 @cc.utsunomiya-u.ac.jp)

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シュルレアリスムと近代―マックス・エルンストの1930年―Surrealism and Modernity: A work in 1930 of Max Ernst

本田 悟郎† HONDA Goro

概要(Summary) 本稿ではダダからシュルレアリスムへ至る美術動向と関係性の深いエルンストの作品展開を論

じ、美術史における近代の美術概念を考察する。エルンストは1929年の『百頭女』(註1)や1930年

の『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(註2)、1934年の『慈善週間または七大元素』(註3)などコラージュ・ロマンの大作を刊行した。それはエルンストの仕事を代表するばかりか、

シュルレアリスムの動向にとっても不可欠な取り組みであった。本稿では、生涯にわたりとかく複

雑な様相を呈したとされるエルンストの作品展開の根幹を成すものとしてコラージュやフロッター

ジュの技法を駆使し書物の形式で作品制作をしたことの意義を検討する。また、エルンストの同時

期の油彩絵画と比較することで、その芸術世界とモダニズム美術について考察するものである。

 This study examines the works of Max Ernst, a major fi gure in surrealism, in addition to modern

artistic concepts of art history. Ernst printed his famous collage-works such as 1929’s“La Femme

100 têtes”, “1930’sReve d’une petite fill qui voulut entre au Camel” and 1934’s“Une semaine

de Bonté ou les Sept éléments capitaux.” These works are not only representative of him as an

artist but they also signify an essential approach within the surrealist movement. This study also

examines the signifi cance of Ernst’s works in book form using the collage and frottage techniques,

which then formed the basis for his complete oeuvre and its many complicated aspects over the

course of his life. By comparing these collage-roman works with Ernst’s oil paintings from the

same period, this study considers the art world and modern art.

キーワード:シュルレアリスム,マックス・エルンスト,コラージュ,主題,モダニズム

1.序 マックス・エルンスト(Max Ernst,1891~1976)は、ダダやシュルレアリスムにおける重要な美術

家の一人である。ドイツのケルン近郊ブリュールに生まれたエルンストは、1910年からはボンで、

美術史、文学、哲学等の人文学を中心に、法学、精神医学に至るまで実にさまざまな分野を総合的

に学んだ。この頃にはアウグスト・マッケと知り合い、1913年に「ラインの表現主義者展」に参加

している。翌1914年から1918年に従軍するも、この間にもベルリンやチューリッヒで作品が展示

された。そして、ハンス・アルプとの交友が深まり、また、パリのアンドレ・ブルトンとも手紙で

の接触をもつようになった1920年頃から、エルンストはコラージュやフロッタージュなどの独創

† 宇都宮大学 教育学部(連絡先: e-mail:yug5256 @cc.utsunomiya-u.ac.jp)

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的な技法を駆使し、それまでの芸術を無効にするダダの理念や、オートマティスムによるシュルレ

アリスムの理論を支える数々の作品を導き出した。1941年のアメリカ渡航までを境に、美術家と

してのエルンストの初期の歩みはダダからシュルレアリスムへの展開とともにあり、まさにその主

流でさえあった。

2.キュビスムのパピエ・コレ エルンストのコラージュ作品以前、美術の変遷において、最も早い時期に明確な意図のもとに制

作されたコラージュは、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによる1912年の作とされている。

彼ら二人はこの時期ともにセザンヌの研究から試行を重ね、分析的キュビスムの段階から総合的キ

ュビスムへの移行期にあった。

 ピカソは《アビニヨンの娘たち》1907年を発表しキュビスムへ踏み入るきっかけを得ていた。

また、ブラックも、同年、セザンヌの回顧展が開催され、また、セザンヌの書簡集が公開されたこ

とでそれに感化を受けていた。セザンヌは「自然のあらゆる形態は球と円筒に還元できる」と考え

ていた。対象を単純な形態に分解することを試みたピカソとブラックも、そこから多くを学び得た

のである。1908年のブラックの絵画は「キューブ」と評され、翌年には「キュビスム」という言葉

が「メルキュール・ド・フランス誌」の論評に使用されるに至り、セザンヌにより開始された対象の

幾何学的分析の手法は、ピカソとブラックによって結実した。彼らは絵画に多視点の概念的な構成

を導いたのである。そして1912年の春、キュビスムは次の段階を迎える目前にあった。それまで

対象の分解に徹していたが、それをひとつの絵画としていかに再構成するということが制作のなか

で試みられた。ここで導かれたのがコラージュである。キュビスムでは、抽象的な要素に複雑に解

体された絵画に絵具以外の物質を取入れることで現実性を回復させるためにコラージュが用いられ

たのである。このキュビスムにおけるコラージュは美術史上、パピエ・コレという用語で区別され

る。コラージュ(collage)とパピエ・コレ(papier collés)はともにフランス語の「糊(colle)」という名詞

や「糊付けする(coller)」という動詞から派生した語であり、カンヴァスに絵具以外の物質を貼りつ

けることを意味する美術用語である。そして特にパピエ・コレは字義通り紙による貼りつけと認識

されものである。確かに、ピカソによる《籐編椅子のある静物》1912年(図1)では、印刷された籐編

模様のオイルクロスがカンヴァスに貼りこまれている。

 しかし、こういった素材による分類では、必ずしも厳密にコラージュの意味を捉えるとは言い難

い。なぜならば、このパピエ・コレという語はキュビスムにおけるコラージュにのみに限定して使

用される美術用語として理解できるからである。事実、キュビストによるパピエ・コレは同時代に

ことさら取り上げられず、そこから十数年を経てシュルレアリスムの思想的背景から記されたル

イ・アラゴンの「侮蔑された絵画」(1930年)に、マックス・エルンストのコラージュとの比較に

おいて触れられたからである(註4)。ここでは、マックス・エルンストの作品だけを「コラージュ」

と記述しながら、皮肉にも註として扱われたキュビスムの展開にも光が当たったのである。

 アラゴンはキュビスムにおけるパピエ・コレの意義を、「自己批判としての絵画」と考えた。そ

れはルネサンス以降の伝統的絵画に見られる対象の模倣とそれを成し得る卓越した画家の技巧に向

けられた抵抗である。アラゴンはピカソが《籐編椅子のある静物》で、籐編模様のオイルクロスを

画面に貼り込みオブジェによって模倣の否定が展開されることになったことを認めたのである。こ

の問題について、近代絵画における広範なコラージュの問題を優れた批評性をもって詳細に論じた

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『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』においては、「模倣に基づいた伝統的な

絵画の威光のはかなさといった別の脆さ、歴史的な亀裂を如実に物語っているのである。」 として、

20世紀の文化生成とモダニズムの原理に抗し、尚且つその文脈から見出されたものとしてコラー

ジュ生成の意義が述べられている(註5)。そもそもピカソは美術の伝統のみならず自らの創作そのも

のへの刷新を重ね、新しい道を切り拓いた美術家であった。青の時代からフォーヴィスムを経て、

そしてキュビスムの探究の中で新たな創作の手法としてコラージュが見出されたのである。

 さて、アメリカのクレメント・グリーンバーグはモダニズムの絵画展開に強固かつ的確な理論化

を導いた批評家であるが、キュビスムにおけるコラージュについて「コラージュはキュビスムの発

展における重要な転機であり、ゆえに今世紀のモダニズム芸術の全体における主要な転機となった」

と記している(註6)。グリーンバーグによるモダニズムの文脈においてキュビスムのコラージュは、

対象を模倣するイリュージョンを排除し、絵画における曖昧な平面性をつくる契機だったのである。

 このように、キュビスムに付随して誕生したコラージュの手法は美術のみなならず、その後の文

化概念をも刷新するものであり、キュビスムの功績そのものはアラゴンにとっては軽視されるべき

ものであったにせよ、しかし、それがパピエ・コレとして歴史的に区別されたことにはなおも大き

な意義が認められるのである。それはシュルレアリスムまたはエルンストによるコラージュとの相

違点によるものに他ならない。あくまでもキュビスムのコラージュはひとつの画面を統合させる意

図により現実の物質の導入が試みられたものである。これに対してエルンストのコラージュでは異

質な物がそれぞれの記号的特性を保持したまま、それぞれが共鳴するかのように画面に導かれてい

る。

3.マックス・エルンストのコラージュ原理 シュルレアリスムの運動を思想的に主導したアンドレ・ブルトンとポールエリュアールが1938

年にパリで催したシュルレアリスム国際展において発表した出版物に『シュルレアリスム簡約辞

典』がある。これはシュルレアリスムに関る人物およびこの運動で使用される用語を解説し、

1924年のシュルレアリスム宣言を補完するものとして二人によって編纂されたものである。シュ

ルレアリスムの中核をなしたオートマティスムの理論が絵画では実現不可能と看做されるに至り、

展覧会における作品の提示とあいまって『簡約辞典』は理論的な強化を図るものであった。このな

かのコラージュの項目にはマックス・エルンストの見解が掲載されている(註7)。

 「羽をつくるのは羽毛だが、コラージュをつくるのは糊ではない」

 「それは視覚像の錬金術のようなものである。視覚像の物理的乃至は解剖学的外形の変形を伴う、

あるいは伴わない、生物と事物の全的な変貌の奇蹟である」

 ここに表明されているようにエルンストは、コラージュとは物質的に何が使用されたかによって

規定されるものではないと考えていた。つまりコラージュはエルンストにとって絵画上の技法では

なく手法であった。事物がいかに画面上で構成され、どのように作用しあうかということがコラー

ジュにおける最も大きな関心事であったのだ。シュルレアリスムの根本原理を象徴するかのように、

度々彼らシュルレアリトに引用されたロートレアモンによる「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然

の出会い」という一節は、シュルレアリスムにおいては、特定の場で異質な事物が織り成す新たな

変容を的確に物語る言葉であった。すなわち、それはシュルレアリスムの重要な鍵となるオートマ

ティスムと結び付く考察を導く一文である。エルンストのコラージュ原理はまさにこういったシュ

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ルレアリスムの概念そのものを体現するかのようである。

 それでは、エルンストによるコラージュの発見はいつのことであったのか。それは自らの記述に

よって1919年とされている。

 「一九一九年、雨の日のこと、ライン川のほとりのとある町で人類学や微生物学、心理学、鉱物

学、古生物学などの教材カタログの挿絵を眺めていると、そこからさまざまな幻覚が生じ困惑させ

た。それは無関係のイメージが執拗に結合しあい、その不合理性から、二重、三重、多重のイメー

ジを次々とつくり、自らの幻視能力に誘発され記憶や夢想のような烈しい幻覚が生じたのである。」(註8)。

 これはエルンストのテキスト「絵画の彼岸」(1937年)によるもので、ことさら劇的にコラージュ

発見のきっかけを記したその語り口は、当時台頭していたサルバトール・ダリの偏執的絵画制作に

対抗するものであったとも推測されている。したがって、この年記はダダおよびシュルレアリスム

における自らの理論的補強によるものとも考えられ、さまざまに論証が試みられている(註9)。

 いずれにしても1919年と推定される作品にも、また、翌1920年の作品にも明確なコラージュ的

思考は認められる。《帽子が人間をつくる》1920年では、ペイントとコラージュを併用している

が、雑誌の切抜きによる帽子が画面上に構成されることによって、新たにそれを被る人間の存在を

も想起させる(図2)。キュビスムのコラージュと比較すべき点は、あくまでもキュビスムのコラージ

ュが描かれたものの補足であったのに対して、エルンストのコラージュは主たるイメージを惹き起

こすものとして扱われたという点である。

 シュルレアリスムの胎動期からその初期に至るまでの推移と重なるエルンストのコラージュによ

る仕事はシュルレアリスムの概念のために引用されたロートレアモンの言葉を裏付けるものでもあ

った。シュルレアリスムの展開を日本において同時代的に最も深く理論的に検証した瀧口修造によ

れば、シュルレアリスムおよびエルンストのコラージュは画面上における「予想と意識を超えた結

合の驚異」(註10)であり、この手法はシュルレアリスムの概念において既存の現実をデペイゼ(追放)

させ、驚異に満ちた出会いを誘発させることに他ならない。エルンストのコラージュは、貼り込ま

れた物質や絵画に描かれた事物が有する現実における本来の意味性を視覚的な連続性によって半ば

保ちながらも、また一方では、画面上における新たな関係性のもとに、その意味性を剥奪し再構成

するものである。

 ここで重要なのは、シュルレアリスムにおけるデペイズマン(dépaysement)の概念である。コラ

ージュはまさにその実践であったが、ブルトンはシュルレアリスムのデペイズマンにおいて重視さ

れるのは意味の剥奪と追放それ自体だと考え、デペイズマンに伴う新たな現実の生成には関心を示

さずにいた。しかし、エルンストのコラージュは作品として提示されたときに既に画面上で、新た

な現実が再構成されるとともに新たな意味が生成されているのである。エルンストのコラージュは

事物を日常的な関係から追放して,あり得ない新たな現実をつくりだすものであった。コラージ

ュ・ペインティングである《セレベスの象》1921年(図3)には、画面の上部で魚が空を飛び、下部

では頭部を欠いた石膏像の女性が佇むという不可思議な光景のなかで、鼻先にバケツのようなもの

を携え、背中に計測器のようなものをのせた機械的な生物が描かれている。現実には、この生物の

胴体はw・シュピースによってコラージュの引用先が解読されている(註11)。それによれば、胴体は

南スーダン、コンポワ族の食物貯蔵庫である。しかし、それは画面上において、あくまでも奇妙な

象の胴体なのである。この奇妙な生物による驚異的な空間構成こそがエルンストのコラージュに潜

むデペイズマンの概念である。それは画面上で本来の意味を半ば保ちながらも全体においては意味

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を剥奪し、新たな意味のもとに構成された空間である。

4.『博物誌』のフロッタージュからもたらされもの 科学雑誌や事典の挿絵から引用されたコラージュに言葉を添えて小説の形式で出版された1929

年の『百頭女』に至る以前、1926年にエルンストはやはり本の形態で『博物誌』を刊行している(

註12)。これはフロッタージュ(frottage)を複写した大判コロタイプ34点を収めたもので、フロッタ

ージュそのものは前年に制作されていた。フロッタージュとはフランス語で摩擦や擦ることを意味

するが、美術においては木目や粗布、石などの凹凸に紙をあて、鉛筆などで、その表面の形状を擦

り出す手法のことである。そして、この手法はエルンストによって発見され、初めて作品に用いら

れた。そのときのエピソードは次のようなものである。

 「少年の頃、夢うつつのなかで、ベッドの向かい側の模造マホガニーの壁板から幻想が浮かびあ

がったが、こうした記憶に始まり、ある雨の夜には、海辺のホテルの一室で、深い溝が次第に大き

く拡がってくる床の板目から幻覚が生じ、その視覚像が私を驚かせたのである。私はそのときその

幻惑の象徴性を探ってみようと数枚の紙片を偶然に任せて床に並べ、その上を鉛筆で擦ることを試

み一連のデッサンを得たのである。」(註13)

 エルンストはここでもコラージュの発見と同様に、自らの幻視能力に即して劇的にその発見を後

述している。このエピソードも恣意的な回想であったとも考えられるが、ここで語られた偶然性こ

そがこの手法の重要な要素と言えよう。実際にこの手法は知性や理性の参与を全く取り除くことは

不可能であるにしても、制作のプロセスこそが偶然性に委ねられているのである。物質に即して得

られる偶然のイメージに支配されることで、エルンストのフロッタージュはコラージュと同様にシ

ュルレアリスムのオートマティスムとデペイズマンを体現する手法に成り得ているということが認

められるのである。

 また、『博物誌』にまとめられた図像は、言葉とコラージュによる後に制作されたコラージュ・

ロマンにみられるようなある種のストーリー性によって展開されるものであった。『博物誌』のス

トーリーは大きなテーマに分類できる。まず、一つ目は最初の図像に象徴されるような自然界と自

然現象の場面である(図4)。そして次に物語りは植物的な図像から動物的な図像へと推移する奇妙

な生きものの図となる(図5)。最後に人間イヴの後姿の図像によって物語の幕が下りるのである(図

6)。最後の図像に附されたキャプションは「イヴ、我々に残された唯一の女」というもので、それ

はまさに旧約聖書に登場する最初の女性イヴの後ろ姿なのである。

 『博物誌』にまとめられた図像は、キリスト教文化圏における人間の誕生とも、また勿論、生物

学的な人類の誕生とも異なる新たな架空の物語を提供するものであった。オートマティスムのみな

らずこの点においてもコラージュと共通し、フロッタージュも意味の追放と新たな意味を創造する

シュルレアリスムにおけるデペイズマンの要素を内包した手法として極めて重要なものであったこ

とが理解される。そして、この取り組みは1929年以降のコラージュ・ロマンへと繋がる橋渡しの

役割としても特筆されるのである。

5.コラージュ・ロマン三作品について ここまでに述べたように、エルンストのコラージュは1930年前後に『百頭女』『カルメル修道

会に入ろうとしたある少女の夢』『慈善週間または七大元素』などコラージュ・ロマンの表現形式

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を完成させた。これらには一九世紀の書籍や科学誌『La nature』の図版がコラージュの素材とし

て引用された。当時の科学誌は、科学的な視野にもとづくものでありながらも、未だ解明されない

事象への好奇心に満ちたものであった。そこに掲載された図版は言わば科学黎明期のもので、今日

の視点から見ればそれ自体が実に不可解な図像を多数含むものであった。そして、あらゆる事物の

図像的な結びつきを想定したシュルレアリスムにおけるエルンストのコラージュにとってそれら全

時代の書籍はまさに興味深い図像の集積であったことは想像に難くない。エルンストはコラージ

ュ・ロマンにおいて一九世紀の書籍の挿絵が示した本来の意味を難解なストーリーのなかに新たに

転換させたのである。したがって、このようなコラージュによる図像の操作は、美術家の所作によ

る前時代への手厳しい批評を孕むものとも言えよう。

 『百頭女』というタイトルはフランス語の「百(cent)」 と「ない(sant)」の音を重ねた二重の意

味によるものである。百の頭からなるということは、すなわち、並外れた頭脳の人間か、あるいは、

ひとつの頭脳をも持ち得ないということである。これはつまり、単一的なアイデンティティの崩壊

を意味する同時代への過激なメッセージであり、同時代に普及する美術概念の無効化を志向するも

のでもある。

 同様に、ここでの物語も始まりから終わりへと推移して結論が導かれるような一元的な解釈が可

能なものではなかった。『百頭女』のコラージュ図版は冒頭のものと最後のものだけに同じ図版が

使用されているからである(図7)。図版は同じでありながらもそこに附された言葉は異なるものとさ

れた。冒頭は「犯罪か奇蹟か―ひとりの完璧な男」そして最後は「おわり そして つづき」という

文である。

 このような円環をなす物語の構造は、作品への単純な意味解釈自体を無効にするものと考えられ

る。それはまさにコラージュの手法によって、人々の多様な想像力の介入を誘発するものであった。

エルンストのコラージュそのものと同じようにコラージュ・ロマンに綴られた物語も単一の意味に

収めることのできない謎に満ちたものであったのだ。それは『百頭女』の後に刊行された二つのコ

ラージュ・ロマンにおいても共通する特性である。

 『百頭女』の翌年に刊行された『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』 は80点のコラ

ージュからなる。ストーリーはキリストの受難を背景とした内容であるが、そこには人々の共通理

解をくつがえすようなシュルレアリスム特有の仮像の世界観が重ねられた。

 物語は四幕で構成され、第一幕はある少女のカルメル修道会入会から始まり、父親からの助言や

少女と老修道女に分裂する場面がある。第二幕では、父からの助言に不安を抱き、また夢の中での

キリストとの婚姻への期待が描写され、第三幕では、人間の暴力的な側面が扱われた。そして物語

は、天のフィアンセ(キリスト)が少女のもとを去り、少女は夢から覚め、終幕を迎える。

 この作品においても、モダニズム的な単一的なアイデンティティの崩壊が少女の図像によって象

徴化されている。

 本の形態で出版されたこれらの場面には、演劇の台本に見られるような登場人物による対話形式

のキャプションが添えられている。それは次のようなものである。また、この作品においてもコラ

ージュの引用先に『La nature』が挙げられるが、内一点については前述したシュピースの研究に

よって判明している箇所のほかにもコラージュの引用先を新たに特定できたので併せて掲載する(図

8、9、10)。

 エルンストはフランスにおける異邦人であったが、だからこそコラージュ・ロマンによる寓意と

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象徴性によって、1930 年当時徐々に悪化へと向かうヨーロッパの政治的な状況や社会的な価値の

崩壊を見つめ得たのであろうか。この『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』は登場人物

が明確になり、『百頭女』よりも一層シアトリカルな性質を帯びるに至った。そして物語そのもの

の展開のなかで単一の思考が崩れゆく様が綴られているのである。

 その後、1934年に出版された『慈善週間または七大元素』にも同様の傾向が認められる。この

作品はコラージュ図版一八二点が収められ同様に本の形態で出版された。先の二作品とは異なり、

コラージュ図版に言葉は添えられず、代わりに人物像の大きさを際立たせたことで視覚的な効果が

強まり、図版だけで物語が推移するものである。

 また、この作品にはコラージュ図版下に添えられた言葉はないが、元素をあらわす五分冊それぞ

れに象徴的な詩句が与えられている。五分冊は紫・緑・赤・青・黄の順に出版され、それぞれの色には

物語の構成要素として元素と曜日が設定された。第一分冊に与えられた元素は「泥」であった。こ

こではライオンの図像とともに権力が取り上げられた。第二分冊では「水」を構成要素として人間

の暴力性をテーマとした。第三分冊は「火」に主眼を置き社会そのものを地獄に見立てた。第四分

冊は「血」をもとにエディプス王の物語に表われた人間性の問題を主題とした。もともとは「七大

元素」というサブタイトルのごとく七分冊で構想されていたが、金銭難により最後となった第五分

冊には「黒」「視覚」「未知」という三要素が集約された。これらは謎に包まれた世界を象徴的に示すも

のである。

6.結 ― モダニズムの文脈におけるエルンストの作品 ― シュルレアリスムのオートマティスムと密接な関係にあるマックス・エルンストのコラージュの

手法は、画面上で既存のイメージを解体し新たに再構成をするデペイズマンの原理を実行するもの

であった。そしてコラージュ・ロマンに至っては、コラージュを複製し公刊することによって、デ

ペイズマンの原理を作品内部の問題としてだけではなく、出版し世の中に公表することで、現実社

会への働きかけとしても作用し得るものに変換させたのである。社会の近代化とともに価値の多様

化と細分化が進み、物事はそれぞれの文脈の範囲で整理された。科学の進展や秩序的な社会に向か

う動因がそこに働き、近代社会において固定的な価値観が生成されて行く。これに対して、芸術が

人間と社会とをつなぐ架け橋として作用するものとしてエルンストのコラージュは文化的なメディ

アそのものであった。

 「モダニズムは、単に芸術と文学だけでなくそれ以上のものを含んでいる。今のところそれは、

我々の文化において生きているものの殆ど全てを含んでいるのである。」(註14)

 この一節はグリーンバーグの「モダニズムの絵画」の冒頭からの引用である。ここでは芸術と社

会、人間活動の様々な事象にモダニズムの原理が作用することを指摘している。そして、絵画にお

けるモダニズムの原理が自己批判的に絵画の特性である平面性を際立たせることを論じ、近代にお

ける絵画のイリュージョン性を次のようにまとめている。

 「古大家たちは、人がその中へと歩いて入っていく自分自身を想像し得るような空間のイリュー

ジョンを作り出したが、一方モダニストが作り出すイリュージョンは、人がその中を覗き見ること

しかできない。つまり眼によってのみ通過することができる空間のイリュージョンなのである。」(註15)

 これはモンドリアンのような抽象絵画をモダニズムの美術概念の典型的な顕れとして論じている

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もので、確かにモンドリアンの絵画には元となる現実の対象があるものの、絵画としてカンヴァス

に示されるものは再現的な空間性から大きく乖離した空間であることが判りやすい。これと同じこ

とがエルンストの《ロプロプを紹介するロプロプ》1930年のような油彩絵画にも指摘できる(図

11)。この作品は前景、中景、後景からなるが、その奥行きは浅く、前景の画中画、中景のロプロ

プ、後景の人物は、それぞれに平面的で一枚の紙をあたかもコラージュのように重ねて描かれてい

る。現実の空間比、モノの厚みからは異質な幻想性を帯びているといえよう。ロプロプはエルンス

ト自身を表すとされ、この絵はあたかも自画像のような存在であるが、それだけではなく、この絵

に示されている額装されながらも平面的な絵画を手にするロプロプの姿から、エルンストは、絵画

世界を二次元の出来事として積極的に現実世界と区別しているようにも看て取れるのである。

 エルンストの作品展開の根底には、コラージュやフロッタージュの発見を自ら回想した記述に示

されているような劇的な幻想性は存在し得ないかもしれない。その代わりに、現実の視覚像そのも

のに疑問を呈することができる新たなビジョンが明確に含まれていた。既成の図版から新たな意味

を発生させる原理が潜んでいたのである。それは他のシュルレアリストたち、特にサルバドール・

ダリに代表されるような写実的技巧を駆使した深層心理の描写とも異り、グリーンバーグのモダニ

ズム論にシュルレアリスムが無関係ではないことの証左として興味深い作例である。

 シュルレアリスムは美術史近代の文脈において特異な存在である。なぜならば、「モダニズムの

絵画」において指摘された絵画の純化を起因とする絵画の平面性の特化と再現的イリュージョンの

放棄を成し得ながらも、それ以外に、作品のメッセージ性を深化させていたからである。それは美

術家の深層心理と結びつくような現実世界を問い直す主題と言えよう。シュルレアリスム作品の多

様性、また、その後のエルンストの作品変遷にあって、本稿で取り上げたエルンストの1930年前

後の作品には平面性とメッセージ性がともに際立つのである。このような特性は、ニューペインテ

ィング以降、現代に至る美術の展開においても形を変えて顕れることとなるが、シュルレアリスム

には近代の美術変遷における特異点を導くことができるのである。それは、グリーンバーグの理論

に代表されるような平面性に純化するフォルマリズム的なモダニズム美術観から照らし出される近

代以降の造形変容の渦中にあって、尚も作品のメッセージ的主題性を軸にしていたからである。エ

ルンストの作品、そして、シュルレアリスムは、異質なものが画面上で響き合い、既成の価値から

離れた別世界のメッセージを送り届けるのである。

図1              図2              図3

      

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図4              図5              図6

   

            

図7図1 パブロ・ピカソ《籐編椅子のある生物》1912、コラージュ、油彩、

オイルクロス、カンヴァス、27×35㎝、パリ・ピカソ美術館/Pablo Picasso,Still-Life with chair caning,1912

図2 マックス・エルンスト《帽子が人間をつくる》1920、コラージュ、水彩、インク、紙、35.6×45.7㎝、ニューヨーク近代美術館/Max Ernst,The hat makes the man,1920

図3 マックス・エルンスト《セルべスの像》1921、油彩、カンヴァス、125.4×107.9㎝、テイトギャラリー/Max Ernst, Célèbes or Elephant Célèbes, 1921 ,

図4-6 マックス・エルンスト『博物誌』1926年、パリ、ジャンヌ・ヴュシェ社、フロッタージュのコロタイプ、49.4×33.5㎝/Max Ernst , Histoire Naturelle, 1926(図4 地球をめぐる小さな机/petities tables autour de la terre、図5 振り子の起源/l’origines de la pendula 図6 イヴ、我々に残された唯一人の女 /Eve,la seule qui nous reste)

図7 マックスエルンスト『百頭女』1929年、エディション・カルフール社、コラージュの木版、25×19㎝ /Max Ernst , La femme 100 têtes,1929

 

図8               図9              図10

       

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図8 マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』1930年刊(1929年制作)のコラージュ原物(挿図9、7×7.3㎝、挿図11、9.5×10㎝)、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵/Reve d’une petite fi lle qui voulut entrer au Carmel,1929/1930

マルスリーヌとマリー「私たちには、それがうれしく、誇らしく思えます。」天上のフィアンセ「私は妻なき神。餓えた神なのだ。たとえ絵のなかであっても、私は死ななければならない。」(彼は聖女マルトの広場へと立ち去った。)

図9(部分),図10 (全体)『ラ・ナチュール』刊行1889年、マッソン、記事1888年12月,17頁/L A NATURE,1889,G Masson, Article in December 1888, p17

図11

図11 マックス・エルンスト 《ロプロプを紹介するロプロプ》1930年、油彩,100×180㎝ /Max Ernst,

Lop Lop introduces Lop Lop

註1 Max Ernst,La femme 100 têtes,Paris,Éditions du Carrefour,20.Dezember.1929

註2 Max Ernst, Rêve d une petite fi lle qui voulut entrer au Carmel,Paris,Éditions du Carrefour,

 20.Dezember.1930

註3 Max Ernst,Une semaine de Bonté ou Les Sept éléments capitaux, Paris, Éditions, 

Jeanne,Bucher,1934

註4 L.aragon,La peinture au défi ,Exposition de collages,Paris Galerie Goemans,1930,P.10

註5 河本真理「レアリスムの問題」『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリ

ュッケ、二〇〇七年、一〇頁

註6 Clement Greenberg,collage,Art and Culture,Boston,Beacon Press,1961,p.70

註7 André Breton and Paul Éluard, Dictionnaire Abrégé du Surréalisme, Galerie Beaux-

Arts,Paris,1938 

本稿では江原順訳『シュルレアリスム簡約事典』(第二版)現代思潮社を参照、一九七六年、七頁

註8  Max Ernst,Au-delá de la peinture,aticle cite,1937,pp.16-18

註9 エルンストのコラージュ展開の端緒を探る研究としては、速見豊「マックス・エルンスト コ

ラージュの発見について」『美術史38(1)』美術史學會、一九八九年、一七―二七頁を参照

註10 瀧口修造『幻想画家論』新潮社、一九五九年、二一〇頁

註11 Werner Spies, Max Ernst Collagen,Dumont Buchverlag Köln,1988,nr571

註12 Max Ernst,Histoire Naturelle,Paris,Éditions,Jeanne,Bucher,1926

註13 Max Ernst,Au-delá de la peinture,aticle cite,1937,pp.33-36

註14 クレメント・グリーンバーグ、藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』「モダニズムの

絵画」2005、p.62

註15 同上、p.70

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参考文献 

本稿の執筆に際しては、註で示した引用文献以外にも次に記載する内外の文献を特に参考とした。

⑴アンドレ・ブルトン『超現實主義と繪画』瀧口修造訳、厚生閣書店、一九三〇年

⑵マックス・エルンスト『百頭女』巌谷國士訳、河出書房新社、一九七四年

⑶マックス・エルンスト『絵画の彼岸』巌谷國士訳、河出書房新社、一九七五年

⑷マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』、巌谷國士訳、河出書房

新社、一九七七年

⑸マックス・エルンスト『慈善週間または七大元素(小説)』巌谷國士訳、河出書房新社、一九七七年

⑹田淵晉也『シュルレアリスム運動体系の成立と理論』勁草書房、一九九四年

⑺イアン・タービン『エルンスト』新関公子訳、西村書店、一九九四年

⑻アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムとは何か』秋山澄夫訳、思潮社、一九九四年

⑼アンドレ・ブルトン『超現実主義宣言』生田耕作訳、中公文庫、一九九九年

⑽塚原史『切断する美学 アヴァンギャルド芸術思想史』論創社、二〇一三年

⑾展覧会図録『マックス・エルンストworks1910-46』佐谷画廊、一九八八年

⑿展覧会図録『マックス・エルンスト驚異と魅惑の幻想宇宙』岡崎市美術博物館、和歌山県立近代

美術館、二〇〇一年

⒀展覧会図録『シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅』埼玉県立近代美術館、岡崎市美術博

物館、山梨県立美術館、宮崎県立美術館、姫路市立美術館、二〇〇七年

⒁高尾歩「<甘美な屍>の作り方―エルンストのコラージュ・ロマンをめぐる一考察」『紀要』跡見

学園女子大学、二〇〇二年、一一九―一四八頁

⒂石井祐子「マックスエルンストの新しい神話」『デアルテ19号』西日本文化協会、九州芸術学会、

二〇〇三年

⒃浅川朋美「マックス・エルンストのコラージュー戦後世界における再生と希望」『立命館平和研

究』立命館国際平和ミュージアム、二〇〇四年、一三―二三頁

⒄浅川朋美「シュルレアリスム国際展(パリ,1938年)―展示方法に見る芸術運動の在り方―」

『立命館産業社会論集第40巻第2号』立命館大学、二〇〇四年、七三―九一頁

⒅「マックス・エルンスト作《カストルとポリュシオン》における雷雲のモティーフと自然現象の

テーマ」『美術史54(2)』美術史學會、二〇〇五年、二〇七―二二二頁

⒆長田謙一「古賀春江「海」(1929)と、<溶ける魚>―プロレタリア美術/マックス・エルンスト/バ

ウハウスと転回する機械主義―」『美學第57巻2号』美学会、二〇〇六年、二九―四二頁

⒇藤村里美「コラージュとフォトモンタージュ─写真黎明期のフォトモンタージュから日本の写真

におけるコラージュの受容まで」『紀要NO.6』東京都写真美術館、二〇〇七年、二七―三八頁

21神保京子「 岡上淑子とコラージュの世界―日本のシュルレアリスムにおける位置と活動」『紀要

NO.6』東京都写真美術館、二〇〇七年、五〇―六四頁

22Histoire De La Peinture Surréaliste,Marceljean,Ēditions du Seuli,1959

23Gaëtan Picon,Surrealism 1919-1939, Editions d Art Albert Skira,1977

24André Breton,Le Surréalisme et la Peinture,Gallimard,1979

25Ian Turpin,Max Ernst,Phidon,1979

26Werner Spies, MaxErnstŒuvre-Katalog,1906-1925,1925-1929,1929-1938,1939-1953,1954-1963,

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MenilFoundation,1975,1976,1979,1987,1998

27Werner Spies and Sabine Rewald, Max Ernst A Retrospective,The Metoropolitan Museumu of

Art,Yale ,University press,2005 

平成28年10月3日受理