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1.はじめに

 ごく最近まで日本では,「貧困」という言葉はあまり使われなかった。ところが昨年秋頃から,むしろ「貧困」が一種の流行のようになっており,また貧困の実態についても,テレビや新聞・雑誌などマスメディアが様々な角度から取り上げている。そこで,ここでは現在の貧困の実態のあれこれを取り上げるのではなく,そうした実態をどのように理解するかという角度から,貧困のとらえ方に1つの焦点を当てたい。また同時に,貧困に対する政策的対応の特徴を述べて,労働政策と社会保障をどうジョイントさせていくかという議論につなげてみたいと思う。

2.貧困とは何か

 まずイギリスのポール・スピッカーという社会政策学者が作成した「貧困の家族的類似」という変わった名前の図1を見ていただきたい。これは,先進国の貧困だけでなく世界中の貧困という言葉が,どのような概念として使われているか,それを全部集めてみて,類似のもの同士を隣り合わせに並べてみると,こんなふうになるという図である。 この図1によれば,貧困はある物的状態で,具体的ニーズ(必要)と把握されることもあるし,あるいは所得とか貯金,貯蓄,土地,家屋など,資源として理解されることがある。さら

に,排除や依存,あるいは社会階級や身分差別などの中で問題にされるということもある。スピッカーは,これらの多様な理解を,物的状態,社会的地位,経済的環境の3つに大別し,さらにそれらの真ん中に「容認できない困難」という表現で,ある共通項があることを示している。

「容認できない」というのはどういう意味か。ある状態に置かれた本人が容認できないという意味と,社会がそれを認めないほうがいいと考えるという,二面があると考えられる。それは価値判断であって,この価値判断に貧困という概念の共通点がある,というわけである。例えば,不平等とか格差は,もちろんそれがいい悪いは価値の問題だが,このぐらい不平等だということは記述的,客観的に示すことができる。だが貧困は規範概念で,必ずしもデータだけで示すことは出来ない。データの前に,どこからを貧困というかを決めなければならないからだ。 そのために,何を貧困というか,貧困線はどう決めたらいいか,については,さまざまな論争がある。その中には,私はあの人を貧困だと思うけど,別の人はそうじゃないと思うのは,それはそれでいいという考え方も生まれてくる。だが,例えば「私はゴッホは嫌いだけどピカソは好き」ということと,貧困が規範概念であるということは同じではない。なぜなら貧困は人々の生死とかかわったところに存在している。つまり,人が生きていく,生き続けていくことと関わっているので,どのような判断基準をとるかは真剣な論争にならざるをえない。

労働・社会法グループ主催シンポジウム 2

貧困のとらえ方と政策対応

岩田正美*

* 日本女子大学人間社会学部教授

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 とはいえ,そうした価値判断は,何か絶対的で動かせないものではない。むしろ社会の構成員が,その時々の社会のあり方の中で,合意していくようなものと言えよう。もちろんそうした合意形成のために,いろいろな客観的な資料やその基準の合理性を説明するような科学が動員される必要がある。また一番大事なのは,困難の中にあるだろうと思われている人たちの意見やそれらの困難状況への一定の配慮を社会全体が持った上で,合意形成を行っていくことであろう。

3.貧困基準の考え方

 ところで,スピッカーは物的状況,社会的地位,経済環境をそれぞれ対等に配置していたのだが,一般的に言うと貧困のコアは物的欠乏とそれもたらす資源の不足から説明するのが普通だ。したがって,これまでの貧困基準の開発は,この物的欠乏=資源の不足をどのように捉えるかを基軸になされてきたという経緯がある。 今簡単に代表的なアプローチを四つ挙げてみよう。1つはマーケット・バスケット・アプローチといって,私たちが生きていくために必要なものを買いもの籠の中に入れていって,そ

の価格を計算して,理論的に最低生活費を求め,これを貧困の基準とする方法である。この考え方の基礎は栄養学で,必要エネルギーとタンパク質が満たされることが基準になっている。今の生活保護の基準の原型はこの方法で作られているし,最低賃金の考え方の1つの方法でもある。 このマーケット・バスケット・アプローチに対して,実態アプローチというものもある。これは実際の消費実態を家計調査などで明らかにし,その実態家計費中で,適当と思われる水準を貧困基準とする方法である。適当と思われる水準は,エンゲル法則のような家計法則を利用して決定する。 以上の2つは,最低生活費を求めて,これを貧困基準として利用するアプローチであるが,これとは異なる考え方もある。最低生活費アプローチは,人間を生存レベルで捉えているが,人間は社会的存在であり,社会は具体的な歴史や文化,自然条件の中で独自の生活様式を作りだしているので,こうした生活様式から脱落しないで生きていくことが不可欠となる。たとえば,他者との付き合いが不可欠であるとか,先ほどのセーフティネットのためには,社会保険料なども払わなければならないということがあ

図1 貧困の多様性と家族的類似図(Spiker, P.)

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るので,そういうことを勘案した基準でやらなければいけないというわけである。これは社会的剥奪とか相対的剥奪アプローチと呼ばれており,標準的な生活様式からの脱落の度合いが急に高まる所得のレベルを貧困基準としている。 最後の相対所得アプローチは,ある社会の所得分布の中央値の50%あるいは60%のところを基準にして把握するやり方で,所得分布だけから見るから,やや不平等に近い考え方である。上記3つと比べると,所得データだけを使っているために簡便で,国際比較がやりやすいという特徴があって,現在ヨーロッパではだいたいこれを使っている。しかし基準を50%,におくか60%におくか恣意的である。 以上の4つは,代表的なアプローチであるが,これらのいずれが正しいか,というのではなく,複数のアプローチを採用するという考え方も最近出てきている。3つくらいやると,それぞれわりあい似たような数字が出てくるのだが,その中に含まれる人が違っている。あるいは社会集団が違うという事実がわかってきている。また,貧困のただ中にある人たちがどう考えているかを聞かないで,勝手に外からいろいろ科学の名の下に押し付けてもなんの意味もないという考えもある。それゆえ,貧困にある人もない

人も含めて,市民参加を促し,これと専門家集団との対話の中で,新たな最低生活費を作っていってはどうか,というイギリスのジョナサン・ブラッドショーという人をリーダーとする,興味深い試みがある。

4.貧困の計測と貧困の「経験」

 こうした,さまざまな貧困基準の議論は,なるべく合意を得た社会の規範を作るために有意義なわけである。さて,こうした何らかの意味での基準が作られていくと,それ以下の人がどれくらいいるとか,その人たちはどういう人だとかいうことが計測できることになる。この貧困計測は,一般的には貧困以下に何人いるかという,人の数か世帯の数を測るやり方があり,また貧困の深さといって,貧困基準からどのくらい隔たっているかということを計測するやり方がある。貧困が,貧困基準すれすれのところにいるのか,貧困基準の半分以下にいるのかで意味が違う。貧困計測は,日本は非常に遅れていたが,現在ようやくが少しずつ試みられつつある。結論だけ言えば,使用するデータや貧困基準によって,かなり違う結果にはなる。けれども,前よりはいろいろなことがわかってきて

図2 コーホート別貧困世帯割合推移(各年別)

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いる。 貧困計測にはもう1つ新しい傾向がある。貧困のダイナミクスを把握するものである。これは,普通の貧困の計測は,ある時点で横断的に切って,例えばここにいる人たちの中でこの基準以下の人は何人いるかという計算をする。ダイナミックスのやり方は,縦断調査によって,同じ人々の貧困を追跡していくものである。そこでは貧困かどうかということよりも,あるいは貧困がどのくらい深いかということよりも,貧困が長期固定の傾向を持つのか,一時的なものか,という点に焦点がある。おそらく政策的に問題なのは,貧困が固定していくということだ。しかも,特定集団に貧困が固定されていくとすれば,これをどうにかしなければならない,という政策課題が生まれていく。こういったダイナミックス分析で得られた貧困動態は,しばしば「貧困の経験」と呼ばれる。貧困であるかどうか,よりも貧困の経験をもっているかどうか,を問題にすることになる。 日本は,こうしたダイナミックス分析を可能にする縦断調査の後進国である。ただし最近急に増えてきた。厚生労働省では3つの縦断調査が開始されており,また文科省などの補助金による様々な研究プロジェクトの中で,パネル調

査を試みる大学,研究機関がいくつか出てきている。 表1は,日本における貧困ダイナミックス分析の先駆的な例である。家計経済研究所のパネル調査を利用してわれわれが行っている貧困ダイナミックス分析の概要である。これは,1993年に開始され現在も継続中の調査であり,若年期から中年期の女性を対象に行っている。貧困の判定は,対象女性の含まれる世帯年収を,生活保護基準を利用して行い,長期の貧困の経験を明らかにしようとした。この表に示しているのは,2年目から2005年までの,最初から調査した集団(コーホートA)とその後追加した異なったコーホート集団,B,Cの年齢と,貧困

「経験」の類型の定義である。 ずなわち,調査期間中,ずっと貧困であったか,平均して貧困線以下である場合を慢性貧困という。また,一時的に貧困になったことがあるが,平均すると貧困線より上という層を一時貧困,それから,この期間中全部貧困ではない安定層として,四つに区分している。 まず図2は,「経験」ではなく,貧困線以下の人は何%いるかを時系列的に示しているが,これを見ると,90年代の半ばから増えている。次に「経験」の分布を表2で見てみよう。この表

表2 貧困経験の類型分布

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の上部が各調査期間全部で見たもの,下部が最近3年だけのものだ。一番上のコーホートAは,年齢がもう46歳までいっている集団であるが,安定層は64%,つまり,貧困経験をした人は,36%いることになる。図2の各年次の時系列では,せいぜい高くて20%ほどだが,「経験」でみると36%の人がこれに該当する。むろん,29.8%は一時的なものにとどまって,固定しているのは6.2%くらいである。 表下部で最近3年間だけで見ると,コーホートAが一番安定して,76.5%の人が安定層になっている。コーホートCは一番若い層だが,慢性貧困が高くて,一時貧困が少ない。安定層はやや高いという,非常に面白い傾向がある。2003年から2005年は日本経済が結構いいのではないかと言われていた時期だが,貧困経験からみると,両極に引っ張られつつあるような印象がある。 貧困に関係ないと思われる年代の女性で,こういう調査に協力してくれるような住所のある人たちの中でも,「貧困経験」は案外多いことに驚かれたであろう。なおこれは所得だけで見たもので,資産とか家族のサポートなどは一切無視していることには注意していただきたい。

5.貧困の非物的状態と社会的排除

 これまで見てきたのは,あくまで物的な状態の困難,苦難を見たわけである。しかし貧困研究には,先のスピッカーの図1で社会的地位としたような状況をもっと強調するやり方がある。図3は,ルース・リスターというやはりイギリスの研究者がスピッカーの図を描き換えて作った車輪モデルを示したものである。この車輪の主軸には,これまで述べたような物的困難がある。同時に外輪に非物質的側面,つまり社会的,あるいは文化象徴的な側面から把握される部分がいつもつきまとっている。車輪の軸と外輪のタイヤ,これはいわば連動して動いていくものであり,貧困はこの両者の連動の中で把握される。 では,外輪にはなにがあるかというと,リスターはさまざまなものを列挙している。例えばスティグマ,社会的排除,パワーレス状態,人権の否定,市民権の削減,貧困者を軽蔑するとか,もっと積極的に非難するなどである。これらの列挙された内容を,私なりに整理し直してみると,四象限に分かれると思う。図4のように,真ん中には生活資源の不足がある。左下は,

表1 日本における貧困ダイナミックス研究の例

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社会関係からの排除である。これは社会の主要な活動への参加が十分出来ないとか,市民権の行使ができない等の状態を含む。左上には,そうした状態にある人々のパワレス状態やボイスレスがある。日本ではかつて貧困者は「無告の民」という言い方がよくされているが,まさにそうしたことを彷彿とさせる状況である。

 右下には,社会が貧困に付与する非難や軽蔑が示されている。「頑張ればできるのに努力しないから貧困なのだ」というような非難である。この付与された非難や軽蔑は,右上部にあるような,貧困の中にある人たちの自己評価の低さや「恥」に連動していく。貧困であることを恥じたり,そういう自分に自信が持てないなどで

図3 物的欠乏とそれ以外の要素との関連

図4 車輪モデルの改良図

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ある。しばしば生活保護利用は,このような社会の非難と当人の恥意識のセットによって,阻まれていく。

6.貧困と社会の分裂

 貧困という車輪の軸と外輪は,それ自体さまざまな社会問題と関連して動きだすわけだが,その結果もまた多様な問題と結びついて貧困の固定化をもたらすことが少なくない。よく貧困の悪循環といわれるが,まさに貧困は問題と貧困の連鎖の輪を作っていく。したがって,貧困が放置されていくと,当該個人や家族の困窮が,さまざまな問題と結びつきながら解決が難しくなり,またパワーレス状態や権利の剥奪が深まっていく。 それゆえ貧困の解決が要請されるわけだが,実は同じくらい重要なのは,社会それ自体も,貧困の放置によって困難に陥るということだ。これは意外と理解されず,貧困は放置しても構わないというような意識や,貧困対策は貧困の中にある人のために「やってあげる」というような感覚が少なくない。しかし,貧困の放置は,社会関係からの排除やパワーレス状態の放置,あるいは非難とセットになった自己否定や恥などと関連しながら,特定集団を周縁に押し込め,貧困者とそうでない人々の分裂を深めていく危険を孕んでいく。それは,社会の安定や連帯を蝕み,当然政治課題となって行けざるを得ない。そこに貧困問題をなぜ解決しなければならないかというもっと大きな意味が出てくることになる。

7.貧困と政策対応

 このように,貧困に対する政策対応は,貧困によって困難に陥っている人々の救済というだけでなく,社会連帯や統合の危機からも導かれていく。この政策対応には,大きく貧困を対象にする場合と,しない場合がある。対象とする場合は,貧困を貧困として対象にする場合と,

別の角度から,別の問題として対象にするやり方がある。なお,政策対象としない場合でも,救済ではなく取締・処罰として対応されることも含まれることにも注意しておきたい。しばしば,ホームレス状態や「乞食」は取締・処罰の観点から政策対応がなされてきた歴史がある。 それでは,こうしたいくつかの異なった対応を規定している要因は何であろうか。その1つは本人の労農能力の有無の問題である。労働能力がある人は救済から除くとか,労働能力がある人には就労援助だけを給付するというもので,いわば労働市場への配慮である。 2つは一定の集団への帰属である。帰属している家族や近隣,企業などの救済を優先し,あるいはあれば国はやらないと判断するということである。他方で,国籍や住民票によって救済の範囲を限定するということもある。 3つは,当該本人の社会への貢献/品格を問題にするということである。例えば軍人である場合に,軍人恩給とか軍人扶助のように特別の形で貧困救済,あるいは予防が行われる。品格という場合は,素行の善し悪しによって救済するか放置・処罰にするかが決められていく。例えば,暴力団,元犯罪者などの取り扱い,あるいは失業でも解雇などと自己都合退職を分けるのは,勤勉を規範として品格を問題にしたがるからである。貧困政策はあるのだが,本当に必要な人のところに届きにくいのは,こうした要素によって救済の資格や手法が決められていくからである。 次に,さらに具体的なレベルにおりて政策手法を見ていく,主に4つの手法がある。その1つは貧困の基幹政策とでも呼べるもので,たとえば日本であれば生活保護制度などがある。2つ目は,貧困の特殊立法とか特殊政策と呼ばれるもので,ある種の人たちを優遇したり,逆に差別して,基幹政策とは切り離して対応するやりかたである。軍人や遺族の貧困への優遇策,外国人や難民の特殊な扱いなどがこの例になる。 3つ目は,これは私の言葉だがバイパス政策と呼ぶべきような,臨時的でありなおかつ迂回

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型の政策である。この近年の代表はホームレス自立支援法である。これは生活保護をわざと使わないで,ホームレスの場合はまず自立支援策で回り道させて,それで駄目なら最後に生活保護とさせるやり方だ。これはしかも時限立法として位置づけている。 最後は貧困としては取り上げないのだが,普遍型政策として,市民全体をカバーする政策を作る。例えば。国民皆保険,皆年金や介護保険などで,貧困な人もカバーしてしまうという手法である。ところが,実際はその中で,保険料が払えないとか,自己負担できないということが,貧困層には当然出てくる。そこで負担免除,保険料免除のような形で事後的に低所得対策をその中に入れ込んでいく。これは介護保険における境界層という言葉があるが,保険料を払うと生活保護になる人たちをその制度の中だけで貧困政策として隠れて処理するやり方である。

8.政策による貧困の再定義と行政組織

 こうした,さまざまな政策が貧困を再定義していく。生活保護のような基幹制度が,全ての貧困に対応していないので,被保護層=貧困層とはなりえない。むしろ,特殊政策,バイパス政策,普遍型政策が,貧困をさまざまに定義しなおすので,いろいろな貧困の定義がそこで生まれてくる。たとえば,ホームレスというカテゴリは日本ではホームレス自立支援法の中で定義づけられた。その定義は,路上で寝泊まりする人と,非常に狭く限定している。従って,ネットカフェで寝泊まりする人々が出てきたら,定義が違うのでこれをホームレス自立支援法の対象にできない。実際はネットカフェで寝泊まりしている人たちの何割かは路上経験がある。実際に路上とネットカフェなどの店舗や旅館と行ったり来たりしている。だが,たとえそのような実態があっても,制度や行政の管轄が異なることを理由に,ネットカフェ等のホームレス状態の人々は,住居喪失不安定労働者という新しいネーミングで把握されることになる。先に

述べた介護保険の境界層や,さまざまな制度のなかの自己負担減免あるいは免除層も,貧困な人々であるが,そう呼ばれず,それぞれの制度の与えた名称で捕まえられているのである。 とりわけ日本の場合,行政組織がきちんと出来すぎており,その連携や再編がなかなか簡単にはいかない面がある。これに対して,柔軟にしょっちゅう組織が変わっている国もあるし,問題によって横断組織を作るジョイント・アプローチをとって,人も動かすこともある。日本では,バイパス政策ではあるが,ホームレス自立支援法は,連携や横断組織のためのよいチャンスだった。議員立法だったこともあって,複数の担当部局による横断的な組織を一応作ったのだが,結果的にはなかなか機能せず,窓口となった厚生労働省の一部局が全部背負った形になってしまった。 ともあれ,行政のレベルまで下りて,貧困がどのように区別されたり,分断されながら処理されているかということを,私たちはもっと認識し,その中で貧困がどのようなラベルを貼られているのかに注意することが必要だ。一般的な貧困計測や基準の議論もむろん大事であるが,同時に政策や行政の中で貧困がどのように扱われたり,区別されているかという点から,貧困とそれへの政策のあり方を考えていくことが重要であろう。


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