リスク管理 - METI経済産業省サービス産業人材育成事業...

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経済産業省サービス産業人材育成事業 医療経営人材育成テキスト[Ver.1.0] 医療経営人材育成事業ワーキンググループ作成 13 リスク管理 おわりに

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経済産業省サービス産業人材育成事業

医療経営人材育成テキスト[Ver.1.0]

医療経営人材育成事業ワーキンググループ作成

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リスク管理おわりに

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はじめに

1 医療経営に携わる人材育成の    あり方について

① 医療サービスの課題と将来像の観点から

② 医療機関の経営層に求められる   スキル要件について

2 医療経営概論

医療経営を学ぶに当たって

経営戦略の構築

4 マーケティング

3 経営戦略

5 技術戦略

6 制度・政策

経営戦略の実行

8 組織管理 9 人材管理

13 リスク管理

7 戦略実行の考え方

11 会計管理 12 資金管理

おわりに

10 オペレーション管理

日本の医療の現状と本事業の狙いを、大所高所の視点から総 括する

医療機関経営の実情に照らした現実的課題と、短期・中期的 将来の考え方の例を示す

医療サービスおよび医療機関経営に見られる特性を考慮した 経営者に求められる知識・技能・姿勢などを示す

後段の講義内容を理解するために必要な基本的知識・思考方 法などを示す

経営戦略策定にかかわる基本的理論と実践的知識、ならびに 実際の経営環境への応用を促す事例を示す

日本の医療サービスを取り巻く法制度環境の、過去の経緯を 踏まえた現状を示し、将来環境の観察眼を養う

経営戦略を実行するための経営管理機能について、基本的理 論と経営的立場における実践的知識、ならびに実際の経営環 境への応用を促す事例を示す

経営戦略の実行における不確実性への対処について、基本的 理論と経営的立場における実践的知識、ならびに実際の経営 環境への応用を促す事例を示す

テキスト全体構成

構築した戦略を実行するための方法、および実行後の評価についての理解を促すとともに、以下の6機能の紹介へとつなげる

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序 文 ……………………………………………………………………………………………… 009

1. 組織としてのリスク管理 ……………………………………………………… 0092. 安全管理体制の構築 …………………………………………………………… 009

第1章 リスク管理の基本的理解

第1項 リスクの考え方 …………………………………………………………………… 012

1. リスクの定義と概念 …………………………………………………………… 0121)リスクの定義 ……………………………………………………………… 012

2. 医療機関経営におけるリスク ………………………………………………… 0121)医療サービス提供にかかわるリスク …………………………………… 0132)経営にかかわるリスク …………………………………………………… 0143)環境リスク ………………………………………………………………… 0154)外的リスク ………………………………………………………………… 016

第2項 リスクへの対応 …………………………………………………………………… 017

1. リスク管理の定義と概念 ……………………………………………………… 0171)リスク管理、危機管理、安全管理の用語の整理 ……………………… 017

ハインリッヒの法則 ………………………………………… 0182. リスクの顕在化と対応 ………………………………………………………… 018

第2章 リスク管理の理論

第1項 リスク発生の原理 ………………………………………………………………… 0221. リスク発生の原理 ……………………………………………………………… 0221)損失発生のメカニズム …………………………………………………… 0222)損失発生におけるシナリオの存在 ……………………………………… 0233)人的要因 …………………………………………………………………… 024

2. リスクに関する人的要因の理解 ……………………………………………… 0251)エラーに影響する要因 …………………………………………………… 0252)個人的違反と組織的違反 ………………………………………………… 027

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コラム

リスク管理 目次13

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第2項 リスク管理の方法 ………………………………………………………………… 029

1. リスク管理のアプローチ ……………………………………………………… 0291)リスク管理計画 …………………………………………………………… 0292)事業分析とリスク分析 …………………………………………………… 0303)リスクの最適化 …………………………………………………………… 030

2. リスク管理のマネジメントプロセス ………………………………………… 031

第3項 医療安全管理 ……………………………………………………………………… 035

1. 医療安全に対する行政等の取組み …………………………………………… 0351)医療安全に関する指針 …………………………………………………… 035●「安全な医療を提供するための10の要点」 ………………………… 035● 診療報酬における評価 ……………………………………………… 036

2. リスク管理の組織 ……………………………………………………………… 0371)委員会の設置 ……………………………………………………………… 037● 医療事故防止対策委員会 ……………………………………………… 037● リスクマネジメント部会 ……………………………………………… 038● 委員会における検討 …………………………………………………… 040

2)安全管理担当者の配置 …………………………………………………… 040● 安全管理責任者の配置 ………………………………………………… 040● リスクマネージャーの配置 …………………………………………… 040

3. 安全のモニタリング …………………………………………………………… 0414. 感染管理の実際 ………………………………………………………………… 0421)院内感染の基本理解 ……………………………………………………… 0422)感染管理の体制と施設・設備 …………………………………………… 042

第3章 医療機関におけるリスク管理の実際

第1項 リスクに強い組織構築 …………………………………………………………… 044

1. リスクと組織風土 ……………………………………………………………… 0442. 内部統制の構築 ………………………………………………………………… 045

第2項 評価制度の活用 …………………………………………………………………… 047

1. 内部評価制度 …………………………………………………………………… 0472. 外部評価制度 …………………………………………………………………… 048

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1)医療機能評価 ……………………………………………………………… 0482)ISO ………………………………………………………………………… 0493)ISMS ………………………………………………………………………… 050(Information Security Management System:情報セキュリティマネジメントシステム)

医療情報のリスク管理 ……………………………………… 051

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

第1項 医療事故紛争・訴訟への対応 …………………………………………………… 054

1. 医療事故紛争・訴訟の基本的理解 …………………………………………… 0541)用語および概念の整理 …………………………………………………… 0542)医療事故と法的責任 ……………………………………………………… 055● 民事責任 ……………………………………………………………… 056● 刑事責任 ……………………………………………………………… 057● 行政上の責任 ………………………………………………………… 057

2. 医療事故紛争・訴訟の現状 …………………………………………………… 0581)医療事故紛争・訴訟の増加 ……………………………………………… 0582)患者意識の理解 …………………………………………………………… 059

苦情に対する理解 …………………………………………… 0603. 医療事故発生時の対応 ………………………………………………………… 0611)事故発生時の心の準備 …………………………………………………… 0612)事故発生時の対応 ………………………………………………………… 061

第2項 医療機関における危機管理 ……………………………………………………… 062

1. 危機管理の対象と対応 ………………………………………………………… 0621)不測の事態と経営者のとるべき態度 …………………………………… 0622)危機管理体制の整備 ……………………………………………………… 063● 危機の早期発見・認識(予兆の把握) ……………………………… 063● 危機管理体制の整備 ………………………………………………… 063● 危機管理活動のチェック(モニタリング) ………………………… 064

3)災害時の医療機関の責任 ………………………………………………… 0642. クライシス・コミュニケーション …………………………………………… 0651)クライシス・コミュニケーションの重要性 …………………………… 0652)マスコミへの対応 ………………………………………………………… 0653)マスコミ以外への対応 …………………………………………………… 066

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コラム

コラム

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第5章 事例

第1項 医療安全文化の醸成を目指した組織的取組み …………………………………… 068公立大学法人横浜市立大学附属病院

1. 要約 ……………………………………………………………………………… 0682. 病院概要 ………………………………………………………………………… 0683. 責任回避文化からの脱却とリーダーシップ構築 …………………………… 0694. 組織の段階的な変化 …………………………………………………………… 070第1段階:組織体制を整える ………………………………………………… 070第2段階:組織を動かす・機能させる ……………………………………… 070第3段階:職員による自発的活動の始動 …………………………………… 071第4段階:部分的な活動から全体活動に向けて …………………………… 071

5. 部門間・個人間格差是正のための組織統制 ………………………………… 0726. 医療安全管理における経営者の意思決定 …………………………………… 0727. 組織文化の本質的な改善に向けて …………………………………………… 073

第2項 急性期病院における安全管理への取組み ……………………………………… 074社会福祉法人聖隷福祉事業団 総合病院 聖隷浜松病院

1. 要約 ……………………………………………………………………………… 0742. 病院概要 ………………………………………………………………………… 0743. リスク管理に対する基本的考え方 …………………………………………… 0754. 安全管理の取組み …………………………………………………………… 075● 病院安全管理委員会の役割 ………………………………………………… 077

5. 安全対策の取組みに対する評価 ……………………………………………… 0776. 将来に向けての課題 …………………………………………………………… 078

参考文献 …………………………………………………………………………………………………… 080

索  引 …………………………………………………………………………………………………… 083

おわりに …………………………………………………………………………………………………… 086

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1. 組織としてのリスク管理

当院は、500床台の急性期を中心とした公的病院だ。副院長の私はリスク管理担当ということになっている。今回、機能評価を受けることとなり、院長からリスク管理をしっかりするようにといわれ、半年ほど前からリスク管理活動を強化している。当院のリスク管理体制は、安全管理委員会の下に各部門の安全管理担当者を配置し、安全管理委員会の方針に従い、各部門が活動するというものである。機能評価前ということもあって職員の意識は高く、看護部や薬剤部をはじめ、それぞれの業務の見直しを行っている。具体的な成果として、アンプルへのラベル貼りや与薬時の患者名確認などの誤投薬対策も導入され、委員会ではこれらの活動報告や情報交換が行われている。このように当院では、地味ながらも意味ある活動が行われていると評価したい半面、最近、会議での発言を聞いていて思うことがある。どうも、各部門が自分たちの管轄内でできることを行っているだけで、組織全体としての活動になっていないのではないかということだ。こういった地味な取組みはもちろん必要なことだと思うが、リスク管理といった場合、もっと別の観点からの取組みがあるように思う。このまま、現状の活動を続けていてよいのだろうか。

2. 安全管理体制の構築

私は、地方都市で200床台の民間病院を経営している。3年前、市内の病院が医療事故を起こしたことをきっかけに、当院でも安全管理体制を強化した。安全管理委員会を設置し、担当者を任命するなど組織体制を整備した。また、アクシデント、インシデントレポートの提出を義務づけ、毎月開催する安全管理委員会でレポートを集計することにした。看護部などは非常に熱心で、レポートはほとんど看護部からのものだし、アクシデントレポートについては、原因追及の分析も行っている。しかし、実際の分析内容を見ると、事故の背景となっている要因についての分析が少なく、原因追及というより当事者の個人責任の追及に陥っているように思える。そもそも、レポート分析などは看護部による自主的な動きに任せていたのだが、十分に勉強することなく、形だけ真似して行っている向きもあるのではないかと思う。

序 文

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組織体制についても、同様のことがいえそうだ。組織図はつくったし、会議は開催しているのだが、実際にレポートを出してくる看護部以外の職員、特に事務職員からは、自分たちとは関係ないという雰囲気を感じる。形を真似ることが悪いとは思わないが、本質的なリスクへの対処が行われないと意味がないのではないだろうか。職員が本質を理解し、それに向かって積極的に取り組むようになるには、どうすればよいのだろうか。

一般的に医療機関におけるリスク管理では、医療安全管理を中心としてさまざまな取組みが行われてい

る。しかし、医療機関が行う医療活動や経営活動には、医療事故以外にもさまざまなリスクがつきまとう。

個人情報保護法の施行などにより、従来よりも注目されるようになったリスクもある。

また、医療が、人間が行うものである限り、必ずミスが起きると考えられる。経営者にとってのリスク

管理は、安全管理担当者を支援し、ミスの防止や、ミスが事故につながらないような施策を講じるだけで

なく、仮に事故が起こったときにも医療機関経営に深刻な影響を与えないようにするという観点が必要と

なる。しかも、安全に対する意識には個人差がある。組織が一体となって安全管理に取り組むには、経営

者のリーダーシップが問われることになる。

ここでは、医療機関経営を取り巻くリスクにどのようなものがあるか、そのリスクにどのように対処す

べきかについて概観したうえで、リスクに強い組織とはどのようなものかを考えていく。

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第1章

リスク管理の基本的理解

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1:尾形裕也(2000)『21世紀の医療改革と病院経営』日本医療企画

2:四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編(2005)『医療安全管理テキスト』日本規格協会

3:尾形裕也(2000)『21世紀の医療改革と病院経営』日本医療企画

4:出典では「経営」を広義の経営と狭義の経営に分け、狭義の経営にかかわわるリスクを取り上げている。広義の経営には研究機関としての側面や、保険診療を通じた公共事業としての側面を含み、狭義の経営では医療機関の収支につながる側面を指している。

第1項 リスクの考え方

1. リスクの定義と概念

1)リスクの定義

リスクの定義にはさまざまあり、一般的には、危険、損失、不確実性などと理解されている。一方、経済学では「リスク」と「不確実性」は区別されており、確率分布が判明している場合をリスク、不明な場合を不確実性としている1。ここでは、リスク管理の対象として、リスクを「予想された結果と現実の結果の相違」と定義することとする2。

2. 医療機関経営におけるリスク

医療機関経営において遭遇するリスクを、次の4つの観点にて分類し、外観する3。①医療サービス提供にかかわるリスク

②経営にかかわるリスク 4

③環境リスク

④外的リスク

それぞれに該当するリスクを詳細に示したものが図表1である。

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1)医療サービス提供にかかわるリスク

医療サービスが持つリスクは、以下のような特殊性から発現頻度や影響度が相対的に高いと考えることができる5。第1に、医学は、個別性の高い個人における複雑な生体反応の組合せ結果を求めるために介入す

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5:第3から第7については松尾太加志「医療事故とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)を参考にした。

第1章 リスク管理の基本的理解

出典 尾形裕 也 (2000 ) 『21世紀の医療改革と病院経営 』 日本医療企画、 石井孝宜、山本雅司、石尾肇(2004)『医療・介護施設の ためのリスクマネジメント入門』じほうをもとに作成

医療サービス提供に かかわるリスク

経営にかかわるリスク

環境リスク

外的リスク

〈 医療安全リスク〉

・医療行為上の過誤(患者の取違え、投薬ミス等)

・医療事故

・針刺し事故などの労働災害

・医療安全管理システムの不適応または不在

・患者管理の失敗

・食中毒⦆

〈 環境リスク〉

・医療廃棄物による水質汚濁、土壌汚染

〈 外的リスク〉

・天災による建物の損壊

・電気、水道、ガス 等 のライフラインの遮断

・電信システム障害

〈 技術革新的リスク〉

・薬剤による副作用の発現

・最新医療技術による副作用の発現⦆

〈 制度・政策的リスク〉

・医療制度改革への対応の遅れ

・診療報酬の改定⦆

〈 経営戦略的リスク〉

・経営戦略の失敗

・事業計画の破綻

・イメージ戦略の失敗

・マスコミ対応の失敗

〈 経営管理的リスク〉

・財務破綻

・各種業務管理体制の未整備

  (医事、購買、在庫等)

・組織の硬直化

・業務効率性の低下

〈 資産リスク〉

・設備の故障、事故、老朽化

〈 要員リスク〉

・コンプライアンスの意識の欠如

・人材登用の失敗

・不正経理

・職員の不祥事

・労働災害

・職員のモラルの低下

・従来からの慣行の問題化

〈 情報リスク〉

・診療記録 等 の重要書類の紛失

・患者の個人情報の漏洩

図表1 医療機関におけるリスク

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るものであり、本来、不確実性が高い学問であるといえる。第2に、医療は、生体に介入し何らかの影響を与えることを想定しているものである。また、心身が弱っている人が想定外の影響を受けた場合、損害が大きくなる可能性がある。第3に、医療は、内容の専門性が高く、かつ対象としているものがからだのなかで生じていることであり、患者自身や他人から見えにくいことから、限られた医療者に評価や判断が委ねられる。また、仮に患者が不都合に気づいたとしても、それを医療者に伝えにくい場合がある。つまり、相互チェックが効きにくい構造になっている。第4に、医療は人が人に対して行うサービスである。対象とする患者の状態は日々変化しており、最初に決めた計画どおりに進行できないことがある。また、医療者のなかでも個人差があり、個人においても心身状態は一定ではない。つまり、判断や実行の不確実性が高いといえる。第5に、医療を提供する場である医療機関という施設は、医療機器や薬剤、コンピュータや書類など多様なモノで溢れている。薬剤については、名称や外観に似ているもので仕様や効能が大きく異なるものが多く存在する。医療機器では部分的な自動化が図られているものの、人がかかわる部分(インターフェース)については、種類やメーカーによって仕様や使い勝手がさまざまに異なる。つまり、モノの間違いを起こしやすい環境といえる。第6に、医療現場は有資格の専門家がそれぞれの専門分野の業務を担当しており、それぞれ医師の指示に基づいて業務が行われたり、各資格によって実施できる行為が限定されたりする。つまり、複雑な関係の職種間で情報伝達を行う場面が非常に多いといえる。また、職種間で知識や認識に違いが存在したり、同じ職種内でも地位の違いによって階層構造が存在したりするほか、出身母体の違いなどにより共有する理解や経験に差が生じたりするなど、情報伝達や共有の阻害要因が多く存在するといえる。第7に、職種によっては、絶対数の不足や地域的偏在により人手不足となっている医療機関も多い。また、IT化が相対的に遅れており、業務の効率化が十分に図られていないという状況も見られる。そのため、医療提供の現場で働く職員が常に多忙な状態となっている場合もある。また、救急患者の搬入や患者容態の急変など、急に大量かつ迅速な業務を行わなければならない場合もある。つまり、業務にあたる人のストレスが過大となり、人的要因による間違いを起こしやすいといえる。

2)経営にかかわるリスク

リスク管理という観点から見ると、医療機関経営には以下の5つの特性がある6。第1に、医療費に占める国庫負担の割合が高いことにより、マクロ医療費の水準は政府の予算編成の影響を強く受ける。このため、全体としての医療費(すなわち市場全体の大部分)の規模と

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6:尾形裕也(2000)『21世紀の医療改革と病院経営』日本医療企画

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動向は、政府公表資料により現状把握も将来予測もかなりの確度で行うことができる。第2に、医療サービスに対する需要の価格弾力性は、他の産業における需要と比べ相対的に小さい。これは、医療サービスには必需財的な要素が大きく含まれるため、価格や所得の変動が需要の多寡に影響しにくいうえ、国民皆保険制度のもとで、患者(被保険者)にとって価格変動の影響はさらに圧縮されていることによる。第3に、上記の結果、医療サービスの需要を規定する基本的要因は、人口規模およびその年齢構成となるといえるが、これらは高い確度で将来予測が可能である。第4に、医療サービス市場には、規制や高い参入障壁により新規参入が制限されており、競争が抑制されている。医療法により営利企業の参入は禁止されているだけでなく、病床過剰地域における新設は規制されており、過当競争は抑制されている。その他、施設・設備に大規模な投資が求められ、かつ資格職を一定数以上配置する必要があるなど、資金的な要求水準が高い一方、いわゆるリスクマネーによる調達が制限されるなど、資金面での参入障壁が高い。また、業績不振による安易な廃業が批判されるなど、撤退が容易でないことも、異業種からの参入に対する障壁となっているといえる。つまり、競争にかかわる戦略的リスクは比較的小さいといえる。第5に、医療は地域密着型製品であることから、市場がほぼ国内に限られ、各種のカントリーリスクや為替リスクなどの影響が著しく小さいことが挙げられる。輸入品の比率が高い医療機器の価格や、海外事業比率の高い製薬企業における薬剤供給などから多少の影響は受けるものの、サービスを提供する職員も顧客である患者も、国内(かつ特定の地域内)に限られることがほとんどである。そのため、一般的な企業活動では多大な配慮が必要な、海外事業所における雇用紛争やテロ・政治紛争、海外市場における経済情勢の変動やPL訴訟、海外との調達・販売などにおける為替レートや米国財務省証券市中割引率(TBレート)の変動などに対して、それほど気をつかう必要はないといえる。つまり、医療サービス市場では一般的な産業と比べ、さまざまな要因において相対的に経営戦略面における不確実性が低いといえる。しかしながら、相対的に小さいからといって、経営戦略的リスクがないわけではない。患者や社会による医療機関の選別が徐々に進展してきており、戦略の失敗はボディーブローのように効いてくるといえよう。また、人材が重要な要素を占める業態であり、かつ設備産業ともいえるため、要員リスクや資産リスクも継続的経営に多大な影響を与える。

3)環境リスク

環境リスクを公害問題と地球環境問題とに分けてみると7、医療機関として配慮が必要な公害問題としては、典型7公害(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭)のほ

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7:島田晴雄、大田弘子(1995)『安全と安心の経済学』岩波書店

第1章 リスク管理の基本的理解

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か、医療系有害廃棄物の問題が挙げられる8。

4)外的リスク

医療サービスは規制による影響を大きく受けている。これにより経営にかかわるリスクが相対的に小さいといえるのだが、一方、規制の変更によって経営環境が大きく左右される。つまり、制度・政策的リスクは大きい。また、現在の医療機関における施設・設備の高度化により、震災などによる建物の損壊やライフラインの遮断が医療サービスの内容や質に与える影響はますます強まっている。入院施設であれば24時間患者を管理しているし、震災などが発生した場合は、院内にいる患者および職員の安全確保や火災防止などの一般的な対応だけでなく、院外の既存患者の治療を継続する手段を確保する責任がある。加えて、外部から運び込まれる負傷者などに対応することも求められるため、医療機関にとって外的リスクへの対処は重要な課題といえる。この点については「医療機関における危機管理」で詳述する。一方、技術革新の進展にともない、技術環境の変化が医療の内容、ひいては医療機関経営に与える影響も大きくなってきた。また、その変化のスピードはますます速まってきている。つまり、技術革新的リスクは大きいといえる。この点について、詳しくは『技術戦略』を参照されたい。

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8:尾形裕也(2000)『21世紀の医療改革と病院経営』日本医療企画

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第2項 リスクへの対応

このように、医療機関経営には多様でかつ経営に重要な影響を与えるリスクが数多く存在する。これらは、医療機関がその使命を達成しようとするにあたって障害となり、組織の事業に損害を及ぼす。医療機関が理念に基づいて経営を行うには、これらのリスクを適切に管理することが必要となる。

1. リスク管理の定義と概念

リスク管理を経営管理のプロセスから定義すれば、「不測の損害による組織への悪影響を合理的なコストで最小限に抑制するため、計画を立て、組織をつくり、その計画を実行し、統制していくという一連のプロセス」となる。また、意思決定のプロセスからいえば、「組織目標の達成を阻害するリスクを洗い出し、洗い出したリスクを処理する各種のリスク処理手法を選択し、実行し、その結果を評価し、改善のためにフィードバックする一連のプロセス」といえる。つまり、リスク管理とは、「不測の損害が組織に与える悪影響を、最小限に抑えるための意思決定を行い、実行するプロセス」ということになる。その際、不測の損害に対する発生防止から、発生時および発生後の対応までが対象となる。

1)リスク管理、危機管理、安全管理の用語の整理

リスク管理に対する意識が高まっている一方、危機管理や安全管理との用語の混同も多く見られる。危機(クライシス)を特殊状況下での非常事態の勃発と考えた場合、リスクとは通常活動下で不測の事態による損害が顕在化する可能性と考えることができる。つまり、危機管理はリスク管理のなかでも、経営において非日常的に大きな損害をもたらす事態が発生したことを想定し、発生した際の対応から現状復帰までに焦点をあてており、リスク管理は、危機も含んだ経営における不測の事態全般を対象としている。

第1章 リスク管理の基本的理解

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一方、安全管理は、業務の安全な遂行を念頭に、不測の事態(すなわち事故)の発生を防止することに焦点をあてている。つまり、不測の事態の発生を前提とはしていないといえる。ここで、インシデントと事故(アクシデント)の定義を考えておく。インシデントとは、想定していない偶発事象であり、これに対し適切な処理が行われない場合に事故となる可能性があるものを指す 9。いわゆる「ヒヤリ・ハット」である。事故は、インシデントに適切な処理が行われずに傷害を発生したものをいう。事故には、法的責任を負わない「不可抗力」と、法的責任を負う「過失(過誤)」とが存在する10。過失の概念については第4章第1項「医療事故紛争・訴訟への対応」で詳説する。いずれの場合も患者だけでなく、医療従事者や来院者も対象者となる。また、医療行為に直接関係しないものも対象事象に含む。

2. リスクの顕在化と対応

事業活動ではさまざまなリスクが水面下にいくつも存在している。このうちのあるリスクが顕在化し、事故となる。そして事故が発生したら、その事故に対して適切に対応しなければ被害が拡大する。リスク管理では、リスクの顕在化=事故発生の前段階である事前対策(予防対策)、事故発生直後の事故対応(緊急時対応)、そして事後対応(復旧対策、再発防止策)という流れのなかで、的確な対策を選

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9:チャールズ・ビンセントほか/安全学研究会訳(1998)『医療事故』ナカニシヤ出版

10:四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編(2005)『医療安全管理テキスト』日本規格協会。高田利廣(1997)『看護婦と医療行為 その法的解釈』日本看護協会出版会

ハインリッヒの法則

事故発生の背景を探るには「ハインリッヒの法則」が最もわかりやすい。この法則は、1939年代に

米国の安全技師、ハインリッヒが発表した労働災害における経験則の1つである。ハインリッヒは、労

働災害5000件余を統計学的に調べた結果、「1:29:300」という数字を導き出した。これは「重傷」以上

の災害が1件あったら、その背後には29件の「軽傷」をともなう災害が起こり、さらに、300件もの

「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になるような)傷害のない災害、すなわちインシデントが起き

ているということである。

ここで大切なことは、インシデントはたまたま被害がなくすんだだけのことであって、軽症や重症

になっていた可能性もあった、ということだ。つまりインシデントが発生した原因を調査し、その根

本原因を取り除いていかないと、大きな事故は防ぐことができないということである。この考え方は、

労働災害だけでなく、交通事故や医療事故にも当てはまる災害防止理論となっている。

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択し、実行することが求められる。それと同時に、事業全体におけるリスクの状況を把握し、トータルな視点でリスク発生の抑制と損失の最小化に努めることが必要になる(図表2)。かつては、医療機関におけるリスク管理は非常に狭い意味で受け取られ、安全管理のための活動や、医療事故・訴訟への対応を指すことが多かったが、いまでは、医療の質と安全性の向上など、医療サービス面における全般的なリスク管理が重視されるようになっている。今後は、経営面におけるリスクを幅広く包含するリスク管理が重要になろう。

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第1章 リスク管理の基本的理解

・ リスクの把握・評価 ・ 事故予防活動 等

事故 ・ 救命・応急措置等の事故   への適切な対処 等

・ 再発防止策の実行 ・ 資金調達 等

出典   石井孝宜、山本雅司、石尾 肇 (2004 ) 『医療・介護施設のためのリスクマネジメント入門』 じほうをもとに作成

 事故対策 (予防対策)

  事故対応 (緊急時対策)

     事後対応 (復旧対策・再発防止対策)

図表2 リスク管理のフロー

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第2章

リスク管理の理論

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22

第1項 リスク発生の原理

1. リスク発生の原理

1)損失発生のメカニズム

リスクが具体的な損失となる背景にあるメカニズムを図に示すと図表3のようになる。ペリル(損失原因)は火災や誤投与など、リスクにつながる潜在的な原因である。一方、ハザード(危険状態)は、損失の確率を生み出したり増大させたりする事情である。器材配置場所の間違い、救急車の来院と入院患者の急変の同時発生、ステロイド剤で免疫力が低下した患者などであり、実はここに防止のための真の原因が潜んでいるともいえる。

損失の確率

・ 人的要因( M a n ) ・ 設備・機械的要因(Machine) ・ 環境的要因(Media) ・ 管理的要因(Management)

ハザード (危険状態)

ペリル (損失原因)

リスクにさ ら される 物 ・ 人 ・ 活 動 (危険)

不確実性

リスク

損失

損失の可能性

・ 物 ・ 人 ・ 活動

出典   武井 勲 (1987 ) 『リスク・マネジメント総論 』 中央経済社をもとに作成

図表3 損失発生のメカニズム

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ペリルはその発生源により、①自然的要因、②人的要因、③物理的要因に分けることができる12。自然的要因には地震や洪水などがある。人的要因には過失や違反行為などがある。物理的要因には機械故障や劣化などがある。これらペリルの発生がそのまま損失につながるわけではない。ハザードの存在がペリルを損失につなげる可能性をつくり、損失の発生確率を高めているのだ。ハザードは実態がつかみにくく、かつ規模が大きい。これらは見落とされる可能性が高く、また対策を立てることが難しい。ハザードを分析する際には4M(Man, Machine, Media, Management)の観点から整理することができる。

2)損失発生におけるシナリオの存在

これらの要因そのものは無秩序に発生しているとしても、実際に損失につながるまでの流れにはシナリオが読み取れる13。たとえば、図表4は、大学内のボヤ、大清水トンネルの火災、埼玉県の自動倉庫火災のシナリオを表したものだ。

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12:武井勲(1987)『リスク・マネジメント総論』中央経済社

13:中尾政之「失敗から成功へー失敗のデータベースから」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

第2章 リスク管理の理論

出典 中尾政之(2004)「失敗から成功へー失敗のデータベースから」大山正、丸山康則編『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会

コンプレッサが油漏れ リフターの油漏れ ジャンボ解体中に油漏れ

(a)東大のボヤ(2003年) (c)埼玉県の自動倉庫火災(1995年) (b)大清水トンネル火災(1979年)

油をオガクズで吸収 油をダンボールで吸収 オガクズで吸収

溶接アークで引火 インフラパック機械の プラスチックが滴下して引火 切断ガスで引火

油とオガクズが発火 油とダンボールが発火 油とオガクズが発火

消火器で消火 作業員が消火 消火器が湿気で故障

翌日責任者に連絡 自動倉庫に搬入 高さ20mでパレットに再着火 発煙

消火器やスプリンクラーの効果薄 3588m2の倉庫が2日間炎上

風上側へ解体作業員は退避 風下側の巻き立て作業員死亡

図表4 失敗のシナリオの類似性

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これらは、火災の発生場所や発生形態、最終的な被害の規模などは異なるものの、「油」「吸収体」「火種」「引火」「消火器」という要素は共通している14。このように、上位概念でシナリオ要素を分析すると、さまざまな事例の類似性を読み取ることができる。しかし、トンネルと大学内の違い、アーク溶接とガス切断に違いなど事例の個別性に注視してしまうと、すべての事例は初めての事例となるだろう。ここでは、一度火が着いた油は、消火しても再着火の恐れがあるということ、消火時に退避できない人がいれば大惨事になる可能性があるということを理解する必要がある。過去の事例を参考に、新たな損失の発生を防止しようと考えるときは、より上位の概念で共通するシナリオを見出すことに意義があるといえる。

3)人的要因

リスク要因における人的因子(ヒューマン・ファクター)は、機械やシステムを安全かつ効率的に機能させるために必要な人間の能力、知見、手法などすべてを指すものと考えられる。人的因子を分類すると、一般に図表5のように分けることができる。スキル・ベース・エラーは、意図したことは適切であったにもかかわらず、行為を行う際に失敗するものを指す。そこには、注意の欠如や知覚の失敗であるスリップ、記憶の短期的障害であるラプス、行為の粗雑さであるファンブル、つまずきであるトリップが含まれる。ミステイクは、行為は計画したとおりに行われるが、計画自体が不適切であるものを指す。人間の高次の思考過程で生じる誤りである。スキル・ベース・エラーが行為の失敗であるのに対し、ミステイクは思考の失敗であるといえる。これらをあわせてエラーと呼ぶ。エラーはいわゆる、「うっかり」「ぼんやり」「勘違い」によるもので、意図したものではない。エラーを起こす要因には、直接的要因と、エラーを起こす背景となる要因がある。作業当事者が最終場面で引き起こすエラーは一般的には修復可能なことが多く、エラーが生じた原因などが比較的はっきりしている。そのため、指摘しやすく、対策も立てやすい。これに対し、違反は意図して行われるものである。違反には「個人的違反」と「組織的違反」が含まれる15。従来の医療機関におけるリスク管理は、エラーの防止に重点を置いたものが多いといえよう。一方、近年一般企業において注目されている内部統制とは、エラーと違反の両方に焦点をあてたものといえる。

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14:中尾政之「失敗から成功へー失敗のデータベースから」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

15:鎌田晶子「『組織風土』とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

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2. リスクに関する人的要因の理解

1)エラーに影響する要因

人間の能力は一定レベルであり続けることはなく、これまでに得てきた経験や、逆にそれを忘れてしまうことなどにより、時間とともに変動していく。そして人間がもともと持っている特性なども相まって、さらにその変化は激しいものになる。人間がその能力を発揮するのを妨げる要因として、次の6つが挙げられる。

①病理的要因

病気のときには普段よりも仕事の運びが遅くなるなど、行動に支障が出る。特に痛みをともなう病気の場合は、著しくその能力を低下させる。また、無呼吸睡眠による居眠り運転などが事故につながるケースも少なくない。

②生理的要因

疲労、空腹、眠気、二日酔い、加齢などから来る意識レベルの低下や業務能力の低下は、仕事の能率ばかりでなく安全上の大きな問題ともなる。疲労や睡眠不足は、勤務体制など労務管理の見直しが必要な場合もある。また、空腹については、健康な人でも低血糖による急性運動失

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第2章 リスク管理の理論

人的因子 (ヒューマン・ファクター)

・ スリップ ・ ラプス ・ ファンブル ・ トリップ

・ 情報の評価エラー ・ 意思決定のエラー ・ 計画エラー

・ 会議による違反的意思決定 ・ 個人による違反的意思決定 ・ 監査の機能不全 ・ 申告の妨害・抑止

エラー

スキル・ベース・エラー ミステイク 違反

出典   大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会

図表5 人的因子の分類

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調症を生じることがあり、糖尿患者はもとより、健常者に対しても食事時間を十分確保するなどの対策が求められている。なお、加齢による能力低下は個人差が大きく、比較的高齢でも十分に能力を発揮できる人もいれば、逆のケースもある。

③身体的要因

身体各部の寸法と作業環境の設計、運動性、居住性などは深くかかわっているとされる。これには個人差に対する適合性も関与する。たとえば、作業を行う台の位置が高すぎる、遠すぎるなどして適切な位置になければ、画面の確認や入力に余計な労力が必要になり、作業に間違いを生じやすい。

④薬剤的要因

薬剤を服用することで、人間の能力発揮が妨げられる場合がある。一部の風邪薬や花粉症薬に含まれる抗ヒスタミン薬が眠気を起こし、自動車の安全運転に支障を与えることはよく知られているが、糖尿病薬や降圧剤、ステロイド剤にも同様の能力低下が認められる。近年、生活習慣病の増加などで医薬品を常用する人が増えていると見られるため、薬剤的要因に対する配慮の必要も高まっている。

⑤心理的要因

焦り、怒り、不安、憂鬱などの心理的要因が、業務遂行能力に支障を与えることも少なくない。日本人はあまり感情を表に出さないことが多く、こうした負の感情を内面に蓄積させやすい。このような場合、鬱病など病的症状へ移行することも懸念される。

⑥社会的要因

人間は社会的動物であり、自分の所属する集団から離れることは難しい。仮に、いじめを受けたり、独裁的な支配下にあっても、そこで受けるストレスから自ら抜け出すことはたやすいことではない。このような状況を見逃すと、業務遂行能力を著しく低下させるばかりでなく、精神衛生上も支障が出やすい。

これらの6つの要因は複雑に絡み合い、情緒を不安定にし、次のようなミスを引き起こす。

◆焦燥ミス:順調に作業が進んでいても、ふとしたことがきっかけで「仕事が間に合わないかもしれない」という焦りが生じ、冷静に物事を判断したり、正確な作業をすることができなくなる。

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◆確信ミス(おごり):人間は仕事に慣れてくると「自信」がつき、作業がうまく運ぶようになると「おごり」が生じる。確信ミスが危険なのは、本人は自信を持って行っているためにミスに気づきにくい、あるいはミスを指摘されてもなかなか認めようとしないという点である。

◆懸命ミス(忠実性):自分の所属する組織に対する忠誠心からミスを生じることもある。会社の方針に忠実に従い、積極的に貢献しようとするあまり危険を冒す。たとえば渋滞の状況下でバスをダイヤどおりに運行しようとするあまり、スピードを出しすぎて事故を起こすなど、仕事の能率を上げるために安全性を犠牲にする結果となる。◆放心ミス(疲れ):人間は「空腹」「疲労」「眠気」をある程度以上我慢することは難しい。個人差はあるものの、真面目な人ほど労力を配分したり温存しておくことが苦手で、目の前の仕事を懸命にこなして短時間で疲れてしまうことも多い。一方、自動化された作業の進行を監視するなどの単調な業務の際には、単純な間違いを見逃すこともある。このような疲労あるいは退屈によって集中力を保つことができない状態は、いずれも人間の作業能力を低下させてミスを誘発する。◆不安ミス:安心して作業ができない環境では、人間は十分な能力を発揮できない。たとえば雇用が不安定などの状況が挙げられる。また、不安が高じてパニック状態になることもある。このような状況下では、冷静な判断ができなくなり、記憶力や計算能力なども大きく低下する。前述の焦燥ミスとも関連するが、特に時間的に切迫した状況での作業は注意を要する。◆放棄ミス(怒り):人間は怒っているときには冷静な判断ができないというのはよく知られている。同様に、目前にある作業に対する価値観が低下し、「どうでもよい」と放棄する心理状態を生じる場合にも、作業に対する監視が甘くなり、ミスを起こしやすい。◆無知ミス:これまでに経験したことがない作業に対しては、理解不足によるミスが生じる。不慣れな者に対しては、マニュアルなどを整備したり、十分な研修を行うなどの対策が必要である。

医療機関はまさに人によって支えられている。その労働状況は、一般的に負荷が大きく、人の生命に直結するミスを犯すリスクに常にさらされている。

2)個人的違反と組織的違反

「個人的違反」とは、職務怠慢や備品の私物化などの職場逸脱行動を指す。これらは業務不履行や費用増大といった形で組織に不利益を与える。一方、「組織的違反」は個人利益の追求ではなく、組織や職場の利益追求を目的とした違反である16。近年マスコミに取り上げられる例が増えてい

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16:鎌田晶子「『組織風土』とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

第2章 リスク管理の理論

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る企業や官庁による違法行為・隠蔽行為はこれにあたる。これらの違反は、それが明るみに出ることがなければ組織の利潤拡大につながる。近視眼的には組織にとって利益になると見られるため、いったん起こってしまうと組織内でこれを抑止することは容易ではない。しかし、違反が発覚した際のダメージを考慮すると、長期的には組織にとって甚大な損害を与えるものであり、組織としてこれを防止する仕組みの構築が求められる。

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第2項 リスク管理の方法

1. リスク管理のアプローチ

1)リスク管理計画

先述したように、医療機関経営には医療サービス提供にかかわるリスクだけでなく、経営にかかわるリスクや、環境リスク、外的リスクが存在する。これらリスクをすべて同時に処理することは、投入できる経営資源が限定されるなか不可能に近い。そのため、どのようなリスクに、どのような方法で、どの程度まで対処するかの計画が必要になる。この流れを図示したものが図表6である。医療機関にとって、医療サービス提供にかかわるリスクの管理は重要な位置を占める。医療サービス提供のプロセスにおけるリスク分析と対応に重点を置いたものが医療安全管理活動と考えるとわかりやすい。

第2章 リスク管理の理論

リスク管理計画

事業分析

医療機関全体でのリスク分析 (戦略、組織構造、リスクの最適化)

プロセスレベルのリスク分析 (リスクの対応策と棚卸)

リスク対応策の検討

モニタリング

医療安全管理

出典 KPMGビジネスアシュアラン ス 「経営におけるリスク管理一般」を一部改変

図表6 経営管理としてのリスク強化の取組み

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2)事業分析とリスク分析

リスク管理計画の策定の際には、まず自らの正確な「事業分析」を行うことが前提となる。そのうえで「リスクの棚卸」を行う。リスクは事業目標の達成や戦略の遂行を妨げる要因であり、それらの外部または内部に発生する要因を特定するのが、リスクの棚卸という作業である。棚卸をすることで、今後優先的に取り組むべき課題が明確になり、外部環境および内部のビジネスプロセスを理解し、リスクの源泉を体系的にとらえやすくなる。リスクの棚卸手法にはいくつかあるが、いずれにおいても以下の2つの観点から実施する必要がある。①自組織のリスクマネジメント体制は、どのような水準にあるのか②自組織がさらされているリスクには、どのようなものがあるのか対象となるリスクには、過去に顕在化したものだけではなく、今後顕在化する可能性のあるものも含まれる。組織の規模や棚卸の範囲にもよるが、全体的にリスクを棚卸すると、数百ものリスクが洗い出されるケースもある。その際、リスクの分類基準を明確にして整理すると、分類ごとの重大リスクの数を比較することができ、組織全体で見るとどのような性質のリスクが最も脅威なのか、したがってどの分野の対応策を強化しなければならないかが明確になる。また、組織のビジネス内容を勘案し、リスクの分類そのものが欠如していないか再検討することで、リスクの棚卸の網羅性もチェックできる。

3)リスクの最適化

医療機関の経営においては、取り組まなければならない経営課題が山積している。リスク管理では、やみくもに管理水準を上げることが求められているわけではない。過剰な対策はコストの増加による収益性の低下を招き、現場の業務の円滑な執行を阻むことにもなりかねない。たとえば、手術を行い入院施設を持つ病院ではMRSA(メチシリン耐性ブドウ球菌)に対する感染対策は不可欠だが、来院患者が限られている診療所において常時エボラウィルスに対し対策が必要とはいえない。リスク管理計画の策定に当たっては、「どこまでのリスクなら許容できるか」という対象範囲を決めておく。このような、事業者ごとのリスクの対象範囲の決定作業を「リスクの最適化」という(図表7)。リスクの対象範囲は、質的・量的に比較されたうえで、最終的に経営者の判断によって決定される。この決定は、事業の性格やステークホルダーの関心の程度などにも影響される。また、経

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営ビジョンや重要戦略もリスクの最適化に影響を及ぼす。医療機関のように不特定多数の患者と直接接し、かつ生命や健康にかかわるサービスを提供する事業においては、リスクの対象範囲を広く、かつ許容水準を厳しく設定する必要がある。

2. リスク管理のマネジメントプロセス

リスク管理の意思決定は、次ページの図表8のようなプロセスをたどる。

①リスクの把握

一連のプロセスのなかで最も重要といえるのが、リスクの把握である。何を管理対象のリスクと認識するのかは、どのようなリスクを重要とみなすかを決めることであり、究極的には、自分たちが何を目的に存在しているのかを規定することといえる。

②リスクの評価・分析

リスクの洗い出しは、「原因となる危険」、「発生する恐れのある損害」などを盛り込んで体系的に作成したチェックリストに従って行う。リスクの洗い出しができれば、次にその重要度を判定する。重要度の分析には、発生確率と影響の

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第2章 リスク管理の理論

発 発 生 生 可 可 能 能 性 性

影 響 度

重 大

リ ス ク の 最 適 化

出典 KPMGビジネスアシュアラン ス 「経営におけるリスク管理一般」

図表7 リスクの最適化の概念

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大きさを軸とした4象限のマトリクスが有用だ。これにより、洗い出されたリスクは以下の4つに分類される。・たまにしか起こらないが衝撃度が大きい・たまにしか起こらないし、影響も軽微・頻発し、しかも衝撃度が大きい・頻発するが、影響は軽微こうした検討によって、明らかになるリスクのうち、優先順位が高いものについては、それが起こった場合にどのような連鎖反応が考えられるのか、また、その事象が顕在化するためには、どのような原因が影響するのかを検討する。

③対応方法の決定と実行17

上記により、洗い出され、評価されたリスクに実際にどのように対応するかを決める。対応には、リスクコントロールとリスクファイナンスの2つがある。

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17:四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編(2005)『医療安全管理テキスト』日本規格協会

① リスクの把握 (risk identification)

② リスクの評価・分析 (risk evaluation/ analysis)

③ 対応方法の決定と実行 (risk treatment)

④ 再評価 (risk re-evaluation)

リスクコントロール (risk control) リスクファイナンス (risk finance)

1.リスク回避 (risk avoidance) 2.ロスコントロール (loss control)   ・損失防止 (prevention)   ・損失軽減 (reduction)

1.リスクの保有 (risk retention)   ・内部資金   ・準備金等 2.リスクの移転 (risk transfer)   ・保険   ・契約による移転等

出典 四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会 編 (2005 ) 『医療安全管理テキスト 』 日本規格協会をもとに作成

図表8 リスク管理のマネジメントプロセス

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リスクコントロールはリスク回避とロスコントロールの2つに分けられる。後者は、損失防止と損失軽減から成る。

◆リスク回避

リスク発生源となる行為、存在から回避すること。要するに、危ないことはやらないということである。それを行う、あるいは保有することで期待される利潤とリスクとを十分に比較検討する必要がある。

◆損失防止

不測の事態が発生しても損害が発生しないようにすること。たとえば、建物を耐火、耐震構造にする、機械に安全装置をつけるなどである。

◆損失軽減

リスクの発生頻度や損害の程度を下げること。たとえば、防火戸やスプリンクラーの設置する、安全教育や定期点検を徹底する、緊急事態における対応策を事前に準備する、訴訟に対する対応策を準備するなどである。

また、損失防止と損失軽減をあわせたものでリスク分散がある。工場や倉庫、サーバなどを2カ所に設置する、重要部品の仕入れ先を複数確保するなどの「分離」と、予備のバックアップを準備する「重複」とがある。

一方、リスクファイナンスにはリスクの保有とリスクの移転の2つがある。

◆リスクの保有

準備金や引当金を用意して、リスクそのものは自ら保有すること。すなわち、損失を補う資金調達の方法である。

◆リスク移転

契約などを通して資金的なリスクを第三者に移転すること。火災保険やシステム障害に備えたIT保険に加入する、契約に不確実な事象の発生を条件とした条項を付帯するといった方法がこれに当たる。

上記のようなさまざまな対応方法のなかで、どのような組合せが最適かを考える。そして、決定された基本政策に基づき、具体的な実施計画を立案して実行する。また、リスクコントロールやリスクファイナンスを行ってもなお対処できない「残存リスク」については、許容範囲を超えるリスクの最適化を図る必要がある。

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第2章 リスク管理の理論

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④再評価

リスク管理のプログラムが、期待どおりの効果を上げているかどうかを判断する基準を設定し、モニタリングを行い、必要に応じてプログラムを改善する。場合によっては評価基準の見直しを行う。

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第3項 医療安全管理

1. 医療安全に対する行政等の取組み

医療における安全管理は、個々の医療機関にとってのみならず、国全体にとっても重要な課題である。国も、医療の安全対策に向けたさまざまな取組みを始めている。厚生労働省では、2002年に取りまとめた「医療安全推進総合対策」に基づき、医療機関に対してのみならず、製薬企業や医療機器メーカーなどに対する施策や、都道府県などの体制整備を含むさまざまな施策を推進している。具体的には以下の6つである。①「患者の安全を守るための医療関係者の共同行動(PSA)」の実施(2001年)②省内の組織体制の整備(2001年)③「安全な医療を提供するための10の要点」の公表(2001年)④医療関係者等への周知徹底(2000年)⑤医薬品・医療機器等関連医療事故防止システムの確立(2000年)⑥「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の実施(2005年)

1)医療安全に関する指針

●「安全な医療を提供するための10の要点」

医療機関が職員の意識啓発を進め、医療安全を推進する組織体制を構築するにあたっての考え方を、標語形式でまとめたものである。①根づかせよう安全文化 みんなの努力と活かすシステム②安全高める患者の参加 対話が深める互いの理解③共有しよう 私の経験 活用しよう あなたの教訓④規則と手順 決めて 守って 見直して⑤部門の壁を乗り越えて 意見かわせる 職場をつくろう⑥先の危険を考えて 要点おさえて しっかり確認

第2章 リスク管理の理論

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⑦自分自身の健康管理 医療人の第一歩⑧事故予防 技術と工夫も取り入れて⑨患者と薬を再確認 用法・用量 気をつけて⑩整えよう療養環境 つくりあげよう作業環境

●診療報酬における評価

2002年に医療法が一部改正され、医療機関の管理者に対して「安全管理体制の確保」が義務づけられた。この改正を受けて、医療安全管理体制の整備状況が診療報酬に反映されるようになった。「医療安全体制が未整備の場合、入院基本料金などが減額される」という仕組みが導入されたわけである。なお、整備基準として、次の4つが「医療法」に示されている。①安全管理のための指針が用意されていること②安全管理のための医療事故等の院内報告制度が整備されていること③安全管理のための委員会が開催されていること④安全管理の体制確保のための職員研修が開催されていること

なお、厚生労働省では、「国立病院・療養所における安全管理のための指針」として、以下の内容を提示している。その他施設においても参考となろう。

第1 趣旨第2 医療安全管理のための基本的考え方第3 用語の定義第4 医療安全管理体制の整備1 医療安全管理規程について2 医療安全管理委員会の設置3 医療安全管理室の設置4 医療安全管理者の配置5 医療安全推進担当者の配置6 患者相談窓口の設置

(マニュアルの作成について)第5 医療安全管理のための具体的方策の推進1 医療事故防止のための要点と対策の作成2 ヒヤリ・ハット事例の報告および評価分析3 医療安全対策ネットワーク整備事業への協力

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4 医療安全管理のための職員研修第6 医療事故発生時の具体的な対応1 医療事故の報告2 患者・家族への対応3 事実経過の記録4 警察への届出

第7 医療事故の評価と医療安全管理への反映医療安全管理に関する組織体制

2. リスク管理の組織

医療機関におけるリスク管理の基本的なプロセスのなかで、まず着手すべきなのが、「リスク管理の体制づくり」である。医療機関においては一般的に、医療事故の防止を中心とした安全管理に主眼が置かれることになる。そのため、院内全体については医療事故防止を目的とした管理体制を構築することになる。その際、管理者のリーダーシップの発揮は不可欠であり、管理者自身が安全管理の理念や指針を定め、職員に明示する必要がある。一方、経営や環境にかかわるリスクや外的リスクについては、院長や事務部長などの経営層による幹部会議や、経営企画室などによって管理されることになる。ここでは、安全管理にかかわる組織体制について取り上げることとする。

1)委員会の設置

医療機関の規模によるが、院内のリスクを早期に把握し対策を立てるためには、次のような委員会設置が望ましい(39ページの図表9)。

●医療事故防止対策委員会

医療機関全体としてのリスク管理の方針を決定する機関である。副院長、薬剤部長、診療部長、看護部長、事務部長などの部門長によって構成される。医療事故防止対策委員会の所掌事務は、以下のとおりである。ア 医療事故防止対策の検討および研究に関することイ 医療事故の分析および再発防止策の検討に関することウ 医療事故防止のために行う職員に対する指示に関すること

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第2章 リスク管理の理論

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エ 医療事故防止のために行う院長等に対する提言に関することオ 医療事故防止のための啓発、教育、広報および出版に関することカ 医療訴訟に関することキ その他医療事故の防止に関すること委員会では、これらに関する、調査、審議などを行い、検討結果については定期的に院長に報告するとともに、リスクマネージャーを通じて各職場に通知、徹底を図る。

●リスクマネジメント部会

必要に応じて委員会のなかに、医師、薬剤師、看護師、診療放射線技師、臨床検査技師、事務職員等から構成されるリスクマネジメント部会を設ける。構成員は、各職場のリスクマネージャーのなかから指名されることが望ましい。医療事故防止対策委員会の所掌事務は、以下のとおりである。ア ヒヤリ・ハット事例の原因分析ならびに事故予防策の検討および提言に関することイ 医療事故の分析ならびに再発防止策の検討および提言に関することウ 医療事故に関する諸記録の点検に関することエ 医療事故防止のための啓発、広報等に関することオ 他の委員会に対する勧告案の検討に関することカ その他医療事故の防止に関すること

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第2章 リスク管理の理論

医療事故防止対策委員会

(医療事故防止対策委員会)

委員長:副院長 委 員:診療部長または医長、薬剤科長、看護部長ま     たは総看護師長、事務部長または事務長等 趣 旨:医療事故防止の責任的立場にある者の協議に     よる院内事故防止体制の確立 内 容:医療事故の発生防止、医療事故への対応に     関する全般的事項

委 員:医師、薬剤師、看護師、診療放射線技師、     臨床検査技師、事務職員等 趣 旨:医療事故防止を図るための実効的な部会 内 容:ヒヤリ・ハット報告、医療事故報告書の評価     事故防止対策の具体的内容について検討

職 員:各診療科、各看護単位等、各部門毎に1名指名 業 務:・医療事故の原因、防止方法に関する検討提言     ・委員会、部会との連絡調整

・医療事故、ヒヤリ・ハット  事例の報告 ・事故防止対策の提言

リスクマネージメント部会

リスクマネージャー

報告書等 会議資料提出

ヒヤリ・ハット 体験報告

ヒヤリ・ハット体験 報告(期限:翌日)

ヒヤリ・ハット報告、医療事故報告の受理、保管

ヒヤリ・ハット事例を 体験した医療従事者

医療事故にかかわる 医療従事者

委員会・部会決定事項の伝達 医療事故防止の啓発

医療事故報告 (直ちに)

・決定事項伝達 ・医療事故防止の啓発

各  職  場

全  職  員

医 亊 課

上  司

院  長

副 院 長

報告・ 提言 必要に

応じて 報告

報告

報告

医療事故 報告

保管の 指示

出典 厚生労働 省 (2000) 「リスクマネージメントマニュアル作成指針」

図表9 安全管理にかかわる組織体制の例

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●委員会における検討

委員会や部会でインシデントの発生要因や問題点を検討する際には、「根本要因」に踏み込んで対応策を練ることが必要になる。考えられる根本要因をすべて洗い出し、「各種要因の分類表」を作成しておけば速やかな話し合いができる。委員会などにおける話し合いでは時間が限られているため、会議で検討できるインシデントは数件だけということも起こりうる。効率的に改善策を話し合うために、事前に優先順位を明確にしておくとよい。優先されるべきインシデントは、①重大な事故につながる可能性が高いもの②管理システムに起因して発生しているもの(業務手順やチェック法に問題があってインシデントが発生している場合には、再発の可能性が高いため)

③同じような過程において繰り返し発生しているもの④患者や家族が不信感を抱く可能性のあるものである。

2)安全管理担当者の配置

●安全管理責任者の配置

安全管理責任者とは、院内全体の医療安全対策推進の責任者であり、医療事故防止対策委員会の委員長を務める。安全管理責任者には、施設の構造や院内の各種業務手順を理解していることや、リスクやその根本原因を確認、分析するための緻密な性格が要求される。組織管理的な業務や部門横断的な業務に携わった、経験豊かな人材が適任といえよう。

●リスクマネージャーの配置

リスクマネージャーは、各診療科や各病棟、薬剤部、検査部、事務部などの各部門に配置され、リスク管理責任者と連携して活動する。「各部門・部署の事故、インシデント情報の収集」「各部門・部署での改善の提案」「医療事故防止対策委員会で決定された対策の周知」などを行う。リスクマネージャーの任務は以下のとおりである。ア 各職場における医療事故の原因および防止方法ならびに医療体制の改善方法についての検討および提言

イ ヒヤリ・ハット体験報告の内容の分析および報告書への必要事項の記入ウ 委員会において決定した事故防止および安全対策に関する事項の所属職員への周知徹底、その他委員会および部会との連絡調整

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エ 職員に対するヒヤリ・ハット体験報告の積極的な提出の励行オ その他医療事故の防止に関する必要事項

安全管理責任者やリスクマネージャーが任命されている医療機関でも、専任者を配置している例はほとんどなく、すべて現場の人員が兼務しているというパターンが多い。このような場合、「委員会組織が主体となり、責任の所在がはっきりしない」「本来の業務を優先し、リスクマネージャーとしての業務は後回しになる」「バックアップ体制がないので、インシデントが続いて事故につながりやすい」「職員に対する日常的、継続的な意識づけが困難」などの問題が生じやすいとされている。この点からは、専任のリスクマネージャーを配置することが望ましい。一方、専任者のみの場合、リスクマネージャーが現場と疎遠になったり、専任者のモチベーション維持が困難になるなどのデメリットもあることが指摘されている。選任者と兼任者の適切なバランスや、専任の場合の任期の長さなどが検討課題といえる。

3. 安全のモニタリング

事故防止対策を練るためには、まずインシデント事例を収集することが不可欠である。収集されたインシデントは医療安全を「学習する」ための貴重な資料となる。院内における報告システムを明確にするとともに、実際に機能するような工夫と継続的な働きかけが必要だ。また、医療機関を超えたモニタリングシステムの構築も進んでいる。厚生労働省では、2001年から特定機能病院や独立行政法人国立病院機構等を対象に、ヒヤリ・ハット事例(重要事例)情報データベース構築・公開事業を行っている。これは、医療安全対策ネットワーク整備事業の一環として、インシデント事例を収集し、専門家による分析結果やコメントをデータベース化し、インターネットを通じて医療機関や一般国民に公開するものである。本事業に参加する医療機関は、「全般コード化情報」と「記述情報」の2つについて、それぞれ条件に該当する情報を、財団法人医療機能評価機構に提供する。これらの情報がデータベースとして蓄積され、厚生労働省ヒヤリ・ハット事例検討作業部会により、ヒューマンエラー、医薬品・医療用具のそれぞれについて分析され、対策が検討される。第14回の分析結果によると、2004年10月から12月の3カ月間で、1261施設が事業に参加し、473施設が報告を行い、4万2869件の事例が分析されている。ここでは、発生の状況や患者のタイプ、当事者の経験などの観点から分析を行い、報告事例の多い「処方・与薬」「ドレーン・チューブ類の使用・管理」「療養上の世話・療養生活の場面」、および患者の身体への影響度が大きい「医療機器の使用・管理」「輸血」についてはクロス集計を行っている。

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第2章 リスク管理の理論

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4. 感染管理の実際

1)院内感染の基本理解

院内感染とは、病院内で細菌あるいはウィルスなどに感染することで、院内での感染発症はもちろんのこと、院内で感染し退院してから発症したものも含まれる。院内感染が起こる理由としては、①病気であったり、抗生物質の投与により感染抵抗力が弱い人が集まっていること②感染症にかかった人がさまざまな病原微生物を持ち込むこと③健康保菌者である医療関係者(医師、看護師、付添いの人)や医療器具などが、抵抗力の弱い人(主に患者)と微生物の橋渡し役になっていること

の3点が挙げられる。院内感染を起こす原因としては血流感染が33%で最も多く、次いで肺炎(16%)、手術部位感染

(15%)、尿路感染(13%)となっている18。院内感染にともなうリスクには、訴訟を起こされる「法的リスク」、感染対策にかかる費用などの「経済的リスク」、感染者の多発により全体としての治療の質が落ちる「質を損なうリスク」などがある19。

2)感染管理の体制と施設・設備

院内の感染管理には、院内感染防止対策委員会の設置20や専任の看護師などの設置をはじめとする体制整備が求められる。具体的な対策の策定には、厚生労働省が示した「医療施設における院内感染の防止について」や米国のCDC(Centers for Disease Control and Prevention)が提示している「標準予防策(Standard Precaution)」などのガイドラインを参考にしながら、院内でマニュアルを整備し確実に実行されたい。さらに、職員の意識を高め、院内の感染管理を実践的に行うために、検査室や中央材料室(滅菌室)など、感染予防に対して意識が高い部門による働きかけも有効となろう。なお、ガイドライン等に見られる空調設備や給湯設備等の整備については、建物の構造上の問題などから即座に解決できない場合がある。建物の新築・改築などの機会には、十分な情報収集を行い、必要な施設・設備を適宜整備できるよう準備しておくことが望ましい。

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18:National Nosocomial Infection Surveillance System Report, 1990-1996

19:国際医療福祉大学福祉学部医療経営管理学科編(2004)『四訂 医療・福祉経営管理入門』国際医療福祉大学出版会

20:院内感染防止対策委員会の設置については、診療報酬算定上の施設基準ともなっており、他に当該委員会の月1回程度の開催、「感染情報レポート」の作成などが規定されている。

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第3章

医療機関における

リスク管理の実際

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21、22:鎌田晶子「『組織風土』とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

23:岡本浩一(2001)『無責任の構造-モラルハザードへの知的戦略』PHP新書

24、25:鎌田晶子「『組織風土』とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

第1項 リスクに強い組織構築

1. リスクと組織風土

リスクを起こす人的要因にはエラーと違反があると先述した。エラーのうち、思考の失敗であるミステイクには、個人的な思考の失敗だけでなく、組織が行う意思決定や計画などの失敗も含まれる。また、違反にも個人的違反だけでなく組織的違反がある。このように、リスクには組織にひも付いているものがあり、組織の性格がリスクに影響を与えるといえる。厚生労働省がまとめた「安全な医療を提供するための10の要点」の第1に挙げられているのが「安全文化」であるように、リスク管理における組織文化・組織風土の重要性は、近年特に注目されている。しかし安全文化は、安全が重要だと訴えるだけでは根づかせることができない。2002年にトラブル隠しを行った東京電力では、1998年に「風土改革検討委員会」を設置し、「風通しをよくする」「社会の声を聞く」「みずからの襟を正す」「全員が参加する」の4点をアクションプランに掲げて、風土改善に取り組んでいたと報告されている21。それにもかかわらず、不適切な点検・補修作業を会社として見過ごしてしまったのは、おかしいことをおかしいと言い出せない組織風土が関係していると見られている。「長年の間に上司部下の関係が固定しやすく一般社会の意識と乖離したメンバーだけの社会が形成された組織になってしまっていたことや、閉じられた組織の中だけでおかしいと思っても誰も言い出せないまま、そしてその思いもだんだんに麻痺してくるという状況にいること」22などが、そのような組織風土をつくったと考えられる。これは、原子力発電所という特殊な環境の問題ではなく、医療機関でも起こりがちな状況といえる。このような組織に共通して見られるのは、個人レベルの責任放棄が積み重なった「無責任の構造」23であり、このような構造が生じやすい組織風土を「属人風土」24と考えることができる。属人風土とは、「評価や決定の際に『誰がそれを行なっているのか』という『人』情報を重要視する傾向の強い組織風土」25である。たとえば、①会議では権威者の意見は通り、そうでない人の意見は却下される、②業績や仕事ぶりより、好き嫌いで人を評価する、③会議では発言者の体面を重んじて、反対意見が出にくい、④トラブルに際し、原因よりも責任追及を優先する雰囲気がある、⑤仕事を依頼する人によって優先順位が決まる、などの状況が見られる組織風土といえよう。

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属人風土の組織で特に見られる人間関係における特徴をまとめると、以下のようなものが挙げられる26。①上司-部下の関係が親密②業務以外の場で職場の人と付き合う機会が多い③自由裁量の幅が小さい事務系一般職員において、属人風土の程度を強く感じられる④トップダウン型組織⑤組織トップは属人風土に気づきにくい

属人風土では、組織的違反が容認されやすい27。また、組織による意思決定の失敗を未然に防ごうとする意欲の低下も懸念される。属人風土は組織のリスク管理の根幹をゆるがすと認識し、上記のような傾向が見られる場合は、トップがリーダーシップを発揮して組織風土の改善に取り組む必要がある。

2. 内部統制の構築

医療機関は、前述してきたようにさまざまなリスクに直面している。リスクを完全に防ぐことは困難であり、その間違いを最小限に食い止め、医療機関の損失を未然に防止する仕組みが内部統制である。内部統制の意義やマネジメント・プロセスについての詳細については、『組織管理』第2章 組織管理の理論にて詳述している。不正が起こりやすいのは、どのような組織なのであろうか。たとえば、経営者が公私混同をして金銭的にルーズな場合、職務が特定の個人に集中している場合、不正防止の仕組みがないような場合は、不正がいつ起きてもおかしくはない。医療機関の最終意思決定を担うのは、医療法人の場合は理事長、院長であり、内部統制についても同様に理事長が責任を負うことが一般的である。まずは理事長自身が、経営理念を組織に浸透させる努力をし、組織の倫理に関する紀律を遵守する姿勢を見せることが基本であり、最も重要なことである。また組織や個人の不正を防止するためには、特定の個人に権限が集中しないように組織を設計し、人員配置を行うこととともに、誰から権限の委譲を受け、誰に責任を負い、どのような職務を行うかについて明文化することが必要である。医療法人の場合は、一般の法人と比較して外部の利害関係者によるチェック機能が働きにくい。顧客である患者には情報の非対称性というハードルがある。医薬品卸や委託業者などの取引先は弱い立場にあるため、そこから経営内容をチェックされるようなことはない。金融機関から借入を行っている場合でも、財務状況に問題がなければ経営に関与されることはほとんどない。また医療法人の多くは、同族経営であり、同族者で構成される社員総会や理事会では、内部における相互監視機能も働きにくいという問題がある。

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26:鎌田晶子「『組織風土』とヒューマンエラー」(大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会)

27:命令・報告経路や管理者の権限が明確でないなど、命令系統が十分に整備されていない組織では、個人的違反が容認されやすい。

第3章 医療機関におけるリスク管理の実際

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外部からも内部からも監視機能が働きにくい仕組みを改善するための方策としては、現状では、外部の利害関係者を含めた評議員会を設置して経営に参加してもらうなど、経営者が自ら意識的して外部の眼を入れることが考えられる。なお、医療法人のガバナンスの今後の方向性については、『組織管理』第4章医療機関経営における組織管理の今日的課題にて詳述している。

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第2項 評価制度の活用

近年、医療機能評価や国際基準であるISOなど第三者機関を利用し、外部からの評価体制に努めている医療機関が増えている。また、独自の内部評価制度をつくったり、内部監査制度を導入するなど、チェック体制の整備を進めているところも多い。患者から信頼され安定した経営を続けるうえで、このような組織の内部・外部、双方から評価を受けることは、非常に大きな意味を持つ。評価による最も大きな効果は、経営層をはじめ各々の職員が、自らの職場を見直す機会を持てるということである。そして職員のあいだに、自組織に潜在するリスクを低減し、事業の継続性を高めるために何が必要かという共通認識が生まれる。さらに外部評価制度を利用すれば、これまで努力してきた内部体制の整備状況について、社会的に認めてもらうことができる。これは、自分たちの独自の基準ではなく、日本の医療機関全体あるいは国際的な水準で評価を得られるということである。また、認定を受けることで職員に自信が生まれるという効果も期待できる。

1. 内部評価制度

安全管理活動や個人の安全対策の状況は、組織自らが評価することが重要だ。自分たちの目でチェックすることにより、現状の問題点を探し出して分析し、改善することができる。内部評価制度を活用することで、従来、各部門の判断に委ねられていた症例検討会を部門横断的なものにして定期的に開催するなど、より積極的な取組みが可能となる。また個人レベルではばらつきがあった安全対策の認識を、組織全体で整合させることもでき、遵守率の改善にもつながる。ただし、内部評価制度には「身内が評価する」という欠点もある。組織内の同僚だけにチェックが甘くなり、客観性にも欠けるため、第三者機関も活用した評価制度を導入することが望ましい。内部評価制度にはさまざまな方法があるが、自己評価(自己点検)や職場巡回査察などが一般的だ。また、これらを単独で利用するのではなく、いくつか組み合わせて使うと、医療安全対策としての効果が高まる。

第3章 医療機関におけるリスク管理の実際

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内部評価の実施にあたっては、評価員の養成やチェックリストの作成など、準備に多くの時間と労力を割く必要がある。また、年間計画や評価結果の報告書の作成、改善策の策定などに職員の協力も不可欠になる。問題点や評価結果は逐次、経営者に報告されるとともに、全職員が自分の所属部門以外の院内全体における問題点を把握できるようにすることが大切になる。内部評価員による単なる問題点の指摘で終わることがないように、職員全員が、制度を現状の問題点を改善するための手段の1つととらえ、積極的に取り組むことが肝要だ。

2. 外部評価制度

近年、第三者機関による外部評価に関心を持つ医療機関が増えている。たとえば、病院機能評価は2005年5月30日現在で1635病院(全国の病院の約18%)が認定を受け、更新審査を受審した病院は305病院(受審病院の18.7%)となっている。医療に対する関心や要求が高まるなかで、質の高い医療の提供が、医療機関の経営安定、事業継続性の向上に与える影響はますます高まっている。医療機関自らが患者主体の医療のあり方を真剣に考え、実践するうえで、さまざまな評価制度が活用されるべきといえよう。ここでは、医療機関を対象とした主な外部評価制度である「医療機能評価」と、一般事業者に対する外部評価である「ISO」および「ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)適合性評価制度」について概説する。

1)医療機能評価

病院をはじめとする医療機関の機能を、学術的観点から中立的な立場で評価するものである。我が国においては、財団法人日本医療機能評価機構(以下、評価機構とする)が第三者評価を行う機関として設立され、1997年から「病院機能評価事業」を実施するとともに、その結果明らかとなった問題点の改善を支援するための活動を行っている。評価機構が行う病院機能評価の主な特徴は、以下の4点である。

①病院機能区分ごとに評価体系が整備されている

評価は「書面審査」と「訪問審査」から構成され、評価項目は600項目以上にのぼる。この評価体系によって、一般(病床規模別)、精神・療養・複合(精神・療養)病床など、病院区分ごとに求められる機能にあわせた評価が行われる。

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②評価調査者が訪問する現地調査により評価される

受審を申し込んだ病院には、4名から7名程度の評価調査者(サーベイヤー)が訪問し、審査を行う。評価調査者は、機構での研修を受けた医療現場での管理経験者(またはそれに準ずる有識者)によって構成されているため、形式的な審査ではなく、第三者の専門家の目による厳しい審査が行われる。

③再審査がある

審査の結果、改善要望事項を受けて不合格となった場合でも、再び改善に取り組み再審査に合格すれば、認定を受けることが可能となっている。審査自体は厳密だが、このようにある程度受審の条件に柔軟性を持たせることで、各医療機関の機能水準の評価を行うとともに、質の改善や向上のサポートを行っている。

④更新審査がある

認定の有効期間は5年間である。そのため、認定病院においても自主的な継続的改善が常に求められ、結果的に質の向上につながっている。

2)ISO

ISOとは、国際標準化機構(International Organization for Standardization)のことで、機構が認定する国際標準規格には、品質、環境、労働、安全衛生、財務、人事、情報のマネジメントなどさまざまなものがある。医療機関の場合、品質ISO9001や環境ISO14001を取得する例が多い。認証を受けた事業者は、国際標準化機構から一定水準以上の品質保証・管理を行っているというお墨付きを受けたことになるISO9001では、以下の3つの観点で評価される。

①目標管理

ISO9001では、目標を定め進捗管理し、達成することがマネジメント・システムの有効性を評価する1つの指標となる。目標には、病院全体の目標から部門目標、プロセス目標、部署目標、個人目標までの一連の目標があり、それらは組織の理念、方針に基づいて体系づけられている。

②プロセス

ISO9001品質マニュアルでは、プロセスを設定してプロセスごとの相互関係を含めて運用管理を行う。プロセスとは、医療機関運営のなかで主要となる業務を指す。プロセス運営に必要な

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第3章 医療機関におけるリスク管理の実際

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資源(人・物・コスト)を適切に供給し、プロセスが計画した機能を果たしていることを随時確認することが求められる。

③継続的改善

ISO9001においては、①の目標が到達しなかった場合にその原因と対策を立案し、結果についてさらに効果を確認することが不可欠である。この継続的改善は、目標だけでなく、内部監査、是正・予防処置についても継続的な改善活動を行っていく必要がある

3)ISMS(Information Security Management System:情報セキュリティマネジメント

システム)

ISMSは、事業者による体系的な情報セキュリティの体制整備を促すために、民間の認定機関である財団法人日本情報処理開発協会(JIPDEC)などによって審査されるものだ。インターネット上のホームページの改ざん、ハードウエアやソフトウエアのトラブルや関係者による情報の漏洩などの個々の問題の技術対策ではなく、組織のマネジメントとして、自らのリスクアセスメントにより必要なセキュリティレベルを決め、プランを持ち、資源配分して、システムを構築・運用することを目的としている。ISMSでは個人情報だけでなく、組織が保有する情報資産が対象となるため、認証取得に向けて相当な作業が求められ、通常、第1段階である「適用範囲の決定」から1年近い期間が費やされる。ISMSはプライバシーマークに比べ守るべき範囲が広く、医療機関においても活用されることが望まれる。

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28:厚生労働省(2005年)「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」

第3章 医療機関におけるリスク管理の実際

医療情報のリスク管理

「医療情報の安全管理は、刑法等で定められた医療専門職に対する守秘義務等や個人情報保護法関連

各法(個人情報保護法、行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律、独立行政法人等の保有す

る個人情報の保護に関する法律)に規定された安全管理・確保に関する条文によって法的な責務とし

て求められている。」28

守秘義務は医師等の個人に、安全管理・確保は個人情報取扱事業者(医療機関)の長などの責務と

なっている。

厚生労働省では、2005年に「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」を公表している。

ここでは医療機関に対し、取り扱う情報について、その安全管理上の重要度の把握と、管理上の過誤、

機器の故障、外部からの侵入、利用者の悪意、利用者の過誤等によるリスクの分析を行なうことを求

めている。また、洗い出されたリスクに対する安全対策として、組織的(体制、運用管理規程)、物理

的、技術的、人的の各観点から、「最低限のガイドライン」と「推奨されるガイドライン」を具体的に

提示している。

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第4章

医療機関経営における

リスク管理の今日的課題

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29:厚生労働省(2000)『リスクマネージメントマニュアル作成指針』

第1項 医療事故紛争・訴訟への対応

1. 医療事故紛争・訴訟の基本的理解

1)用語および概念の整理

医療事故紛争は患者側から医療機関(または医療従事者)に対して発せられる医療事故を原因とする苦情・クレームのことをいう。これは患者側と医療機関(または医療従事者)との相互理解に基づく信頼関係の欠如に端を発するものである。医療事故紛争に対処する際には、用語や概念が統一されていないことで患者、医療機関双方の主張が誤解を生み、事態をさらに悪化させることがあるため、用語の定義を明確にする必要がある。医療事故および医療過誤は、以下のように定義される29。

①医療事故

医療にかかわる場所で、医療の全過程において発生するすべての人身事故で、以下の場合を含む。なお、医療従事者の過誤、過失の有無を問わない。ア 死亡、生命の危険、病状の悪化等の身体的被害および苦痛、不安等の精神的被害が生じた場合

イ 患者が廊下で転倒し、負傷した事例のように、医療行為とは直接関係しない場合ウ 患者についてだけでなく、注射針の誤刺のように、医療従事者に被害が生じた場合

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②医療過誤

医療事故の一類型であって、医療従事者が、医療の遂行において、医療的準則に違反して患者に被害を発生させた行為。

つまり、医療事故には医療従事者の過誤、過失により発生するものと、十分な注意を払っていたにもかかわらず発生するものとがある。前者は医療過誤となり法的責任を負うものの、後者については不可抗力により発生するものであり、法的責任は負わない。これを図示すると図表10のようになる。

2)医療事故と法的責任

一般に法的責任は、民事、刑事、行政の観点から問われる。ある医療事故が「医療過誤によるもの」となった場合、法的には①民事責任、②刑事責任、③行政責任、の3つの責任が生じる可能性がある。

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第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

作成 KPMGヘルスケアジャパン

事 故

不可抗力

過 失 結果との因果関係

法的責任なし

法的責任あり

図表10 事故の概念

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●民事責任

民事責任においては、「債務不履行責任」と「不法行為責任」の2つが問われる。診療を受ける段階で医者と患者のあいだには医療契約が成立している。医療契約は、準委任契約と考えられている。つまり、「適切な医療行為を行う」という「行為」を保証するものであって、「傷病を治す」という「結果」を保証するものではないということである。「債務不履行責任」とは、この医療契約を履行しなかった契約違反ということである。この事実は、「善良なる管理者の注意を払った医療を実施しなかったこと」30、すなわち「善管注意義務違反」となる。ここで、「善良なる管理者の注意を払った医療を実施しなかった」場合とは、「一般的な医師の能力を基準にして、通常行われるべき行為が行われず、それによって悪しき結果(死亡など)が発生した場合」31と考えられている。その際、提供された医療が一般的な「医療水準」にあったか否かは、医療機関の機能や規模によって異なると考えられる。したがって、診療方針を検討する際には、自院の属する範疇において一般的な医療行為(医療水準)で対応可能な症例かを判断し、仮に対応困難と判断される症例については、速やかに、より高次な機能を持つ医療機関に転送すべきといえる。またこの医療水準は、一般的な医師が「現に行っている医療慣行」32とは異なる。たとえば、医薬品の添付文書に記載されている注意事項に従わず、異なる用法・用量で患者に投与した場合は、それが当該医療機関で通常行われているものであっても医師に過失があるとみなされる。

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30:石井孝宜、山本雅司、石尾肇(2004)『医療・介護施設のためのリスクマネジメント入門』じほう

31:四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編(2005)『医療安全管理テキスト』日本規格協会

法的責任

民事責任

刑事責任

行政上の責任

債務不履行責任(民法第415条)

不法行為責任(民法第709条)

(契約に基づく責任)

(契約に基づかない責任)

業務上過失致死傷罪(刑法第211条) 業法違反(医師法第17条、第31条等) 異常死体の届出義務違反(医師法第21条) 等

免許取消(医師法第7条第2項、補助看法第14条第3、4項) 業務停止(医師法第7条第2項、補助看法第14条第3、4項) 等

作成 KPMGヘルスケアジャパン

図表11 責任の形態

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一方、「不法行為責任」とは、「当事者間の契約の有無にかかわらず、故意または過失によって他人に生じた損害を賠償する責任」33であり、その際、損害賠償責任が成立する要件は次の3つとされている34。①医療行為者の故意または過失があること②患者に損害が発生していること③医療行為者の故意または過失と患者の損害との間に因果関係が存在することしたがって、医療行為者に過失があっても、損害との間に因果関係がないと判断されれば、損害賠償の責任は負わないということになる。

●刑事責任

刑事責任は、違法行為によって犯罪が成立した場合に、「その犯罪に対して適切な刑罰が科せられる責任」35をいう。これは、医療行為を行った医師などの個人が対象となる。医療事故における刑事責任では「業務上過失致死傷罪」が問われることが多い。これは、医師の診療行為に過失があり、その結果として患者が死亡したり健康を害したりした場合に成立し、5年以下の懲役刑・禁錮刑または50万円以下の罰金刑として処罰される。

●行政上の責任

「行政上の責任」は、一定の成立要件に該当した場合に、民事責任や刑事責任とは別に追求されるものである。医師の場合、以下の4つのいずれかに該当する場合である。①精神病者、または麻薬、大麻、もしくはアヘンの中毒者の場合②罰金以上の刑に処せられた場合③医事に関し、犯罪または不正の行為あった場合④医師として品位を損するような行為があった場合医道審議会の意見に基づき、これらに該当すると判断された場合、厚生労働大臣から一定期間の業務停止や、免許の取消しが命令される。しかしながら、医業停止を受けた医師は、停止期間を過ぎると無条件で業務に復帰できるため、行政処分のみでは反省や適正な業務実施が期待できないとの指摘があった。これを受け、厚生労働省は2005年、「行政処分を受けた医師に対する再教育に関する検討会」報告書を公表し、行政処分を受けた医師および歯科医師に対する再教育を義務化する方針を打ち出している。

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32~35:石井孝宜、山本雅司、石尾肇(2004)『医療・介護施設のためのリスクマネジメント入門』じほう

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

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2. 医療事故紛争・訴訟の現状

1)医療事故紛争・訴訟の増加

近年、医療事故損害賠償請求訴訟(以後:医療訴訟)の数は、図表12に見るように急増している。新受件数は1970年にはわずか102件だったが、1996年に575件となり、2005年には999件と9倍以上に激増している。特に、ここ10年間の増加率は著しい。しかし、医療訴訟にまで持ち込まれるケースはごくわずかで、現実に起きている医療事故にかかわる紛争事案は、その10倍をはるかに超えると推測される。一方、未済件数も増加しており、医学専門的知識が求められる医療訴訟が裁判所にとって負担となっている現状がうかがえる。また、平均審理期間は、93年~94年時点では42月を超えていたものの、96年以降短縮化の傾向にあり、ここ3年間は3年未満となっている。しかし、通常事件の審理期間が1年強から2年弱であることを考えると、医療訴訟は通常事件と比較して長期間の審理を要しているといえる。一方、認容率、すなわち、原告である患者側が勝訴する割合は、通常事件では83~86%のところ、医療訴訟では30~46%と、通常訴訟と比較してかなり低い割合となっている(図表13)。原告側は、時間がかかるにもかかわらず勝訴する可能性が低いということを承知しながら、裁判という手段に訴えているといえよう。

58

年度

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

新受

575

597

632

678

795

824

906

1,003

1,110

999

既済

500

527

582

569

691

722

869

1,036

1,004

1,047

未済

1,603

1,673

1,723

1,832

1,936

2,038

2,075

2,042

2,148

2,100

平均審理 期 間 (月 )

37.0

36.3

35.1

34.5

35.6

32.6

30.9

27.7

27.3

26.8

※本表の数値は 、 各庁からの報告に基づくものであり 、 概数である 。 ※平均審理期間は 、 各年度の既済事件のものである 。

出典 最高裁判 所 (1996-2005) 「医事関係訴訟事件統計」

図表12 医事関係訴訟事件の処理状況および平均審理期間

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2)患者意識の理解

患者の権利意識の向上、医療過誤訴訟を得意とする弁護士の増加、レセプト開示やカルテ開示の法制化の動きなどによって、今後、医療機関が医療訴訟に遭遇する可能性は高まっているといえる。上述のように医療訴訟は現状、原告である被害者にとって負担が大きく、勝つ見込みの低い裁判である。しかし、それでも医療訴訟件数は増加を続けているのは、「被害の救済や真実の解明などを求める方法が、裁判以外にほとんど存在しないという現実が、やむをえず訴訟に向かわせている」36ためといえよう。医療訴訟の被害者の多くは、「金銭的賠償より医師の公的責任の追及を求めている」と見られる37。その根底には、医療の不確実性と、医療契約が保証する対象についての、患者と医療従事者との理解の相違がある。また、医学的・専門的な知識や判断に多くを委ねることが、信頼を失った状態での相互理解をいっそう難しくしているといえる。医療機関はこのような実態を理解し、被害者の意識が遠く離れてしまう前に、事態の究明と再発防止を掲げて信頼関係をつなぎとめる努力が必要となる。

59

36、37:石川寛俊(2004)『医療と裁判―弁護士として、同伴者として』岩波書店

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

※認容率とは、判決総数に対して認容件数の占める割合である。 ※ 「認容」には一部認容を含む。 ※通常訴訟には医事関係訴訟事件を含む。 ※本表の基礎となる事件数のうち、2004年までの医事関係訴訟の事件数は、各庁からの報告に基づくもので、概数である。

※地裁民事第一審通常訴訟件数については、1997年までは再審事件を含み、1998年以降は再審事件を含まない。 ※2005年の通常訴訟の数値は、速報値である。

出典 最高裁判 所 (1996-2005) 「医事関係訴訟事件統計」

区分 通 常

医事関係 (うち人証 調べ実施 )

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

86.0

85.8

86.6

86.1

85.2

85.3

84.9

85.2

84.1

83.4

72.5

71.4

70.7

69.9

68.7

68.7

68.2

68.7

67.4

65.4

40.7

37.3

43.5

30.4

46.9

38.3

38.6

44.3

39.5

37.8

図表13 地裁民事第一審通常訴訟事件・医事関係訴訟事件の認容率

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一方、厚生労働省では「今後の安全対策について(報告書)」のなかで、医療関連死の届出制度や、中立的専門機関における医療関連死の原因究明制度、および医療分野における裁判外紛争処理制度の構築を課題として掲げている。不幸にして事故が発生した場合にも、速やかな説明と再発防止が図られるとともに、必要な場合に患者等に適切な補償が行われるようになることで、医療が国民にとって信頼されるものとなると同時に、医療従事者がリスクの高い医療にも萎縮することなく取り組むことができるようになる。

60

38、39:中森三和子、竹内清之(1999)『クレーム対応の実際』日本経済新聞社

苦情に対する理解

苦情やクレームはネガティブにとらえられがちであるが、苦情は顧客の本音を吸い上げる貴重な機

会といえる。苦情に対して適切な対応をとれば、むしろ病院の信頼度を高める結果を生むこともある。

患者の「意見」は、どのようにして「苦情」へと変わるのだろうか。

一般に「顧客の苦情・クレームとは、その人の価値観や期待、生活態度や目標に応対者の行動が合

致していないときに起きる」38とされている。つまり、どの患者に対しても同じ態度をとったとしても、

それぞれの患者の感じ方は違い、好印象を持つ人もいれば、何も感じない人、悪い印象を持つ人など

さまざまということになる。対応時の些細なひと言によって、「意見」だったものが一気に「苦情」へ

と変わってしまうことも少なくない。

苦情に対しては臨機応変な判断が必要となるが、苦情を述べてくる相手から信頼感を得ることは基

本といえよう。その際、押さえるべきポイントは以下のようなものである39。

①誠心誠意対応する

②迅速に対応する

③相手の話を謙虚に聞く

④相手の話がわからないときは適時質問する

⑤問題解決に当たっては、公平性かつ透明性を保つ。

なお、苦情については『マーケティング』にて詳述している。

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3. 医療事故発生時の対応

1)事故発生時の心の準備

事故が発生した場合は、その当事者や報告を受けた経営者には、“隠せないか”、“責任を転嫁できないか”というような思いが一瞬よぎることもあるかもしれない。事故発生時には、迅速に被害者である患者の対応をすることが最も重要であることは自明といえる。経営者は、まずは組織として医療事故発生時に、自院の誰が当事者になったとしても、患者の安全確保に向けた行動を迷わずとれるように、経営者の考えとして「患者の安全を優先する」ことを職員に日常から伝えておくことが必要であろう。

2)事故発生時の対応

事故発生時には、患者の安全を確保することとともに、患者や家族に対して誠実に対応することが大切である。そして患者や家族に納得のいく説明をするために、当事者は院内のルールに従って報告をし、指示を仰ぎサポートを得ること、記録を残すこと、事故後の調査に積極的に協力することが必要である。経営者は万が一の事故発生時に備えて、情報伝達ルールを事前に定め、職員全員に徹底しておかなければならない。患者や家族が求めるものは、まずは医療機関の誠実な対応である。事故発生時の誠実な対応の要点について、参考までに整理しておく40。・事態が変わったからこそ、起きたことを説明し同意を得る・家族へは直ちに連絡する・届出や公表などについても説明し同意を得る・一人ではなく複数で説明する・記録しておく・“わからない場合”にはいまの時点ではわからないと正直に伝える・“わかっているように思える場合”だからこそ注意する・“当事者のサポート”も心に留める

61

40:四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編『医療安全管理テキスト』日本規格協会

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

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第2項 医療機関における危機管理

1. 危機管理の対象と対応

1)不測の事態と経営者のとるべき態度

医療機関にもさまざまなリスクがある。なかには経営の継続に甚大な損害を与えるものも少なくない。それらは得てして、予想すらしていない事態であり、それゆえ事態が発生してから対策を講じても、すべてがその場しのぎの対処となり十分な対応がとれない。また、たとえ自分たちには非がなくても、いったん患者や職員およびその家族に被害が生じると、評判に大きなダメージを与えることになる。危機管理(Crisis Management)で求められることは、時と場所を選ばず思わぬかたちで発生する緊急事態を予測し、万一、危機が発生した場合には迅速で果断な決断力と強い実行力で対処し、被害を最小限に食い止めることである。危機管理の対象となるのは、組織や個人に大きな損害を与える潜在的な不測の事態である。具体的な例を挙げると、以下のようになる。①医療事故:患者の事故死、職員の怪我、院内感染など②自然災害:地震、台風、土砂災害、津波、洪水、火山の噴火、など③不祥事:職員による死傷事件、贈収賄事件、セクシャルハラスメントなど④産業災害:火災、爆発、劇薬の流出、放射能漏れなど⑥テロリズム:誘拐・監禁、施設の破壊、毒物散布など⑦突発的な感染症:新型肺炎(SARS)、変異型クロイツフェルトヤコブ病、西ナイル熱など⑧その他:労働争議など

危機が発生すると、経営者は突然の変化に迅速に対応しなくてはならない。その際、大量な情報を処理する必要が生じることで、重要な情報を見落としてしまったり、身体的・精神的ストレスからくる緊張により、合理的な対応を行えなくなったりする。

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人間も組織も、常日頃からリスクに対して身構えているわけではない。そのため、リスクが明らかな危機として顕在化するまで、職員個人も、組織もその危機の可能性を進んで認めようとはしない。兆候を見落とす、あるいは故意に無視してしまうことも少なくない。あるいは、リスクを認識していたとしても、業務の遂行や組織の利益を優先して、そのリスクを棚上げすることもある。たとえその兆候が内部告発や顧客からのクレームによってもたらされたとしても、それすらも無視するということもある。個人がそのリスクを認知するのと、組織が認知することは違う。往々にして、両者のあいだにはタイムラグが生じるものである。いくら個人が認知しても、組織が認知しなければ、リスクに対応した行動は発動されない。また、組織が危機の存在を認識したとしても、初期段階での対応が小規模なものに留まると、やがて危機が顕在化し、組織に甚大な損害を与えることになる。少しでも早い時期に危機を的確に認識し、適切で組織的な対応がなされれば、多くの危機は避けることができる、あるいは、仮に危機が顕在化したとしても、その損失の拡大を防ぐことができる。

2)危機管理体制の整備

●危機の早期発見・認識(予兆の把握)

発展段階の初期に危機の前兆をとらえることができれば、それだけ損失を抑止できる可能性が高くなる。平時から以下の7点についての準備しておくことで、危機を早期に発見することができる41。①危機の存在するリスクの把握、分析②不測の事態に関する情報収集および早期警戒③迅速で効果的な脅威の評価④意思決定体制の整備⑤簡単に利用できる手続きの整備⑥内部管理体制の定期的な検査⑦専門家による支援

●危機管理体制の整備

最も重要なことは、初期状況の情報収集力である。現場からの一報を、経営層がどれだけ早く、正確にキャッチすることができるかが、初動を早くする決め手になる。そのような情報ルートと情報伝達ルールを確立しておくことが求められる。ひとたび危機が生じると、部門横断的な調整・連携が必要となる。このような活動は通常の

63

41:大泉光一(2001)『危機管理学研究』文眞堂を参考にした。

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

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業務に優先して行わなければならないが、通常の組織の指揮命令や報告系統のなかで行うのは困難であるため、経営層直轄の組織の下で行うことが望ましい。その際、平時は序列が下の者が、緊急時には上の者を動かすといったケースもありえる。危機、なかでも災害や大事故の場合には、指揮命令系統が寸断されることが少なくない。責任者を定めるだけではなく、序列を明らかにしておいて、上の者に連絡がつかなければ、次の序列の人間を探せるようにする。その際、指揮命令系統を守るために重要なのは連絡手段の確保である。災害の場合などは通常の連絡手段が機能しないことを想定して、さまざまな連絡系統を確保し、誰でもわかるようにそのリストを周知徹底しておくことが必要になる。また、危機特例を認めることも必要になる。たとえば、緊急時の予算の承認においては、しかるべき担当者が、ふだんは認められていないハイヤーや飛行機を利用するなどの行為である。

●危機管理活動のチェック(モニタリング)

たとえマニュアルを整備したとしても、実際に危機に直面したとき、全職員が方針に従い適切に行動できるとはいいがたい。日頃から危機発生時の心がけを全職員に繰り返し伝えるとともに、危機発生時、特に災害発生時の訓練を行うことが重要だ。これにより、一連の危機管理活動計画が適切なものか、活動が計画どおりに実行されているか、実行してみて不備な部分はなかったかなどのモニタリングが行える。社会環境や自院の経営状況の変化とともに、必要とされる危機管理活動も変わる可能性がある。整備した器材などが期限切れとなり使えないこともある。必要な危機管理活動を確実に行えるよう適切なタイミングでチェックし、活動に反映させることが大切だ。

3)災害時の医療機関の責任

災害が発生したとき、医療機関には入院患者や職員の安全確保と治療の継続が最優先されるが、その他にも医療機関に対し期待されるものは大きい。災害時は、運び込まれる負傷者に対する救急治療はもとより、透析患者や在宅酸素利用者など継続的な治療が必要な患者を受け入れることも必要となる。また、職員が医療救助チームを組んで被災地に訪れることも想定される。災害後は環境変化により、体力のない高齢者や乳幼児はもとより、日頃健康な人でも体調を悪化する可能性がある。また、災害の状況によっては感染症の蔓延も懸念される。医療機関には、地域自治体と連携して施設・設備や災害備蓄の整備を行うとともに、災害時に自院が提供できる機能を明確にし、確実に実施できる体制を構築することが求められる。

64

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2. クライシス・コミュニケーション

1)クライシス・コミュニケーションの重要性

最近の危機管理で重要視されているのは、不測の事態発生後の対応である。そのなかでも緊急事態の発生時に、そのダメージを最小限にとどめるためのコミュニケーション活動であるクライシス・コミュニケーションは、重要な役割を担う。問題発生時の組織内でのコミュニケーションのあり方の適否が、その後の医療機関の信頼感を大きく左右するからである。クライシス・コミュニケーションは、医療機関が危機発生時の混乱した状況に翻弄されるのを防ぎ、自ら状況をコントロールすることを目的としており、社会からの不信感や批判を軽減するうえでも極めて重要となる。危機発生後の対応がダメージとなり経営の危機を招くのは、往々にしてクライシス・コミュニケーションの不備が原因となる。クライシス・コミュニケーションでは、①「スピード」(迅速な意思決定と行動)、②「情報開示」(疑惑を招かぬ徹底した情報開示)、③「社会的視点からの判断」がポイントになる。

2)マスコミへの対応

危機発生の初期段階においては、マスコミとの協力関係を築き、医療機関がマスコミに対して主導権を握ってメッセージを発することが、医療機関のイメージの保護という点で極めて重要な役割を果たす。行政への積極的な情報公開と同様、マスコミへの情報公開も大きなメリットになる。的確なマスコミ対応と、その前提となる危機管理対策が十分にできていれば、危機が発生する前よりも好イメージを得ることも可能になる。少なくとも、大きくイメージがダウンするのを避けることはできる。危機が発生すればマスコミに大きく扱われるのは事実だが、そんな非常時こそ「危機に対する努力を無料で広報する手段」としてマスコミを利用するといった発想が必要になる。危機管理発生時のマスコミへの対応の原則は、以下のとおりである42。①できるだけ早く、できるだけ多くの事実を包み隠さず伝える。②統一見解を示すため、考え方やコメントをまとめた広報リリースを最優先して提示する。③専門用語はかみくだいて説明し、一般にもわかりやすく伝える。④ワンボイスが重要であるため、報道発表は一人の広報担当者が担当し、関係者がチームを編成して支援する。

⑤記者会見ではさまざまな質問を想定し、必要な資料を用意して、できるだけその場で答える。⑥危機対応にトップが積極的に関与していることを示す(ただし、トップを会見に出すタイミン

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42:大泉光一(2001)『危機管理学研究』文眞堂

第4章 医療機関経営におけるリスク管理の今日的課題

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グは慎重に判断する)。⑦電話取材はできるだけ回避する。⑧誤解はその場で否定する。⑨法律的な見地からのコメントは避ける。

3)マスコミ以外への対応

危機発生時に、コミュニケーションをとるべき対象はもちろんマスコミだけではない。医療機関にかかわるステークホルダーすべてに、自院のメッセージを伝える必要がある。

①関係省庁

必要に応じて警察や消防所なども含まれるが、関係省庁に対して速やかに報告を行い、今後の対応、およびマスコミ対策についても相談することが望ましい。

②被害者およびその家族

被害者が出た場合には、被害者のもとへマスコミが駆けつける前に、経過報告と謝罪、および対応を説明する。

③院内

全職員に状況を説明し、今後の対策や方針を示し、協力を仰ぐ。④関連事業者(連携医療機関など)

事実関係と自院の責任等を明確にし、原因や経過が判明しだい報告する。

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第5章

事例

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第1項 医療安全文化の醸成を目指した組織的取組み

公立大学法人横浜市立大学附属病院

1. 要約

1999年 1月、横浜市立大学附属病院(現公立大学法人横浜市立大学附属病院。以下、横浜市大病院)において、2名の患者を取り違え、入院目的と異なる手術が施行される事故が発生した。事故の発生原因は「リーダーシップの不足」と「安全文化の欠如」にあったと分析し、新たな安全管理責任者の専任配置や、日常業務における安全管理体制の評価・改善の仕組みをつくりあげるなど、安全管理体制基盤の再構築に取り組んだ。現在では安全管理体制が整備され、部分的ではあるが職員の自発的な安全管理活動も軌道に乗るなど、安全管理の第3段階は達成したといえよう。しかし、組織全体に安全文化が浸透し定着するまでにはいまだ相当の時間を要すると見られている。また、その間にせっかく始動した個々の活動も形骸化する可能性も否定できない。本稿では、同病院の経験から得られる示唆をもとに、医療安全文化醸成のための取組みの重要性について考える。

2. 病院概要

横浜市大病院は横浜南部医療圏に位置し、診療科27科、病床623床(一般577床、精神30床、結核16床)を有する大学病院である。救急医療をはじめ地域の急性期医療を担うとともに、大学病院として医師の教育・研究施設としての役割も担っている。同病院では、1999年に発生した患者取違え事故を機に、安全管理体制基盤の見直しを図った。まず、従前は部門単位でかつ属人的に行われていた事故予防を、病院全体でシステム化することを試みた。病院長直属の委員会として「安全管理対策委員会」を設置し、病院長をオブザーバーとして、構成員には、副病院長、看護部長、医療安全管理学教授など、病院経営の責任者や安全管理の専門家を起用した。その下には部門ごとの「安全管理者(リスクマネージャー)」を置き、現場職員らの情報交換や協議の場として「リスクマネージャー会議」を設置した。また、副病院長は従来の1名から2名体制に変更し、うち1名を病

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院全体の「総括安全管理者」に位置づけ、責任者を明確にした。

3. 責任回避文化からの脱却とリーダーシップ構築 

「何人もの関係者がおかしいと思っていたにもかかわらず、結果としてブレーキがかからなかった」横浜市大病院における患者取違え事故の最大の要因は、医療安全の責任に関する各人の自覚の薄さと、それを防げなかった組織体制にあったと分析される。同病院では、課題克服には、安全管理委員会が実質的に機能しリーダーシップを発揮すること、従来の部門別、職種別の縦割り管理に見られる、病院全体にかかわる事項に対する無責任文化からの脱却、職員全体の意識改革、部門間の対応能力の格差是正が急務であるとし、前述の病院概要に示すような管理体制を敷き医療安全管理への本格的な取組みを開始した。一般的に、安全管理体制の構築はまずは形を整えることから始められる。基本的な整備項目としては、

69

第5章 事例

出典 横浜市立大学医学部附属病院(2006)「平成17年度の医療安全管理の取組について」参考資料

病 院 長

副 病 院 長 副 病 院 長

[ 統 括 安 全 管 理 者 ]

安 全 管 理 対 策 委 員 会

改善策の検討・評価 指導・助言、情報提供

インシデントの報告 改善案の提案

医療安全管理室

[医療安全管理学教授]

安全管理指導者

担 当 係 長 ( 看 護師 )

担 当 係 長 ( 薬 剤 師 )

安全管理者

管理部長

看護部長

診療科部長

その他

管 理部 門

委  員

各 診 療 部 門 各 中 央 部 門 看 護 部 門

[リスクマネージャー] 安全管理者

[リスクマネージャー] 安全管理者

[リスクマネージャー] 安全管理者

[リスクマネージャー] 安全管理者

リスクマネージャー会議

図表14 横浜市立大学安全管理体制概念図

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診療報酬点数上の算定のための4つの基準、①安全管理委員会、②インシデント報告制度の構築、③職員教育の仕組みづくり、④事故予防マニュアルの作成が挙げられる。しかし、形だけ整えても実際には機能しないといったことが、多くの医療機関で見受けられる。たとえば、①の委員会の設置については、委員会メンバーには重要な業務への参画というよりも単なる業務負担増と受け取られがちである。②の報告制度も、報告、分析・評価、対策立案、フィードバックのシステムはつくったが、実際的に機能しない。③の職員教育については、特別講師を招いて1、2時間の講義を開催する程度で、実践的な教育研修とはなっていない。④の事故予防マニュアルも作成したものの、現場ではまったく活用されていない、といった様子である。

4. 組織の段階的な変化

第1段階:組織体制を整える

これに対し横浜市大病院の安全管理担当者は、「あくまで形を整えることは第一段階にすぎない。だから、取組みの初段階でうまく機能しないからといって焦ることはなく、一歩一歩活動を定着させることで、職員の個人単位の自発的な参画を誘発することができる」と強調する。形を整えただけでは機能しないのは、安全活動が日々の業務とは別のものとして扱われていたり、安全管理委員会に実質的な権限が付与されなかったりすることによる。

第2段階:組織を動かす・機能させる

同病院の安全管理対策委員会では、職員に安全管理の取組みへの参画を促すために、院内の部門横断的な活動や個別部門の業務を定着させるための仕掛けづくりをしている。具体的には、組織全体のTQM活動の目標に安全管理関連のテーマを組み込んで日常業務に関連づけて検討させたり、インシデントの報告内容を複数部門で共有化し有機的に結びつける仕組みをつくったり、作成されたマニュアルを実態に即して改善するために新たに組成したチームにおける検討を促したりなどである。このような仕掛けづくりは、単に安全管理対策委員会が努力するだけでは実現できない。というのも同委員会が、他の委員会に対して具体的な指示や影響力を発揮できなければ、同委員会での決定も具現化されないからだ。同病院では、同委員会に必要な権限が与えられていたと同時に、病院長が安全管理の重要性を病院の内外にたびたび訴えていた。このように、安全管理体制の構築にあたっては、組織のリーダーが安全管理の重要性を認識し、その取組みを全面的に支援できるかどうか、そして医療安全管理に関する活動が「病院全体の最優先事項である」と職員に認識させられるかどうかが重要なポイントとなる。

70

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第3段階:職員による自発的活動の始動

同病院における安全管理体制整備の大きな産物としては、部門を超えた職員らの自発的な教育研修プログラム「人工呼吸教育研修プログラム」の始動が挙げられる。同プログラムでは、ICU担当医師、ICU専門看護師、ME(臨床工学技士)らが、人工呼吸器を利用する患者の病態生理に始まり一連の関連事項についての講義を行う。人工呼吸器にかかわる専門家らが職種の壁を超えて、一緒になってプログラムを作成し、活動を展開したのだ。従来の医学教育では、このように異なる職種が横断的に参加するような講義形態は、ほとんど見られなかった。いまでは、同様のプログラムが人工透析や糖尿病患者へのインシュリン投与量の管理にまで広がっている。人工透析を受ける患者は糖尿病を持っていたり、複合的な疾患を患っていたりする場合がある。こうした患者を疾患の枠にとらわれずに管理するため、異なる疾患に共通する問題を、基本的な医学的知識も含めて幅広い職種に教育をしていくという取組みがなされるようになった。このほか、臨床的問題が解決された例として、手術中にできる血栓によって起こる肺塞栓への対応策の改善がある。肺塞栓については従来、同じ症状でありながら産婦人科や整形外科で異なる対応策がとられていた。そこで、安全管理委員会が麻酔科教授に働きかけて複数診療部門に共通のマニュアルを作成し、各診療科にマニュアルの適用をルール化した。病院として、患者に提供する医療内容の標準化を図ったのだ。このような職員による自発的活動が見られるようになったことで、同病院における安全管理体制は形だけのものではなく、現実に機能しているということがわかる。

第4段階:部分的な活動から全体活動に向けて

第3段階を経て、院内には自発的な参画姿勢と、実際の活動における成果が見られるようになったが、それらは医療職自らが関与する業務範囲内で行っていることが大半であり、組織全体としての「安全管理体制」には及んでいなかった。職種横断的な取組みが行われても、それぞれの職種が自分の領域外に一歩出て確認しようとする、いわば「隣の三尺」の意識がなく、組織全体としての最適化へ向けての取組みまでの統制はとられていなかった。同病院では、このような部門間の垣根を取り払って、病院全体の最適化に向けて活動につなげていくことが、第4段階の課題と考えている。病院は患者に対しては組織横断的にサービスを提供していることから、部分、部分で改善活動を続けていく過程で、必ず他部門との調整や他部門による協力が必要な問題が出てくるものである。同病院では、そのような組織横断的な課題を迅速に解決するために、専門の委員会の設置・廃止を柔軟に行えるようにして機動性を高める工夫をしている。一例として、カルテの監査システム導入事例が挙げられる。カルテの書き方の見直しを図るため、委員会を立ち上げてカルテ監査システムを導入した。現場職員が自ら評価項目を作成するというプロセスを経

71

第5章 事例

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ることで、よいカルテとはこうあるべきという意思統一が図られた。委員会では、その評価項目をもとに、異なる診療科のカルテをサンプリングして点数化し、不十分な例については部長会の席上で診療科名を出してフィードバックすることで、診療科の責任者に改善を促している43。この取組みにより、診療科を超えたカルテ内容の標準化という質の向上のみならず、診療科責任者の管理能力強化や意識向上が図られているという。

5. 部門間・個人間格差是正のための組織統制

いかなる取組みを実行しても、安全意識を組織全体に均一に浸透させるのは難しい。できていない部分(あるいは個人)については、一向に改善されないということも起こりうる。この場合、病院内の部門間格差や個人間格差がますます拡大するだけで、病院全体で見た医療安全リスクはそれほど下がらない。先述の安全管理担当者は、このボトルネックにいかに改善の仕掛けをしていくかが、これからの組織統制の重点課題であると見ている。そのための策として、一人一人に行動を起こさせるような労務面での個人管理や教育制度、ワークショップなどを組み合わせたボトムアップの取組みを考えている。一方で、これまで縦割りの管理体制の是正に努力をしてきたとはいえ、実際に改善効果が得られたのは一部でしかないのも事実である。特に、事務職と医療職のあいだの医療安全への対応に関する意識乖離の問題は大きいという。たとえば、医療職が事故を起こした場合に患者に対して誠実に対応しようとする一方で、同時に院内の事務職に対しては事故責任についての言い訳をしなければいけないというような状況は、医療職にとっても不幸であるし、病院組織としての被害者への対応の面でも望ましいことではない。このような場合には、事故の原因追求を患者への誠実な対応よりも優先させてしまうというようなことも起こりがちである。現場の医療職がよい仕事ができるよう環境を整えていくことも、事務職の1つの重要な役割である。先述の安全管理担当者は、現場の医療職が安心して業務を遂行することができるようにするためには、事務職が医療職から信頼を得ていることが基本だと考えている。そこで、事務職には、現場支援の役割を担っているとの自覚を求めるとともに、事務職が現場理解を深める機会を提供するよう働きかけている。

6. 医療安全管理における経営者の意思決定

経営者は、財務面での利益と医療安全リスクとの狭間で、困難な意思決定を強いられることがある。このとき安全管理とコストは、常に二律背反の関係としてとらえられがちである。理想的なリスク管理を追求すれば際限がなく、組織を成長させるためのバランスを欠いた資源配分となってしまう。一方、経営イ

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43:今後は、模範的な例についてカルテ記載者の個人名を挙げて表彰することなども検討している。

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コール財務の優良性ととらえると、経費や人件費の削減が先行しがちである。横浜市大病院の安全管理担当者は、経営的側面も含めた今後の安全管理の課題は「いかに安全に配慮しながら、病院の内部資源を合理的に配分するかにある」としている。たとえば、看護師数が多すぎるという場合にも、看護師を減らすことだけを検討するのではなく、その業務内容の見直し、一部業務の他職種による代替可能性なども吟味したうえで、戦略的な選択をすることだという。つまり、安全管理をおろそかにして人員削減を行うと、結果的に組織に多大な損害を与える可能性がある。逆に、必要以上の人員を配置すると、結果的に経営が悪化する可能性があるということだ。経営上の利益と医療安全リスクのバランスをとることは困難だと諦めることなく、経営管理の本質的な目的を理解して、組織としてのリスク管理能力を高めることが重要だと指摘する。

7. 組織文化の本質的な改善に向けて

かつて大事故を起こした病院であっても、時とともに事故に対する危機意識が薄れていくのを避けることはできない。横浜市大病院の現職員のうち、事故発生時に勤務していた者の割合は、事務職が約3割、看護師が約3割、医師は約5割程度であり、過去の経験をもとに事故に対する危機意識を喚起させることは、徐々に難しくなっている。事故を経験していない新しい職員に、いかに危機意識を喚起させるかは重要な課題であり、そのためには継続的かつ地道な取組みが必要となっている。外部からの異動してきた職員も、大事故につながらなくとも似たようなヒヤリ・ハットの経験をしていることが大いに考えられる。同病院では、各人の経験をケーススタディとして研修することで、かなりの効果が得られると考えている。最近では全国的な安全管理意識の高まりのなかで、労働災害対策に倣ったKYT活動44の医療現場への導入も進んでいる。今後は、こうしたインタラクティブ(双方向的)な研修方式により体験を共有化するとともに、一人一人の教育に主眼を置いたシステムの充実化が求められるだろう。安全対策には終わりがない。医療安全管理は医療機関における永久的な課題であるが、経営管理における最重要事項の1つといえる。横浜市大病院では、事故を契機とした安全管理の取組みを進化、発展させ、安全文化が根づいた組織をつくり上げることで、医療の質向上に向けた努力を続けている。

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44:KYT=危険(K)予知(Y)訓練(T=トレーニング)。ヒヤリ・ハット事例などから、危険を予測・シミュレーションを行い、危険を予知し未然に防ぐ能力を身に着けるためのトレーニング法。

第5章 事例

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第2項 急性期病院における安全管理への取組み

社会福祉法人聖隷福祉事業団 総合病院 聖隷浜松病院

1. 要約

大規模かつ高機能の急性期病院である聖隷浜松病院は、運営方針の1つとして安全管理を掲げ、院長直轄の安全管理室や病院安全管理委員会などの組織を整備している。また組織を有効に機能させるために院内に影響力のある人材を配置するとともに、安全管理のフローチャートを策定し、実際に機能させることで、病院としての安全管理の水準を上げることに注力している。「インシデントとアクシデントのレポートをいかに病院全体から漏れなく収集するか」「インシデントやアクシデントの分析・評価に基づいて作成した安全管理のマニュアルを、いかに現場に定着させるか」について、その重要性を訴えるとともに、具体的活動の評価、報告や、オペレーション面での工夫などを行うことで、レポート提出を促し、改善につなげる仕組みが構築されている。運営方針である安全管理の考え方は、組織文化にまで根づいている。今後とも安全管理の活動サイクルを回し続けることで、安全管理のレベルはさらに上昇し続けるであろう。

2. 病院概要

聖隷浜松病院は、静岡県浜松市に位置する静岡県西部地域の基幹病院である。744床を有し、2004年度の病床稼働率は94.0%、1日当たり患者数は入院699人、外来1821人、平均在院日数14日の急性期病院である。2004年6月には地域医療支援病院としての承認を受けており、地域において高度医療を担うために、救急センター、総合周産期母子医療センター、腫瘍治療センター、脳卒中センター、腎センター、PETセンター(2006年8月開設予定)、医療情報センター、臨床研究管理センターなどのセンター化を進めている。同病院ではこのように、診療機能の特殊化、高度化の推進といった利用者に訴求しやすい、医療の効果向上に対する取組みは進んでいる一方、医療行為に内在する危険性の調査分析に基づく安全性向上に対する取組みは十分とはいえなかった。そこで、医療安全に関する委員会を設置し、それまで各部署で個別に行われていた安全管理のための活動を組織的に行うこととした。具体的には、医療行為やその他院内での

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業務における危険性を認知、分析し、それに対する対策を立て、実行に移すという一連の活動を可視化する取組みを開始したのだ。

3. リスク管理に対する基本的考え方

聖隷浜松病院では「私たちは利用してくださる方ひとりひとりのために最善を尽くすことに誇りをもつ」を病院理念として掲げている。これを実現するための運営方針の1つが、「安全と質と効率の追求」であり、この重要性を院内外に示すために、安全管理を専門的に取り扱う院長直轄組織として「安全管理室」を設置している。

一般的に安全管理担当者を配置している医療機関では、安全管理担当者に安全管理に関する方策、対応などにかかわる権限が与えられている場合が多い。しかし、現実的には、職位や職種の違いなどによってその権限を行使することが難しく、安全管理のシステムが円滑に動いていないことが多いとみられる。同病院では、統括セーフティマネージャーとして外科系中心に影響力の強い麻酔科の副院長を任命し、その下に中央セーフティマネージャーと実務を担う事務担当者を配置することで、安全管理を院内に定着するために必要な権限を行使できている。

4. 安全管理の取組み

同病院の安全管理体制では、医療事故となった事例についての報告書であるアクシデントレポートと、事故には至らなかったものの、事故に発展し患者に健康被害を与える可能性のある事例の報告書であるインシデントレポートとで、報告ルートを分けている(次ページの図表15)。アクシデント発生の場合は、当事者はまず、救命活動を最優先とするとともに、職場長、主治医および統括セーフティマネージャーに緊急報告する。統括セーフティマネージャーは対策会議を緊急招集し、対策会議において弁護士や保険会社の指示・助言を得ながら、対応案を検討し、最終的に院長が対応を決定、指示する。院長および対策会議は、院内外や患者・家族に対して公式見解の発表や説明を行う。アクシデントレポートは後日、当事者が統括セーフティマネージャーに提出する。このように、アクシデント発生時の最も重要な初期対応を、組織として的確かつ迅速に実行できるような報告・連絡・相談の体制を敷いているのだ。

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第5章 事例

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インシデント・ニアミス当事者 アクシデント当事者

職場長・主治医

各部門・各 課 (科 ) の

事故予防対策委員会

統括セーフティマネージャー

中央セーフティマネージャー

インシデントレポート検討委員会

委員長 統括セーフティマネージャー

委 員 中央セーフティマネージャー

    病院安全管理委員会事務局

    各部門・各 課 (科 ) セーフティマネージャー

業 務 インシデントレポートの分析・評価

    防止対策の具体的方策の検討

病院安全管理委員会

委員長 統括セーフティマネージャー

委 員 中央セーフティマネージャー

    内科系副院長

    外科系副院長

    事務長・総看護部長・技師長

    薬剤部長・事務局

業 務 総論的検討と対策の提示

報告 緊急報告

弁護士

院内外

議 長

患者・家族

保険会社

報告・検討依頼

報告 指示

説明 説明 指示 助言

公式 見解

防止対策の提言

イ ン シ デ ン ト レ ポ ー ト

後 日 ア ク シ デ ン ト レ ポ ー ト

安全対策の

提示・啓発

緊 急 報 告

対 応 支 持

緊 急 報 告 ・ 後 日 ア ク シ デ ン ト レ ポ ー ト

緊 急 招 集 の 対 策 会 議 内 容 の 報 告

防 止 対 策 の 提 言 ・ 対 応 支 持

防 止 対 策 の 提 言

イ ン シ デ ン ト で は な

く ア ク シ デ ン ト と と

ら え る べ き 事 例

・ 防 止 対 策 の 提 言

対 応 指 示

公 式 見 解

説     明

・ イ ン シ デ ン ト 集 計 報 告

・ イ ン シ デ ン ト レ ポ ー ト の 内

  検 討 必 要 事 例 の 検 討 依 頼

対策会 議 (緊急召集 )

事務長・総婦長・主治医・関係者

病院安全管理委員会事務局

インシデント

レポート

出典 聖隷浜松病院

図表15 セーフティ・マネジメントフロー図

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また防止対策の観点から、対策会議は病院安全管理委員会にアクシデント内容の報告、検討を依頼し、その提言に基づき、アクシデント当事者および当該職場長・主治医に防止対策の提言を行う。一方、インシデントの場合、当事者は、職場長や主治医へ報告するとともに、インシデントレポート検討委員会にレポートを提出する。レポートは当事者だけでなく、その他の職員も報告することができる。たとえば、たまたま見ていて事故につながりそうだと感じた職員が、後日インシデントレポートとして報告することができるのだ。提出されたレポートすべてについて、インシデントレポート検討委員会の委員が確認し、統計解析、対策検討、院内へのフィードバックを行うとともに、重要な案件について病院安全管理委員会へ議事提案を行う。また、インシデントではなくアクシデントととらえるべき事例があった場合は、すぐに対策会議にかけられる。

●病院安全管理委員会の役割

安全管理の取組みで院内において最も重要な役割を果たすのが、病院安全管理委員会である。同委員会は、副院長である統括セーフティマネージャー、中央セーフティマネージャーの他に、副院長、診療部長2名、事務長、総看護部長、技師長、薬剤部長等で構成されている。同委員会の取組みの1つに、安全管理の広報・教育活動がある。同病院では、院内外の安全管理の事例をもとにマニュアルの作成や改訂を行い、全部署に配備しているが、現場の職員が眼を通すように、同委員会による工夫が行われている。たとえば医師に対しては、医局会、診療部長会議などで実際のインシデント、アクシデント事例を発表し、注意を促した後にマニュアルを公表するといったものである。また、現場でマニュアルを有効活用するために、各部署での研修のほかに病院全体で数百人規模の研修会を年2、3回企画、運営するだけでなく、研修後に現場を定期的に巡回してマニュアルの遵守状況を確認し、マニュアルの存在を強く意識させるといったフォローを行っている。その他にも、対外的な勉強会、研修会、学会やインターネットなどで、インシデントの事例を積極的に発表し、他の医療機関に対して注意を促すといった地域医療支援病院としての活動も行っている。

5. 安全対策の取組みに対する評価

実は、聖隷福祉事業団で同病院と同様に安全管理システムでは定評のあった聖隷三方ヶ原病院において、2003年10月にリドカイン過量投与事故が発生した。この事故は、現場職員のレベルでは事故発生の可能性が十分認識をされていたにもかかわらず、そのリスクが放置され、結果として重大な事故が発生してしま

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第5章 事例

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ったという点で、医療現場における安全対策を徹底するうえでの困難さを再認識させたのだった。聖隷浜松病院においても、同様の事故のリスクの可能性があるものと考え、口頭指示マニュアルの作成と当該薬品の変更を行うとともに、事故の経験を共有化するために、聖隷三方ヶ原病院院長による講演会を開催するなどの対応を行った。「改善活動のサイクルを回し続けていくことが、とにかく大切です」と、統括セーフティマネージャーである副院長の小久保荘太郎氏はいう。これは、自らの6年間の経験から、安全管理システムは形を整えるだけでは意味がないことを痛感していることから出た言葉だ。同病院では、インシデント、アクシデントレポートを分析し、防止対策を講じるだけでなく、とられた対策の評価も行っている。対策を行った後の当該インシデント、アクシデントの発生件数状況を分析して対策を評価し、評価結果を診療部長会、看護師長会で定期的に伝えるとともに、年度末に職員全体に伝えている。前述の事故のような取り返しのつかないアクシデントの発生につながらないように、レポートをいかに病院全体から漏れなく集めるかが重要になってくる。そのことを職員に理解してもらうために、同病院では安全管理の基本的な考え方として、「この活動には、アクシデントおよびインシデントレポート提出が大前提となるが、このレポートは提出者または関係者が個人的に不利益を被る性格のものではない」と明示している。またオペレーション面においては、レポート提出およびその分析のための業務負荷を軽減するべく、2003年6月に電子入力システムを導入した。その効果もあって、年間3000件程度であった両レポートの提出件数が、2005年度時点では4000件弱にまで増加している。

6. 将来に向けての課題

聖隷浜松病院では現在、安全管理への取組みをさらに強化するために、セーフティマネージャーを専任とするか兼任とするか、どのような人材を配置するかについて検討を行っている。現状は、ほぼ専任で一部他の職務との兼務という形をとっているが、業務の質や量の面から、兼務で医療安全対策に取り組むには限界があり、専任の担当者を置くことでよりきめ細かく対応できるのではないかと考えている。ただ、セーフティマネージャーが専任であることの難しさもある。アクシデント発生時の対応では患者と病院の板挟みになることから、常に精神的に厳しい状況に追い込まれる。専任であると逃げ場がないため、よほどの強靭な精神の持ち主でなければ参ってしまう可能性がある。そのため、専任で担当者を配置するのは現状では困難であり、将来的な検討課題としている。また職員の適性については、事故の事実や原因をわかりやすく説明できる医療に関する知識やコミュニ

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ケーション能力、医療訴訟などになった場合の法律知識、そして何よりも、事故で矢面に立たされたときにも患者の訴えを聞ける精神的な強さと忍耐力を有していることが望ましいと考えている。もう1つの今後の課題としては、アクシデント発生時の管理体制の強化である。特に、夜間、休日の対応に関しては、現状では当直、日直の看護部長が統括セーフティマネージャーもしくは中央セーフティマネージャーに報告し、そこから院長、事務長、総看護部長に報告するシステムになっているが、迅速にかつ的確に対応するためには体制強化の必要があると認識している。聖隷浜松病院では、上述のような検討課題を抱えながらも、大規模でかつ高機能の急性期病院として多くのインシデントに直面する、その体験を決して無駄にしない安全管理のシステムを構築しているといえよう。病院の運営方針の1つとして掲げている安全管理は組織文化にまで根づいており、今後も安全管理の活動サイクルを回し続けることで、安全管理レベルのさらなる向上を目指している。

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第5章 事例

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阿部賢則、あさひ・狛法律事務所(2005)『病院再生』日経メディカル開発石井孝宜、山本雅司、石尾肇(2004)『医療・介護施設のためのリスクマネジメント入門』じほう井部俊子監修、中西睦子監修/村上美好、木村チヅ子編(2004)『看護管理学習テキスト第3巻 看護マネジメント論』日本看護協会出版会 大泉光一(2001)『危機管理学研究』文眞社飯田修平編著(2003)『病院早わかり読本 第2版増補版』医学書院石川寛俊(2004)『医療と裁判―弁護士として、同伴者として』岩波書店大山正、丸山康則編(2004)『ヒューマンエラーの科学』麗澤大学出版会岡本浩一(2001)『無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略』PHP研究所尾形裕也(2000)『21世紀の医療改革と病院経営』日本医療企画川渕孝一(2004)『進化する病院マネジメント』医学書院KPMGビジネスアシュアランス(2005)『内部統制の実践的マネジメント』東洋経済新報社国際医療福祉大学医療福祉学部医療経営管理学科編(2004)『四訂 医療・福祉経営管理入門』国際医療福祉大学出版会島田晴雄、大田弘子(1995)『安全と安心の経済学』岩波書店新日本監査法人(2005)『プロが教える病院再生プロジェクト』ぱる出版武井勲(1987)『リスク・マネジメント総論』中央経済社高田利廣(1997)『看護婦の医療行為 その法的解釈』日本看護協会出版会チャールズ・ビンセントほか/安全学研究会訳(1998)『医療事故』ナカニシヤ出版TKC全国会、医業・会計システム研究会編(2004)『病医院の経営・会計・税務』TKC出版中森三和子、武内清之(1999)『クレーム対応の実際』日本経済新聞社野田稔(2000)『企業危機の法則』角川書店長谷川敏彦編集(2002)『病院経営戦略』医学書院野田稔(2000)『企業危機の法則』角川書店吉田博文、中尾宏、中村雅一、坂上信一郎編著(2006)『戦略医業経営の17章』医学通信社四病院団体協議会医療安全管理者養成委員会編(2005)『医療安全管理テキスト』日本規格協会UFJ総合研究所(2003)『医療施設経営ハンドブック』日経BP社「インタビュー 橋本廸生」『ばんぶう』2005年9 月号、日本医療企画「事故の教訓を全職員で共有し院内の改革を推進」『日経ヘルスケア21』日経BP社「人工呼吸のリスクマネジメント」『呼吸器ケア』2005年10月号、メディカ出版KPMGビジネスアシュアランス「経営におけるリスク管理一般」医療経営人材育成事業ワーキンググループ資料渕上順一郎(2005)『感染管理が病院経営に与えるインパクト』日本総研レポート聖隷浜松病院 2004年報

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参考文献

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横浜市立大学医学部附属病院「平成17年度の医療安全管理の取組について」2006年6月National Nosocomial Infection Surveillance System Report, 1990-1996

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参考ホームページ

日本医師会日本看護協会全日本病院会日本医療機能評価機構厚生労働省内部監査基準(日本内部監査協会)日本総研聖隷浜松病院

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●英数字●

10の要点 ……………………………………35~36

(安全な医療を提供するための10の要点)

4M …………………………………………………23

ISMS …………………………………………… 50

(情報セキュリティマネジメントシステム)

ISO ……………………………………………… 49

●ア行●

安全管理 …………………………………… 17~18

安全文化 …………………………………… 35、44

医業停止 ………………………………………… 57

違反 ………………………………… 24、27~28

医療安全対策ネットワーク整備事業 ……36、41

医療過誤 ………………………………………… 55

医療機能評価、病院機能評価 ………………… 48

医療契約 ………………………………………… 56

医療サービス提供にかかわるリスク …… 13~14

医療事故 ………………………………54、61、62

医療事故損害賠償請求訴訟、医療訴訟 … 58~59

医療事故紛争 ……………………………… 54、58

医療事故防止対策委員会 ………………… 37、39

医療水準 ………………………………………… 56

因果関係 ………………………………………… 57

インシデント …………………………………… 18

院内感染 ………………………………………… 42

エラー …………………………………………… 24

●カ行●

外的リスク ……………………………………… 16

ガイドライン ………………………………36、42

(安全管理のための指針、指針)

外部評価制度 …………………………………… 48

過誤、過失 ……………………………18、54、55

環境ISO14001 ………………………………… 49

環境リスク ……………………………………… 15

感染管理 ………………………………………… 42

危機(クライシス) …………………………… 17

危機特例 ………………………………………… 64

業務上過失致死傷罪 …………………………… 57

業務停止 ………………………………………… 57

苦情 ……………………………………………… 60

クライシス・コミュニケーション ……… 65~66

クライシス・マネジメント ……………… 17、64

(危機管理)

クレーム ………………………………………… 60

経営にかかわるリスク …………………… 14~15

刑事責任 ………………………………………… 57

更新審査 ………………………………………… 49

個人情報保護法 ………………………………… 51

個人的違反 ……………………………………… 27

行政上の責任 …………………………………… 57

行政処分 ………………………………………… 57

●サ行●

再審査 …………………………………………… 49

債務不履行責任 ………………………………… 56

サーベイヤー(評価調査者)…………………… 49

産業災害 ………………………………………… 62

残存リスク ……………………………………… 34

事故(アクシデント)…………………………… 18

自然災害 ………………………………………… 62

自然的要因 ……………………………………… 23

重複 ……………………………………………… 33

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索 引

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準委任契約 ……………………………………… 56

情報セキュリティマネジメントシステム …… 50

(ISMS)

人的因子(ヒューマン・ファクター)…… 24~28

審理期間 ………………………………………… 58

スキル・ベース・エラー ……………………… 24

スリップ ………………………………………… 24

善管注意義務 …………………………………… 58

属人風土 ………………………………………… 44

組織的違反 ……………………………………… 27

損害賠償責任 …………………………………… 57

損失 ………………………………………… 22~23

損失軽減 ………………………………………… 33

損失防止 ………………………………………… 33

●タ行●

第三者機関 ………………………………… 47~48

テロリズム ……………………………………… 62

典型7公害 ……………………………………… 15

トリップ ………………………………………… 24

●ナ行●

内部統制 …………………………………… 45~46

内部評価制度 ……………………………… 47~48

認容率 …………………………………………… 58

●ハ行●

ハインリッヒの法則 …………………………… 18

ハザード(危険状態)…………………………… 22

品質ISO9001 ……………………………… 49~50

ファンブル ……………………………………… 24

不確実性 ………………………………………… 12

不可抗力 ………………………………………… 18

不祥事 …………………………………………… 64

不測の事態 ………………………………… 17、64

物理的要因 ……………………………………… 23

不法行為責任 …………………………………… 56

分離 ……………………………………………… 33

ペリル(損失原因) …………………………… 22

法的責任 …………………………………… 55~57

保険 ……………………………………………… 33

●マ行●

マスコミ …………………………………… 65~66

ミステイク ……………………………………… 24

民事責任 ………………………………………… 56

無責任の構造 …………………………………… 46

免許取消 ………………………………………… 56

モニタリング ……………………………… 41、64

●ヤ行●

予兆 ……………………………………………… 63

●ラ行●

ラプス …………………………………………… 24

リスク回避 ……………………………………… 33

リスク管理責任者 ……………………………… 40

リスク管理の定義 ……………………………… 17

リスクコントロール ……………………… 32~34

リスクの移転 …………………………………… 33

リスクの顕在化 ………………………………… 18

リスクの最適化 ………………………………… 30

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リスクの棚卸 …………………………………… 30

リスクの定義 …………………………………… 12

リスク分散 ……………………………………… 33

リスクの保有 …………………………………… 33

リスクファイナンス …………………………… 33

リスクマネジメント部会 ……………………… 38

リスクマネージャー ……………………… 40~41

ロスコントロール ………………………… 32~33

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経済産業省サービス産業人材育成事業医療経営人材育成テキスト[Ver. 1.0]

リスク管理おわりに

発行日 2006年3月31日発行者 平成18年度医療経営人材育成事業 ワーキンググループ事務局 KPMGヘルスケアジャパン株式会社 

東京都千代田区丸の内1丁目8番1号 丸の内トラストタワーN館

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