三島由紀夫と 二元論の問題 - CORE · 三島由紀夫と 二元論の問題 l...

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三島由紀夫 二元論の l ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 「 太陽と鉄」は、 私のほとんど宿命的な二元論的思考の きのようなものであり'二元論的思考の発生の生理学的必然 性の物語で もあるが、 日 本の 風土の なかでは、「 1 如」はあっ ( 注-) ても二元論は ない 三島由紀夫が( 日 本の 風土の なかでは)珍らしい 強固な二元 論者で あっ た 事は'その 生前から自他ともに 認める所で あっ た Ltまたその 作品世界に少しでも親しんだ者なら誰しも'自明 の 事柄だと するのに 相違ない 。三 島の 作品に あっ ては'戯曲の みならず小説においても、 様々な対概念( たとえば精神と肉体、 意識と存在、認識と行為'畳と夜等々)の( 劇的)な'言わば ダイアロ ーグを根幹として 構成され表現されてい るのが常だか らで ある 。三島二元論の 本質を捕捉する事は即ち三島美学の 本 質を解明する事である'そう言ってさえ過言ではないと'私は 児玉谷 思っ てい る。 二元論者である事が通念とまで なりながらt Lか 一 体奈辺に あるのか'ど うしてそれが 彼にとっ て( 宿 あるのか'なかんづ-その 宿命が全体どの ような必然性を てあの 衝撃的な死へ と収赦してい -のか'こ れらの 点につい て は'未だ 充分に跡づけられてい ない ように 思える 。その二元論 の 本質と構造とを、その 美学の 原質の 中に正確に 据え付けて解 明する事'こ れが 本稿の 課題で ある 。 私の見る所では'この間題の究明を阻害してきた貴も大きな 原因は' 二元論の本質を( 芸術と生活の二元論V t即ち私小説的 な芸術と生活との混同に対する反措定として捉える見解が汎- 行なわれてきた事にある。たとえば三島文学の 最も佳き理解者 の1 人で ある磯田光1 も'如上の 見解をその 三島諭の 基本視座 の1 つ としてい )また挽近では大久保典夫が「 三島由紀夫 の文学は私生活と全-無関係か」とい う観点から論をもの して ( 注3) る。 両者とも三島文学の理解を促進させるものである事に異 53

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三島由紀夫と二元論の問題

l

ヽヽヽ

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

「太陽と鉄」は、私のほとんど宿命的な二元論的思考の絵解

きのようなものであり'二元論的思考の発生の生理学的必然

性の物語でもあるが、日本の風土のなかでは、「1如」はあっ

(注-)

ても二元論はな

い。

三島由紀夫が

(日本の風土のなかでは)珍らしい強固な二元

論者であった事は'その生前から自他ともに認める所であった

Ltまたその作品世界に少しでも親しんだ者なら誰しも'自明

の事柄だとするのに相違ない。三島の作品にあっては'戯曲の

みならず小説においても、様々な対概念

(たとえば精神と肉体、

意識と存在、認識と行為'畳と夜等々)の

(劇的)な'言わば

ダイアローグを根幹として構成され表現されているのが常だか

らである。三島二元論の本質を捕捉する事は即ち三島美学の本

質を解明する事である'そう言ってさえ過言ではないと'私は

児玉谷

思っている。

二元論者である事が通念とまでなりながらtLかしその本質が

一体奈辺にあるのか'どうしてそれが彼にとって

(宿命的)で

あるのか'なかんづ-その宿命が全体どのような必然性を辿っ

てあの衝撃的な死へと収赦してい-のか'これらの点について

は'未だ充分に跡づけられていないように思える。その二元論

の本質と構造とを、その美学の原質の中に正確に据え付けて解

明する事'これが本稿の課題である。

私の見る所では'この間題の究明を阻害してきた貴も大きな

原因は'二元論の本質を

(芸術と生活の二元論Vt即ち私小説的

な芸術と生活との混同に対する反措定として捉える見解が汎-

行なわれてきた事にある。たとえば三島文学の最も佳き理解者

の1人である磯田光

1も'如上の見解をその三島諭の基本視座

の1つとしてい払

)また挽近では大久保典夫が

「三島由紀夫

の文学は私生活と全-無関係か」という観点から論をものして

(注3)

いる。

両者とも三島文学の理解を促進させるものである事に異

53

論はないが'二元論の問題に関する限りへ問題の設定の仕方自

体に幹と枝葉との取り違えがあると私は考える。

三島の二元論の根幹を

(芸術)と

(生活)のアンタゴニズム

として捉える見かたが

1般化したのには、もちろんそれなりの

必然性があった。

一つは三島自身'しばしばそのように自己規

定してみせたtという事である。もう

一つは'戦後批評史の流

れに対応した'三島文学に対する批評史の必然性という事であ

る。私見によれば'前者は三島の原質としての浪鼻主義と古典

主義の絡みあいの問題に繋っており'後者は三島文学を所謂戦

中派世代のモデル・ケースとして世代論的に評価する見かたと

絡みあっている。問題の所在を明らかにする為にも'まづこの

必然性について論じる事から始めよう。

後者の問題については、何を措いても棟川文三と磯田光

1を

問題にしなければならぬ。

橋川の

「日本浪星派批判序説」(六〇年)は'日本浪量派の内

在批判を初めて本格的に行なったという点で戦後批評史に

一時

期を画するものであったが'たとえ本人の意図からすれば副次

的な意味をしか持たぬにせよ、三島文学に対する批評史の上で

も決定的な意味を持つものであった。同書の主旨が

(昭和の精

神史を決定した基本的な体験の型として)著者自らそれを原体

験と観ずる(日本ロマン派体験)を、(共産主義

1-プロレタリア

運動)及び(「転向」の体験)に対して独立に定立する事'及び

その背景を汎-大正未

・昭和初年代における

(農村を基盤とす

る我国中間層の未曾有の解体)に求める事によって'浪鼻派の

精神史的位置をtへ政治的に無効)な

(応急な

「過激ロマン主

義」の流れ)として'左翼ロマンティシズムと

(等価)化する事

にあった事は周知の通りであるが'その際棉川が諭の操作上か

らも、三島を原体験を共有するものとして世代的共感意識をも

って語った事によって、ここに初めて三島文学の精神史的位置

が浮彫りにされたのだからである。しかしその為に爾後'三島

文学の原質が戦中派として世代論的に等質化されて捕捉される

傾きの生じて来た事は否めない。

橋川の業横を戦後批評史の観点から位置づけるとすれば'戦

争の内在体験を言わば否定的媒介として所謂戦後進歩主義の陥

葬を衝き'その超克

への道を開いたという点で'吉本隆明のそ

れに頗る近接すると言える。ただ注意すべきは'橋川

・吉本が

戦争体験あるいは日本浪隻派体験を表立って問題にしたのは'

あ-までも

(人類をしてその過去より朗かに離別せしめるた

(注4)

)、

その本質的止揚の為であったという事だ。

「殉教の美学」(六四年)に始まる磯田の一連の三島論は、以

上二人の諸業績の延長上に位置づけられる。これらの諸論にお

いて磯田の論敵は

「近代文学」派だった。なぜなら同派こそ戦

後進歩派の1典型であり'橋川の言う

(「転向」体験)の世代に

属するので戦争体験を外在的にしか把捉し得ないという点から

も'またプロレタリア文学理論が内蔵しており吉本がその誤謬

を別挟した現実反映論及び現実有効性論を屈折しながらも引き

摺っていたという点からも'三島文学をおよそ理解の外に置い

て来た存在だからである。ところがこのような磯田の批評意識

自体からして'三島文学の本質が橋川

・吉本から磯田に到る文

学息想の理想的体現でもあるかのごと-取り扱われて来るのは

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必然である。即ち

「殉教の美学」によれば、三島文学こそ世代

体験としての内在的な戦争体験である

(恩寵としての戦争)体

験'(「有効性」の観念に還元できない人間の

「精神」)の領域

を'しかしあ-までも自律的な文学空間内の問題として表現し

た文学なのだ。だから後に

「比較ロマン主義の基本問題」(六六

午)で表明された磯田の基本的立場'(私自身をも含めて日本浪

ヽヽ

鼻派の再評価を試みている今日の若い世代)においては

へ芸術

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

(虚構)と実践との癒着はほぼ完全に克服されている)からそ

(ロマン主義的思惟は

「実践的原理」としては機能しえず'

「美学的原理」としてのみ再評価される)というその立場は'

明かに「殉教の美学」における三島像の捉え方をも貫いていて'

(三島は、

一方、生活の芸術化の戟懐的な甘美さ

(彼はそれを

戦時下に味わったはずである)に心をひかれつつも、それを否

定すること

(太宰治

への嫌悪はここに通じる)に、自己の文学

の基礎を置いたのである)から

(三島由紀夫にとって'再び保

田与重郎に転化することは絶対にありえない)という事になる。

か-して磯田の三島論は'二元論の問題に関する限り、(芸術)

(生活)の厳格な峻別を根幹とする二元論という風に捉えら

れて釆ざるをえない訳である。それは

(芸術と実生活)理論が

「近代文学」派の基本的な文学理論の一つであったという点か

らも必然の成り行きであった。

しかし三島の最期を見届けてしまった今日'このような見解

は修正を免れまい。もし三島にとって

(宿命的)だった二元論

(芸術)と

(生活)との峻別にあったのなら'三島の自決は

自己の宿命に遭

った'二元論か、らの踏みはずしという事になっ

てしま-。しかし三島にとって自決は正し-

(運命の完成のた

(注6)

めの1触

)

と感じられていたのであるOそれなら三島の自決は

(注6)

「実生活演技説の典型

のであろうか-

しかしこのような

見解は'三島にとって二元論が宿命的であった必然性を解明し

ないという点で'問題にもならない。そこで自決

への収敵が必

然であるような二元論をこそ'三島の原質に根ざした二元論と

して'私達は解明すべきなのである。

ところで右の疑問は直ちに'三島の原質を世代論的に等質化

して捉える見解

への疑問を誘発する。なぜなら磯田の言わば三

島二元論観は、

1面では先に述べた橋川

・吉本の原体験として

の戦争体験

へ向う根本的な態度'即ちその対象化による止揚と

いう態度と結びついていた筈だからである。ところが三島の自

決は原体験としての戦争体験への回帰という側面を持つもので

あった。そこで三島の自決に関して吉本が言ったように'(わた

しがまさに'正体不明の出自をもつ

(天皇)族なるもののため

に演じた過去の愚さを自己粉砕する方法の端緒をつかみかけた

とき、三島はこの正体不明の1族にあらゆる観念的な価値の源

ヽヽヽヽヽ

泉をもとめるという逆行に達している。このちぐはぐさはどこ

(注7)

から-るのか

)

いう疑問が起ってきて当然であるが'叙上の

見解はこれに答える術を知らないからである。

しかもこの難問はなかなか

一筋縄には解決できない。なぜな

ら三島と言えども最初からこの

(逆行)を企図していた訳では

な-、彼は彼なりにその止揚に努力を傾注したからであり、そ

(注8)

の努力の時代が野口武彦の所謂

(古典主義の時代

)の三島であ

る。即ち文学的自伝

「私の遍歴時代」(六三年)によれば'八二十

55

四歳の私の心には'二つの相反する志向がはっきりと生れた二

つは、何としてでも、生きなければならぬtという決意であり'

もう

一つは明確な'理知的な'明るい古典主義

への傾斜であっ

た。--それとともに'何とな-自分が甘えてきた感覚的才能

にも愛想をつかLt感覚からは絶対的に訣別しょ-と決心した)0

(訣別しょう)とした

(感覚的才能)とは

(少年時代にあれほ

ど私をうきうきさせ)た

(拝情の悪酔)の事であるから'そこ

からの訣別としての

(古典主義

への傾斜)とは少年時代即ち戦

時下の自己の止揚の為の努力に外ならない。そして戦時下の拝

情の悪酔とは

「仮面の告白」(四九年)によれば'人死の教義)

への

(官能的)な

(共鳴)でもあったから'その努力は

(生き

なければならぬ)という決心なのでもあった。事実その古典主

義が頂点に達したと思われる五五年に彼は

(死の観念が私から

遠のいた)由'「小説家の休暇」の中で書

いている。ところが

「私の遍歴時代」は最後に到って突然潤筆時の心境を語り

八二

十六歳の私があれほど熱情を持った古典主義などといふ理念を'

心の底から信じていない。--そこで生れるのは'現在の'瞬

時の'刻々の死の観念だ)。これは既に戦時

への回帰である。

そこで私が指摘しておきたいのは'三島二元論の本質を私小

説的芸術生活

一如の反措定と捉える見解の最大の根拠になって

いる

(セルヴァンテスは、ドン・キホーテではなかった)とい

う言葉が'正し-前記

「小説家の休暇」に語られているという

事だ。件の古典主義理念が生活崇拝との指抗原理とともにあっ

た以上'この符合が偶然でないとすれば、晩年における曾ての

古典主義が自己の本質ではなかったという自覚は'即ち曾て語

った二元論は決して自己の本質としての二元論ではなかったと

いう自覚でなければならぬ。それなら'磯田の二元論観をいか

にも満足させる

(古典主義の時代)から、晩年の三島はあらぬ

方向

へと逸れたのであろうか-

そうではない。なぜなら晩年

の三島は

一方では

八一度は否定したロマンティシズムを再び復

興せざるを得な-なった。

一度自分の本質がロマンティークだ

(注9)

とわかると、どうしても

ハイムケールするわけです

)

と言い

つつ他方では

(私はこの二十数年間'文学からいろんなものを

ヽヽ

一つ一つそぎ落して'今は言葉だけしか信じられない境界へ来

たような心地がしている)へ今'私は七日分の帰ってゆ-ところ

(注10)

は古今集しかないような気がしてい

)と

言っているのであり、

しかも三島にとっての古今集とは

(古典主義原理形成の文化意

(注1ー)

)

所産なのだ。従って

八二セモノ)だった古典主義とは生

活意志と結びついた古典主義であり表現方法としての古典主義

なのではない'その意味では晩年に到達された境地とは'古典

主義の否定としての浪蔓主義

・戦時

への回帰ではな-'曾ては

その止揚の為に自らに課した古典主義の必然的結果としての回

帰だからである。この事実は'三島の原質が浪星主義と古典主

義のアンタゴニズムとしてではな-'古典主義的表現方法を要

求する浪鼻主義として捕捉されるべき事を示唆していよう。そ

れ故に三島二元論の本質を'浪鼻主義の敵対原理としての古典

主義理念に結びついた発言に焦点を合せて解明するのは'幹と

枝葉との取り違えなのだ。

尤も自決の年に行なわれた三好行雄との対淡

「三島文学の背

(注ー2)

おいても'三島は

(「芸術と生活の二元論」というか'

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そういう考えを-1マス・マンなんかに教わった)と語ってい

る。しかしここで注目すべきは'(芸術の結果が'生活にある必

然を命ずれば'それは実は芸術の結果ではな-て'運命なのだt

というふうに考える)として、言わば生活の芸術化を拒否せず'

反対に言わば芸術の生活化は

(起こらないですね'次元が違い

ますから)として明白に拒否しているという事だ。つまり生活

は芸術に対して従属原理なので'この両者は決して桔抗原理で

はないのだ。桔抗原理でない二元論が'作品の空間内にダイア

ローグを構成しうるかどうか'考えるまでもあるまい。それに

晩年の三島が

(作る者と作られる者の一致'ボードレール流に

(注13)

いへば

「死刑囚たり且つ死刑執行人」たること)を企てた事は

疑いを得ず、この企図と二元論との構造的連関を、最前の発言

からは説明できまい。

晩年の言葉で私が寧ろ注目したいのは'「小説とは何か」の中

「暁の寺」脱稿

(七〇年)直後の

(いひしれぬ不快)につい

て述べた部分である。三島はここでも

へ作品外の現実)と

(作

品内の現実)を

(決して混同しないことが'私にとっては重要

な方法論)であり、この両者の

(対立と緊張)こそ

入善-こと

の根源的衝動)であるとしている。前記対談での琴吉と似て非

なる点は'「晩の寺」完成によって

(作品外の現実)(私にとっ

ての貴重な現実であり人生)が

(紙屑になった)事を不快の原

因としている事から察せられるように'この場合の二重の現実

が桔抗原理であり'それなればこそその対立

・緊張が作品創造

への衝動と連結されているという事だ。するとここには三島二

元論の本質に繋るものが示唆されていると考えて好さそうであ

るが、それならそれは

(現実)(人生)と

(芸術)との二元論

という事になり'芸術と生活の二元論と大同小異になってしま

う。しかしここで言われている

(現実)(人生)は、通念のそ

れとそれほど似ている訳ではない。三島は続けて次作

(「天人五

衰」)完了後の世界を想像する事の怖しさを語り、(作品外の現

実が私を強引に粒致して-れない限り)深い絶望に陥るであろ

うと述べている。作品外の現実に粒敦されるとは何であるか-

言うまでもない'死ぬ事だ。するとここで言われている二元論

とは実は作品空間内において死を表現するか現実行動として死

ぬかの二元論と言うべきであり'それならそれが

(「死刑囚たり

且つ死刑執行人」たること)を企図する必然性も了解されて釆

、つ

。ここにこそ三島二元論の本質が伏在しているのではないか-

一概には言えないが三島の原質を捉える最も適当な手懸りと

して'私は作家自ら

(私の文学の出発点の'わがままな、しか

(注ー4)

し宿命的な成立ちが語られてゐ

)と

解説する「詩を書-少年」

(五四年)を挙げるべきだと考えている。「仮面の告白」にそれ

(注15)

を求める向きもあろうが

に述べる理由からそれは不適だと

考える。そこで二元論をその原質に据え付けて解明する事を課

題とする本稿は'(二元論的思考の絵解き)である

「太陽と鉄」

(六五-六八年)と

「詩を書-少年」を絡ませて論じる必要に

迫られる。

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三島の宿命の根底は

「太陽と鉄」冒頭の次の言葉に要約され

ている。

つらつら自分の幼時を思ひめぐらすと'私にとっては'言

葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠-まで遡る。--私

にとっては'まづ言葉が訪れて'ずっとあとから'甚だ気の

進まぬ様子で'そのときすでに観念的な姿をしてゐたところ

の肉体が訪れたが'--

この文の背後には二つの事実が潜んでいる。過度の文学的早

熟という事'及び肉体的な虚弱さという事であるO前者から始

めよう。

詩作も含めれば'現存するものだけでも三島の文学創造

への

参与は'七歳の時点まで遡る。三島は確たる人生経験に直面す

る以前に文学的な想像空間に遊べする快楽を覚えたのだ.あま

つさえ幼年時代とは'イマージュが全能の機能を振るう黄金時

代である。三島が

「詩を書-少年」の語るように'言葉に全能

の価値を信ずるようになったとしても怪しむに足りない0

--彼のまだ体験しない世界の現実と彼の肉的世界との間に

は'対立も緊張も見られなかった--爾余の体験はみなこれ

らの感情の原素の適当な組合せによって'成立する--感情

ヽヽヽヽヽヽ

の原素とは---

「それが言葉なんだ」

現実世界は総て言葉によって予定調和的に先取されるという

この考えを'私は仮に汎言語主義と呼ぼう。そしてこれこそ私

の考える三島の原質である。もちろん成人した三島が素朴にこ

のような考えを信じていた等がな-'第

一八対立も緊張も見ら

れない)世界から直接二元論を説明する事はできない。

先を急がずにこの原質の形成過程と様相を考えてみよう。だ

がその為には

「詩を書-少年」ではな-成人した三島自身の言

葉についての示唆的な考察を、ここでい-つか借りて来なけれ

ばならぬ。「太陽と鉄」は亭

っ。(言語芸術の栄光ほど異様なも

ヽヽヽヽ

のはないOそれは

1見普遍化を目ざしながら'実は'言葉の持

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

つもっとも本源的な機能を'すなはちその普遍妥当性を、いか

ヽヽヽヽヽヽヽヽ

に精妙に裏切るか、といふところにかかってゐる)へ何故、われ

われは言葉を用ひて'「言ふに青はれぬもの」を表現しようなど

といふ望みを起し'或る場合'それに成功するのか。それは'

文体による言葉の精妙な排列が'読者の想像力を極度に喚起す

るときに起る現象であるが、そのとき読者も作者も'想像力の

ヽヽヽヽヽ

共犯なのだ。そしてこのような共犯の作業が、作品といふ

「物」

ヽヽヽヽヽ

にあらざる

「物」を存在せしめると'人々はそれを創造と呼ん

で満足する)0

即ちこうだ。言葉とはまづ個々の具体的事物からの抽象化

一般化である。その限りそれは外界の忠実な模写ではな-寧ろ

そこからの帝離であるが'それが現実認識の能う限-普遍的な

媒体たらんとする以上'現実世界との言わば有用的連関は保持

されていると言えよう。ところが言語芸術は言葉のこの本源的

機能を寧ろ積極的に裏切る。それは必ずしも普遍化を目ぎきず'

事物の具体性と現存性に固執するのである.言葉の持っている

もう

一つの機能であるイマージュの喚起能力によって'その外

界との擬似等質性によって。イマージュは決して外界そのもの

ではない。それどころかそれは現実世界とのなまの接触である

知覚経験からの疎外であり'現前する事物の不在化であり、し

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かも現実世界との有用的連関さえ持たぬ。

一般的な言語にあっ

てはこの有用性によって言葉は現実世界の中に姿を消すが、芸

術的言語にあっては現実世界のほうが姿を消す。文学の自律性

とはそういう事だ。しかしながらイマージュと外界との等質性

という人間に共通した錯誤によって'作品の空間に与る作者

読者は想像界と実在界の転倒の中に我知らず身を委ねるのだ。

汎言語主義形成の必然性は'言語芸術のこの基本的性格から

否応な-合点される。現実経験が不在な段階でその不在化の術

を覚えた三島は'爾後間断な-それを行使する事で'現実世界

から自己を閉し続け件の転倒の中に身を委ね続けたのである。

「詩を書-少年」の

(少年が悦惚となると'いつも目の前に比

境的世界が現出した)以下イマージュの氾濫の記述は'デフォ

ルメによる幻惑の君臨が

一つの痛疾にまで化していた事を物語

っている。そしてその限り

へ対立も緊張も)起る筈はな-'そ

れなら想像界及び言葉の絶対性は揺るぐべ-もない。

それが想像界の絶対化でもあるなら三島の原質は浪量主義と

呼ばれてもさしつかえない。しかしそれは何らかの特異な体験

やら個性的感覚やらを誇示する底の浪旦主義ではない。言葉が

あらゆる経験に先だって訪れ先験的規範として絶対化された以

上'それは擬古典主義的表現方法を要求する。三島文学の原質

には経験自体が不在なのだ。その限り三島の

(美は常に後ずさ

-す3

,oe)三島自身が

〈あなたは独漸竃

一一口るが,古典派が内心

浪旦派であることは、文学史の通則)と言い出すのは六〇年で

あるがへか-して戟後の古典主義的自己改造が当初の意図に反

して原質の顕在化でもあった基本的理由が了解される。

ところでどんなに純粋な作家と言えども現実に生きて存在し

ているのであり二六暗中作品の中に埋没している事が不可能で

ある以上'汎言語主義は欺楠である。「詩を書-少年」が明らか

にしているように'(現実に対する危慎、やがて直面しなければ

ならぬものへの不安)が

八日分には決して落ちかからない)と

する欺楠であり、(芸術と芸術家をごっちゃにする)欺晴であ

る。なぜなら表現行為の完了は作品の作者からの自立であり'

ってその時点で作品の空間から解雇された作者はやはり生き

なければならないが'汎言語主義は作品の空間に対立する生活

空間の存在を否定するからである。

欺晴の存在は願望の潜在を暗示する。それは生きて日常世界

と関与した-ないという噺望であるから'(彼は詩人の薄命に興

味を抱いた。詩人は早-死なな-てはならない)という天折願

望を当然誘発する。尤も如上の欺輔が存在する限りわざわざ自

殺せずとも

(予定調和がうまい具合に彼を殺して-れる)事は

自明であるから'この願望はここではそれほど突き詰められた

形で語られていない。そこで

(詩が少年を精神的な怠け者にす

る傾向が始まってゐた。もっと精神的に勤勉だったら'もっと

熱心に自殺を考

へたであらう)という事になる。しかし汎言語

主義が死の恩寵意識によってのみ保持され得る事は'以下の理

由から確実である。

作品空間から解雇された作者は生きなければならぬが'しか

も作品に埋没し続ける事が宿病にまで化してしまった作家はあ

らゆる知覚経験からの遠ざかりによってそれを喪失してしまっ

た不能者であり、生きる事はできぬ。(あのたびたびの静かな至

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福を味はふ代はりに'自分には小年らしい粗雑な感激性が欠け

てゐる)事を

「詩を書-少年」は(よ-知ってゐた)。野球の対

校試合で学習院が負け選手も応援者も泣きじゃ-る中で

(彼は

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

泣かなかった。すこしも悲し-なかったのだ)。従って表現行為

が完了される時'彼は実は現実

へ回帰するのではな-'作品と

現実からの二重の疎外の間を浮遊する事になるのだ.そこで

1

般に作家の欲求は'作品空間

への埋没と知覚経験の回復とに二

(注18)

元的に分裂する。これは多-の作家に見られる現象

三島二

元論も発生根拠はそこにある。「太陽と鉄」は本節冒頭の文に続

けて言っている。

これが私の二つの相反する傾向を準備してゐた。

一つは言

葉の腐蝕作用を忠実に押し進めて、それを自分の仕事としよ

うとする決心であり'

一つは'何とか言葉の全-関与しない

領域で現実に出会はうといふ欲求であった。

知覚経験の喪失が宿命的であった分だけその回復欲求も激甚

なものになる。諾鯛に満ちた死が渇望される所以だと、

一応そ

う立論する事もできる。しかし晩年の三島は決して言葉を捨て

て死に赴いたのではない。前節で述べたように逆に晩年になれ

ばなるほど

へ言葉だけしか信じ)な-なったのだ。従ってこれ

だけでは三島の原質と二元論との構造的連関が捕捉できまい。

再び先を急がずに'汎言語主義とは要するに叙上の二重疎外

からの遁走なのだ。それは作者と作品の分離を否認する事で'

想像界と実在界の常住的転倒を企てる。どうしてそんな事が可

能なのか-

それこそ死の恩寵意識によって'死の観念によっ

て内界を蔽

ってしまう事によってである。死の観念が圧倒する

所では実在界は必然的に仮象化されるからだ。か-して

(私に

もっともふさはしい日常生活は日々の世界破滅であり、私がも

(注20)

っとも生きにくく感じるものこそ平和であった

)0

ただし死への期待はさしあたって'受動的な姿勢でしか存し

えなかった。なぜなら自殺はそれ自体

一つの現実行動であり'

現実行動として死ぬ為には当然あの二律背反を経過しなければ

ならないからである。

それにしても三島はなぜそれほどまでに死の恩寵を信ずる事

ができたのだろうか-

その理由を明らかにする為には、三島

文学の宿命を彩るもう

一つの事実'即ちその生来の肉体の虚弱

さという事に触れなければならぬ。しかし重要なのは伝記的事

実ではない。その言わば肉体の不在が汎言語主義の宿命と

一々

吻合したという事だo肉体の不在は即ち知覚の不在であり'生

の実感からの遠ざかりである。度重なる死の危機の到来は恩寵

への信仰を促す。そして

(集団に融け込むだけの肉体的な能力

に欠け'そのおかげでいつも集団から拒否されるように感じて

(注21)

ゐた

)

いう事態と

(言葉ははじめから私を集団から遠ざける

(注22)

やうに遠ざけるやうにと働い

た)という事態とは正に重なりあ

ったのだ。

この吻合によって

(私は言葉の全-関与しない領域にのみ'

現実及び肉体の存在を公然とみとめtか-て現実と肉体は私に

(注23)

とってシノニムにな

)

た。この等式化を前提にしないと本節

冒頭の文は理解できぬ。そしてこれこそ三島二元論を特異なも

のたらしめ'またそれを汎言語主義の原質と繋ぎあわせる当の

ものだ。

60

なぜならこの等式化によって'三島二元論の本質は結局言葉

と肉体とのアンタゴニズムという事にならざるをえない。そこ

で三島の現実回帰志向は肉体獲得の為の鍛錬となって顕われる

事になるが'肉体の獲得は必ずしも生活世界の回復ではない。

寧ろ

(近代生活においてほとんど不要になった筋肉群は'まだ

われわれ男の肉体の主要な構成要素であるがへその非実用性は

明らかで'大多数のプラクティカルな人々にとって古典的教養

(注24)

が必要でないやうに'隆々たる筋肉は必要でな

)

であろう。

自己目的的に鍛錬される肉体は、このようにそれ自体生活世界

との有用的連関を断ち切るのであり'しかもそれは鍛錬されれ

ばされるほど

(ふしぎな抽象性)を古典的均衡性を備えるに至

るのだ。ところがそのような反日常的な古典美こそ'汎言語主

義の要請する表現方法の志向対象ではなかったか。か-して(追

形美に充ちた無言の肉体)と

(造形美を摸した美しい言葉)と

イデア

(注25)

(同

一の観

源から出た二つのものとして同格に

)

かれ

る。同格化が決して

一元化でない事に注意せねばならぬが'(同

イデア

一の観

)

なる'両項の統括理念の存在にも注意せねばならぬ。

なぜならこのように古典美を至高の位置に据える事は'もはや

言葉を現実経験の

(元素)として至高の位置に置いた汎言語主

への回帰ではあるまいか-

また相反性を自覚しっつ叙上の

両項を三島が兼備しまうとする事は'(芸術と芸術家をごっちゃ

にする)至福

への回帰ではあるまいか-

その通りである。

それはまた私が'言葉に無垢の作用のみをみとめてゐた時

代の'言葉に対する何らうしろめた-ない陶酔を取り戻すこ

とであった。といふことは'言葉の白蟻に蝕まれたままの私

を取り戻し'それを堅固な肉体で裏付することであった。--

言葉がほんたうに私にとって幸福と自由の

(いかにそれが真

実から遠いとはいへ)'唯

一の拠り処であった状態を復元する

事であった。いはばそれは'苦痛を知らぬ詩'私の黄金時代

(注26)

への回帰を意味して

また肉体は常に個体として存在する。しかも作家の現実飢渇

が個からの脱出願望に外ならぬ以上'肉体願望

へ現実渇望を収

赦させる三島の志向は'日常生活世界

へは下降せず'反日常世

界における他者

・外界との連続性

へと向う。反日常世界とは要

するに、日常の世界において私達が曝されている性と死に対す

る禁制の'違反の世界に外ならぬ。禁制の本質は労働による生

産の要請であるが'違反の本質は個体内において沸点に達した

エネルギーの純然たる蕩尽、外界

への放出である。生殖はその

部分的蕩尽であり'死はその全面的蕩尽による個体自体の消滅

である。すると違反の本質は死へと向って収赦する筈でありt

か-してまたしても死への要請が不可避になる。しかも人間だ

けがこの蕩尽を禁制の秘教の領域に追ひやったからこそ、その

違反を単なる自然の暴力の爆発から激甚の快楽

へと導いたので

(注27)

ある

'

違反への要請は同時に能う限り厳格な禁制

への要請

であり'禁止命令を発する祭紀の主'共同幻想の生み出す絶対

への要請である。統括理念の必然性がここにある。

か-して私達は三島二元論の基本構造を未だ不完全ながら捕

捉する事を得たのだ。即ちそれは、共同幻想

=古典美

(均衡美

.

伝統美

)=肉体美

=死によって統括されるところの'言葉と肉

体とのアンタゴニズムとなる。ただし共同幻想は、古典美と等

61

式化されるとき必然的に民族次元まで押し上げられ'しかも日

本は単

一民族

・単

二吉語国家であるから'それは幻想としての

国家

(政治機構'暴力装置としての国家に対する'共同観念が

上層化されたものとしての国家というほどの意。三島流に言え

(政体)に対する

(国体)としての国家)となる。

いつ二元論の宿命が自覚化されたか-

単純に類推すればそ

れは死の恩寵が崩壊したとき'即ちあの破局的な全体戦争の終

結時でなければならぬ。ところが実際にはそれは正に恩寵が訪

れたとき,四四年の

「夜範

においてなのだ。三島の戦争体

験が世代論的に等質化されてはならぬ所以である。

なぜそうなのか、それを明かにする為には今少し禁制と違反

の問題について'特にその文学との関係について考察しておか

なければならぬ。三島文学の禁制

・違反の問題に関する明確な

思想的表現化は

「憂国」(六〇年)以降の事であり'その最も見

事な結実が

「サド侯爵夫人」(六五年)及び

「春の雪」(六五~

六七年)であるが'たとえ思想的に自覚化されていな-ともそ

の関心の表明は

「岬にての物語」(四五年)嘉

り・爾後も間

(注30)

断な-それは表明され

三島の原質たる芸術的言語の君臨が

それを余儀な-するのだ。

文学は芸術が

1般にそうであるように'

1つの祭儀'即ち有

効性を目ざす労働行為に相反する無目的な蕩尽である。三島に

とって過去の自己の作品が常に

(排翫

))と感じられたのはだ

から偶然でない。しかも違反が禁制の存在を不可欠の前題とし

たように'文学も禁制意識が崩壊すれば崩壊する。そもそも

(具

カオス

(注32)

象的な世界の混

整理するためのロゴスの働きと

)

登場

した言葉は、労働即ち自然の暴力の制御

(禁制)とともに発生

したのではないか。それなら禁制を強いる言葉によって蕩尽を

目ぎす文学にあっては'蕩尽は違反となり'また禁制による欲

望への直進からの迂回によって対象の像だけが残りtか-して

イマージュが君臨する。清顕が聡子を愛する為には勅許という

最大の禁忌が置かれなければならぬ所以であり、生涯違反を重

(注33)

ねたサドが実はその事によって

(天国

への裏階段をつ

)

である所以である。

この意味では文学は供儀や戦争や殺人や売淫と何ら選ぶとこ

(注34)

(注35)

ろのない至上悪であ

る。

三島の文化主義

への憎

-

それは戦

後社会'更には近代社会全体

への憎悪に繋るI

はこの認識に

拠る。近代社会は物の支配が有用性の原理が至上権を振るう世

界であり'文化主義とはその至上権による芸術的原理の侵犯な

のだ。

尤もそこには看過できぬ相違がある。たとえば戦争は現実に

人に死をもたらすが'文学によっては

(死や破壊はおろか'読

(注36)

者に風邪

一つ引かせる

)

できぬ。文学のみならず芸術は

一般に'純粋な蕩尽ではな-言わば象徴的蕩尽なのだ。そこで

三島が

「団蔵

・芸道

・再軍備」〓ハ六年)の中で芸道に関して言

っている次の言葉は'同時に彼の芸術観の中核をなす認識でも

ある。そ

れは

「死」を以てはじめてなしうることを'生きながら

62

成就する道である--死なずにしかも

「死」と同じ虚妄の力

をふるって、現実を転覆させる道である。--そこには微妙

なちがひがある。いかなる大名優といヘビも'人間としての

団蔵の死の崇高美には'身自ら達する事はできない。彼はた

(注37)

だそれを表現しうるだけであ

汎言語主義がその当初において持っていた欺晴とは'この(微

妙なちがひ)を隠蔽する事'芸術における蕩尽の象徴的性格を

偽わり隠す事だ。従って二元論の自覚化は'当然この違いを思

い知らされる時'死を表現する事は実際に死ぬ事に相反し、却

って受動的に死に対する事でしかない事を思い知らされる時で

なければならぬo銃後にも死の危機の訪れた四四年こそその時

であった。

ホワイヤン

なぜなら如上の欺晴に従えば彼こそは特権的な

'見神者

たる等の詩人は'正にその神々が

(部族の神々として地上に降

(注38)

りて闘)っている時'へいづれは死ぬと思ひながら、命は惜し-I

警報が鳴るたびに)(いつも書きかけの原稿を抱

へて'じめじ

(注39)

めした防空がうの中

へ逃げ込

)

自分を発見しなければならな

(注40)

かった。もちろん

(赤紙が釆ようが来まいが二

億玉砕は

至)

という認識は

(私

一人の生死が占ひがたいばかりか'日本の明

日の運命が占ひがたいその一時期は'自分

一個の終末観と'時

代と社会全部の終末観とが、完全に適合

一致したまれに見る時

(注41)

ト.デス.ゲマインシャフト

代であった)という'ウェーバーの所謂

人死の共同体)への参

与意識をもたらしたであろうLt(未来に関して責任の及ぶ範

(注42)

囲が皆無である)と

いう状況は

(人生といふものがふしぎに身

(注43)

軽なものに)思われた

(唯

1の愉楽の時

代V

t

(人生の意味から

速断された隔離鮎

至福をもたらしたであろう.しかし自

ら立って集団の行動に参加し、共同幻想に殉じる至福は逃さざ

るをえなかったのでありtか-して

(私の逸したのは死ではな

(注45)

かった。私の曾て逸したのは悲劇だ

った)0

「夜の車」はこのような状況

への直面が生み出したものに外な

(注46)

らぬ。同作は

(殺人者

(芸術家)と航海者

(行動家)と

の対比)

という形で、二元論を次のように表明する。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

「君は未知

へ行-のだね-」と羨望の思ひをこめて殺人者は

間ふのだった。--

ヽヽヽヽヽヽヽヽ

海賊は飛ぶのだ。海賊は鼻を持ってゐる。俺たちには限界が

ヽヽ

ない。

殺人者よ。花のやうに全けきものに窒息するな。海こそは'

ヽヽヽヽヽヽヽヽ

そして海だけが'海賊たちを無他にする。君の前にあるつま

らぬ闘、その船ペりを超

へてしまへ。--

ヽヽヽヽヽヽ

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

他者との距離。それから彼は遮れえない距離がまずそこに

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

ある。そこから彼は始まるから。--

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

海賊に向って'限界なきところに久遠はないのだ。と言っ

てみたとて何になろう。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

--彼は未知

へと飛ばぬ。彼の胸のところでいつも何かが'

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

その跳躍をさまたげる。

芸術家は未知へと飛ばない。他者との距離及び非行動を代償

としてしか、彼は

(久遠の花)を紡ぐ事ができないのだ。

ところで

(未知)とは何であるか-

永遠に未知なるものと

は死以外のものではありえない。なぜならそれを経験したとき

にはもはや経験化

(既知化)できぬもの'それが死であり、そ

63

れなればこそそれは現実を不在化し続ける想像力にとっての永

久に甘美な母胎なのだ。しかもこの航海者の背後に能動的な戦

死者のイメージの揺曳している事が確実であるとすれば'それ

は特に悲劇としての死でなければならぬ。

従ってここで語られている二元論とは'悲劇的な死を現実行

動をもって死ぬか'それとも悲劇的な死を表現するかの二元論

である。そこで私達は前節で掲げた二元論のシェ-マを次のよ

うに修正しなければならぬ。即ち、幻想としての国家

=古典美

-肉体美

=悲劇=死によって統括される所の'現実行動として

の死を目ぎす肉体と表現としての死を目ぎす言葉のアンタゴニ

ズム。

悲劇の核は蕩尽であり、我々がその表出

・享受によってカタ

ルシスを味わうを事ができるのはその為である。その限りその

悲劇によって統括されるこの二元論は'どちらに転んでも反生

活的原理である。その限りこの二元論は弁証法ではない。なぜ

なら弁証法とは運動の概念であるが'蕩尽

への渇望は即ち時間

への憎悪だからであるo(「よりよ講疎頂社会」を暗示するあら

ゆる思想とわれわれは尖鋭に対立す

)

のだ。

三島文学にとって戦争体験が原体験と化す理由も'以上の考

察から首肯される。戦後の三白謂

頂体の鍛錬と古典的表現によ

(抵抗する術を知らぬ感受性

)

止揚によって、戦時下の自

己を揚棄しようとしたのだ。ところが

(ふしぎな運命観から、

私の死への浪隻的衝動が実現の機会を持たなかったのは'実に

簡単な理由'つまり肉体的条件が不備のためだったと信じてゐ

i

,

d)。9㌢

ある以上,肉体の獲得は直ちに彼が

(悲劇)的な死を

自ら死に得る可能性を保有した事を意味する。しかも死への要

請が彼の宿命の必然である限り、彼が今度は受動的な姿勢とし

ての死ではな-'主体的な姿勢としての死'反日常世界におけ

る沸点に達した過剰エネルギーの蕩尽としての死を夢みる事に

なるのは必然である。ここに到って戦時下のデカダン的至福は、

止揚すべき対象からあるべき姿で再興すべき対象へと反転する。

なぜなら未来

への1切の顧慮から解放された事から来た戦時下

の至福はtもしこれを主体的な時々刻々の死への覚悟意識によ

る意志的な未来

への無顧慮と瞬間瞬間

への自己の全力的な投入

へと積極化するならば'それはそのまま武士道という積極的な

倫理へと転化する筈だからである。

この回帰が汎言語主義

への回帰でもある事は既に述べた。し

かしそれは決してあの欺楠

への回帰ではない。欺楠

への回帰は

二元論を崩壊させるからだ。しかしこの二元論が

(美学的原理)

(実践的原理)の

(癒着)を

(克服)する底の二元論でない

(注50)

事は既に明らかな筈だ

れは何よりも芸術における蕩尽の象

徴的性格を隠蔽するなという事なのであるから'簡単に言えば'

死を表現しただけで死んだつもりになるなという事でなければ

ならぬ。三島の保田与重郎に対する根強い厭悪はここに由来す

(注51)

るのだ。また磯田光

一のような観点に立つ限り'三島の

(運命

の完成のため

一触)が二元論からの踏み外しと見えてしまうの

もこの為だ。

ところでこのような二元論がどうして作品空間の構成原理た

り得るかtという疑問が残ろう。結論から先に言えば'それは

作品創造におけるアポロン的原理とディオニュソス的原理の対

64

立となって顕われると言えよう。作品空間が現実的な蕩尽を対

立項として持たされる限り'それは常に言語の壁を突破しょう

とする。この擾乱がディオニュソス的原理だ。この擾乱を鎮撫

する言葉の禁制の原理が即ちアポロン的原理だ。三島がバタイ

ユの小説に驚嘆したのは正し-

(エロティシズム体験にひそむ

聖性を、言語によっては到達不可能なものと知りつつ--しか

(注52)

も言語によって表現してゐるこ

)

においてであった。

三島二元論が芸術と生活の二元論という風に誤解されやすい

のは'三島自身あの古典主義の時代にはそのように自己を誤解

していたからである。

古典主義的自己改造は作品としては

(今までそこに住んでゐ

:J..'!?.;..:1...!':.:.I;.,I;;..'川:;:::.:..㌔

:.,I.I:::.GJ.''.i;I:.II...;).,7㌔.:,t'.:'tlL.:I:::i,.醍

.,I-'・;(..L‥‥l,.;,=・,.

(注55)

理的決着をつけようとし

)

のだ。しかしこの時点では三島はま

だ自己の宿命を半面しか自覚していなかった。後に

(生、活力'

エネルギー、夏の日光'等々から)の

(隔絶感)が

(病弱)と

いう

八日分

一人の個性の宿命だと思ひ込んでゐた)が最近にな

って漸-

(この隔絶感は、実は文学そのものの中にひそんでゐ

(注56)

1椴的原理だと知るやうになっ

)

と自ら記す通りである。

「仮面の告白」は何よりも

八日分の特殊事情を世界における唯

1例のやうに考へ

(I)軍

書かれた小説なのだ.私が第二.節で

「仮

面の告白」を材料に選ばなかったのはこの為である。

それはさて措きこの事は決定的である。なぜならこの小説の

執筆動機には明らかに戦後の現実の中で生きようとする意志が

(注58)

潜在してい

'

それを阻む

(死の領域)が肉体的な特異性の

為だとされる限り'生

への意志が肉体願望と重ねあわせられる

のは必然だからである。つまり肉体と現実との等式化はこの時

点で既に決定的なのだ。もちろん作品は作者の意図を暫々凌駕

(注59)

するものであり'この小説も例外ではな

かし誰の眼にも

(注60)

明らかなこの作品の前半と後半の亀裂

や、前半にある

人悲劇)

(注61)

を定義した著名な

一節な

は、作者の誤解を前提にしないと説

明できない。

古典主義

=生

への意志という作者の意図が含んでいるこの内

部予盾は'古典主義の絶頂とも言うべきギリシァ体験にもはっ

きりしている。(日没以外に太陽の存在理由をみとめようとしな

かった少年時代)から

(今や自由であることの喜びを'私は太

陽に身をさらしながら)感じると「アポロの杯」(五二年)は言

う。そして

(「太陽を崇拝すること'ああ、それは生活を崇拝

することであった」)。しかし

八巻恋の地)ギリシァの一体何に

(注62)

三島は感動したのか-

何よりも

(希膿人は外

面を信じた)辛

にであろう。(外面)というのは前後の文脈から肉体の事であ

る。それなら三島のギリンァ崇拝は生活崇拝というより'「仮面

ヽヽヽヽ

の告白」以来自覚的に追求されて来た古典美

=肉体美との合体

願望に外ならぬ。その証拠に

「私の遍歴時代」になるとギリン

ァ体験の意味は

(それはいはば、美しい作品を作ることと'自

分が美しいものになることとの、同

一の倫理基準の発見)とい

う風に要約されるに至る。従って生活意志の充足

八景も生の近

65

-にゐる)と感じられたギリシァ体験そのものが'実はあの統

括理念への志向に外ならなかったと言わざるをえない。この志

向が

(「死刑囚たり且つ死刑執行人」たること)に繋って行-辛

は言うまでもない。「旅の絵本」(五八年)で自ら書-ように(死

に押し倒される)事と

(過度のいやらしい生命力に押し倒され

る)事は別の事ではないからだ。

作者の主観的意図と宿命の要請との'この錯綜した齢鯨は「金

閣寺」(五六年)に至って蔽い難-露呈する。

(生来の吃り)であるが故に

へ内界と外界との間の扇の鍵)が

(うま-あいたためしがないVT従って自分は人生や

(世界から

拒まれ)ていると感じている主人公にあっては'またその内、

外界の分裂に照応して美は

(心象の金閣)と

(現実の金閣)と

に分裂する。その限り主人公は人生のみならず

(美から疎外き

れたものなのだ)。

戦争による

(私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼす)とい

う状況は

(心象の金閣と現実の金閣と)を

(重なり合)わせ'

美と人生からの疎外から主人公を救うが、敗戦によ

って再び生

(注63)

きる事を強いられた主人公は'再び二重疎外を強いられる

(

の前の娘を'欲望の対象と考

へ)ずに

(人生と考

へるべきなの

だ)と思いながら'つまり人生への関門として主人公は幾度か

女に迫るが'その度に

(幻の金閣)つまり心象の金閣が

(私と'

私の志す人生との間に立ちはだかりVt私の試みは必ず失敗す

る。その挫折が主人公に

(いつかきっとお前を支配してやる)

と叫ばせ'その延長上に

(「金閣を焼かねばならぬ』)という想

念が訪れるのであるから'作品全体の構成から考えても'主人

公の金閣放火は人生

への志向に基づく行為とされねばならぬ。

事実放火の少し前主人公は

(「もっ少しの辛抱だ--私の内界と

外界との間のこの錆びついた鍵がみごとにあ-のだ--ら)と考

えているし、放火後の

(生きようと私は思った)の言葉で本作

は終る

(ここで三島が最後の1行を脳裏に浮かべながらでない

(注64)

と書けない作家であった

想起するのは無駄ではあるまい)。

ところがまづ

(現実の構築体としての金閣は焼けた。しかし'

(注65)

美の実相としての金閣は果し′て焼きえたか

-)

とい-疑問が起

って来よう。(たとへ猫は死んでも'猫の美しきは死んでゐない

かもしれない)という柏木の言葉を引-までもな-'主人公を

人生から阻んだものが

(心象の金閣)であった以上'この疑問

は必然である。これを更に押し進めれば主人公は寧ろ

(現実)

の不在化による

(心象)の絶対化へと跳躍したのではないかと

いう疑問になろう。そしてこの小説の細部はこの疑問の正当性

を裏附けるのだ。たとえば金閣焼亡の

(教育的効果)を考えな

がら主人公は独言する

へわれわれの生存がその上に乗っかって

ゐる自明の前提が明日にも崩れるといふ不安を学ぶ)と。それ

なら金閣放火が現出させる世界とは明日の確定性のない世界'

つまり死の不可避性を強いる世界、従って

(生活の魅惑'生活

への嫉視)から主人公を

(連れ出)す

(別靴への'私特製の'

未聞の生)でなければならぬ。更に

(私はたしかに生きるため

に金閣を塊かうとしてゐるが'私のしてゐることは死の準備に

似てゐた)の1文は決定的である。主人公が渇望している人生

はあの

人日々の世界破滅)の世界'死の不可避性の意識によっ

へ心象の金閣)と

(現実の金閣)が重なりあった戦時下の至

66

福の世界と何ほども異ならぬ。

もはや疑う余地がない。「金閣寺」は

「-ニオ

・クレーゲル」

のように

「生」

への当為を自らに課すべ-して書かれた小説で

ありながら'その到達点において死が至高者として君臨する世

へと三島を回帰させ'(あすのない世界)(必然性と不可鵡雅

をもって破滅

へ進んでゆ-)世界が

(なければ生きられない)

自己の宿命を否応な-合点させた小説であると言えよう。爾後

(人生)という言葉が肯定的色彩を込めて使われる事はな-な

り'「詩を書-少年」の至福が

(再び神秘な意味を帯び始めVt

(注68)

そして

へ「君は

sterben(死)する覚悟はあるかい-」)という

間がしだいに三島を脅し始める。決定的な転回は作品上からす

(注69)

る限り、その後徐々に三島の心に

(目的を知らぬ憤りと悲しみ)

を堆積させた

一つの原因である大衆社会化状況の幕開けとも言

うべき六〇年にやって来るが'その潜在的契機は既に

「金閣寺」

が完了させていたと言って好い。それは同作末尾'金閣放火直

前における主人公の

(今や行為は私にとっては

一種の剰余物に

過ぎぬ)という苦悩を経て後の、(徒爾であるから私はやるべき

であった)という決意から汲み取れるように'同作が言わば無

効性を介して行動を言葉と縫いあわせた

(なぜなら芸術的言語

の本質とは有効性に相反する蕩尽なのであるから、それと同格

化される行動は'何よりも反政治的な無効を承知の

「犬死に」

(注70)

でなければならぬ)という点からも言え

「金閣寺」は三島における古典主義

=生の図式とその原質の要

請する宿命との相反性を、鮮やかに示した象徴的な佳品だ。

それにしてもなぜ切腹なのか-

それは

1つには統括理念と

しての古典美

=伝統美から説明する事もできる。しかしそれだ

けの事なら日本に伝統的な死に方は切腹だけではあるまい、と

反論が出よう。

統括理念の主張は必然的に近代社会の相対主義に村する告発

(注71)

となるが

t

だからと言って三島を何か有神論者と混同してはな

らぬ。そのような考え方からは

「豊能の海」の構成'つまり

(絶

対的

一回的人生)を各巻の主人公がお-り'しかも

(それが最

ヽヽヽヽ

終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてし

(注72)

まって'いづれもニルヴァーナの中に入

)という構成が理解

できず'本多を狂言廻しとしか見る事ができまい。

三島は有神論者でもなければ無神論者でもない。彼の立場は、

ヽヽヽ

(歴代の神秘家の衣鉢をつぐ者で)ありつつ'しかもそれらに

ヽヽヽヽヽ

対して

(自覚の明噺さを対立させるVt即ち(もはや対象として

、,,

(注73)

1つ持たない意

)

への到達を志向したバタイユのそれと、

ごの点でも頗る近接する。そしてバタイユが

(刑苦)に

(刻み

切りの刑)に

き着いたよ

,

i

dLiy

三島も

(受苦)に

(切腹)に

行き着いたのだ。もちろんその過程には三島独自のものが入り

込んで来る。再び

「太陽と鉄」を材料にその過程を考えてみよ

・つ

〇八もともと'麻薬やアルコホルによる意識の混迷は、私の欲す

るところではなかった)と

「太陽と鉄」は言う。これは古典美

67

=均衡美とい-統括理念の必然的要請である。なぜなら古典的

規範に則った明断な表現は明断な意識を要求するからである。

それはまた統括/理念としての死の要請でもある。現実行動とし

ての死を日ぎすのはあ-までも肉体であるが、(死を理解して

味ははうとする噂欲の源)は

(肉体的勇気)であり、そして(肉

体的勇気のドラマに於ては)(肉体は自己防衛の機能

へひたす

ら退行Lt明断な意識のみが'肉体を飛び朝たせる自己放棄の

決断を司る)からである。それにもかかわらず死が意識の消滅

であり、共同体の違反における和合が意識の擾乱を招来する以

上'三島の志向が

(意識が明噺なままで究極まで追究され'ど

この知られざる

一点で'それが無意識の力に転化するか)とい

う点に集中されるのは必然である。そして

(それなら'意識を

最後までつなぎとめる確実な証人として'苦痛以上のものがあ

るだらうか)という事になる。

(犠牲は永い・物悲しい・いたましい・いふにいはれぬ存在の

孤独を感じさせる叫びを挙げる必要があった)。曾て

「仮面の告

白」の中でこう書いた時、三島はこれを肉体的虚弱さ故の倒錯

と考えていた筈だが'正にその止揚の為に始めた肉体の鍛錬と

剣道の稽古の中で、彼は再びこの受苦に回帰したのだ。即ち

(時

たま防具外れの打撃が筋肉に与

へる痛みは、すぐさまその痛み

を制圧するさらに強勤な意識を生み、切迫する呼吸の苦しさは'

熱狂によるその克服を生み'--私はか-して'永いこと私に

恵みを授けたあの太陽とはちがったもう

一つの太陽'暗い激情

の炎に充ちたも-

一つの太陽'決して人の肌を灼かぬ代りに'

さらに異様な輝きを持つ'死の太陽を恒間見ることがあった)0

死を見るというこの究極的な二律背反の成就が、二元論者の渇

(注75)

望する

(「絶対矛盾的自己同

〓)

(「死

刑囚たり且つ死刑執行人

たる」こと)の成就である事は言うまでもない。そしてそれを

成就する

一つの不可欠な手だてが即ち受苦である。

か-して受昔もまた

一つの統括理念なのだ。受苦が古典美

=

伝統美及び悲劇としての死と結びつけられるとき'そこに切腹

以外のどんな死に方がありえようか。もちろんそれは能う限り

苦痛に充ちた切腹でなければならぬ。だから私達は

番烈し

い腹の切り方)は

(腹を切り、ついで腸を全部引張り出してこ

れを

一直線にして'小刻みに切ってい-)事だと三島が語った

(注76)

という挿話を'単に倒錯的な噂欲の顕れと見る訳には行かぬ。

そのような観点に縛される限り'古典主義の時代の三島しか'

しかもその表層しか捉えられない。

以上の考察によって私達は三島二元論のシェ-マを結論的に

述べる事ができる。即ちそれは'幻想としての国家

-古典美

(均

衡美

・伝統美

)=肉体美

-悲劇

-受苦

=死によって統括される

所の'現実行動としての死を目ぎす肉体と表現としての死を目

ぎす言葉のアンタゴニズムである。もちろんこのような図式化

は言わば交通整理に過ぎず'完壁という訳には行かない。しか

し交通事故が余りに多発する場ではそれも徒爾ではあるまい。

なおこの統括理念が

(政治的言語)で語られると

(文化概念

(注77)

としての

皇)

になる。なぜならそれは民族の伝統としての古

典美なのだから'そして現実行動としての死を促すロイヤリテ

ィの対象なのだから'何よりもまず祭舵的国家の主としての天

皇でなければならぬ。(陛下こそ神であらねばならぬ。--

そこ

68

にこそわれらの不滅の根源があり'われらの死の栄光の根源が

(注78)

あり'われらと歴史とをつなぐ唯

一条の糸がある

)

だ。しか

もそれは表現行為と現実行動との双方を蕩尽的原理をもって統

括するのであり'そして文化こそ蕩尽的原理である

(逆に言え

ばだから文化は

(芸術作品のみでな-'行動及び行動様式をも

(注79)

包含す

)

のだ)から'文化概念としての天皇になるのだ。

きてこのような立場の'作品の空間に対する要請を考えるな

ら'それは蓮田善明が曾て

「詩と批評」(三九-四〇年)で展開

したような古今集美学となる。

ヽヽヽヽ

(花に噂-鷺'水に棲む蛙にまで言及されることは'歌道上の

ヽヽヽ

汎神論の提示であり'単なる擬人化ではな-て、古今集におけ

る移しい自然の擬人化はtかうした汎神論を通じて

「みやび」

の形成に参与)するのだと

「日本文学小史」は言う。三島が汎

言語主義に叶うものを古今集に見ている事がわかろう。しかも

それは

(みやび)を中核として

(詩の'精神の'知的王土の領

域の確定)を行なうのであるから'たとえば春歌に頻出する

「花」について言うなら

(極度にインパーソナルな花であり'

花のイメージは約束事として厳密に固定され)る-

つまり(み

やび)という規範意識によって詩的宇宙自体を公共化するとい

うのであるから'三島が古典美によって統括された世界を古今

に見ている事も了解される。ところで汎言語主義

への回帰はあ

の欺塙

への回帰ではなかった。そこで三島の作品が言語の壁を

突破しょうとしたように'古今集においても次のような事が起

る。即ち

(その公的存在が所を得ないといふ嵯嘆においては無

ヽヽヽヽヽヽヽヽ

駄だと知りながら、自然を非難するほかない。か-て歌は'拝

情から出て告発の形をとる)0

言語空間の非現実秩序'蕩尽的原理からする'無駄を承知の

告発'これは三島の晩年の作品における基本的な表現パターン

だ。「英霊の声」は'二

・二六事件の決起将校と特攻隊の霊によ

る戦後社会へ近代社会に対する'また彼らを裏切って

(人とな

りたまひし)天皇に対する告発であり'「豊俵の海」は夢と転生

の世界からする'冷厳な認識者本多に対する揺さぶ-である(し

かも夢へ転生は結局虚無

へと収赦する)0

ところで三島はこの蕩尽的世界に行動をも縫いあわせてしま

っているのであるから'その行動においても同じパターンを演

じなければならぬ。自決も含めて彼の行動は絶て無駄だと知り

つつする告発である。(無効性に徹する事によってはじめて有

効性が生ずるといふところに'純粋行動の本質があり、そこに

正義運動の反政治性があり、「政治」との真の断絶があるべき

(注80)

だ)。三

島の処女評論

「古今の季節」(四二年)が古今和歌集論であ

った事は'三島美学と古今集との宿命的な繋りを示唆する。し

かも彼は既にそこで

(待つといふよりも祈るといった方がよい

-らゐの'彼らの陳

へかたには'来る日にそをへる無為な今日

はな十

全身全霊にうたひあげられた至高の今日がありはせぬ

だらうか)と書

いている。待ちどおしい死への期待を秘めなが

ら'言葉の禁制によってそ。から逸される遠ざかりの秘錘';,絶

対を待つ

(至高のVLかし

へいつ終ると鴇しれぬ進行形の虚無)

永遠の待機'それが文学だ。それなら'それと同格化された行

動とは待ちに待

った挙句の行動であろう。か-して

「撒」は言

69

1つ

われわれは四年待った。最後の1年は熱烈に待った.もう

待てぬ。

(我慢に我慢を重ねて)徳

(決然起ち上が)ってどうするのか

-

言うまでもな-あの統括理念に悲劇としての死に殉ずるの

である。それはそのまま物が至上権を振るう'つまり

へ経済的

兼栄にうつつをぬか)す戦後社

F'生産性・生命の保存の原理

を絶対化する戦後社会に対する'蕩尽の原理からする告発であ

る。それなればこそ'

生命尊重のみで'魂は死んでもよいのか。生命以上の価値

な-して何の軍隊だ。

(生命尊重以上の価値の所在)とは-

統括理念たる幻想と

しての国家'古典美

-伝統美に外ならぬ。従って'

それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛

する歴史と伝統の国'日本だ。これを骨抜きにしてしまった

(注83)

体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。

そのような死を死ぬ者こそ三島によれば武士であった。

われわれは至純の魂を持つ諸君が'

一個の男子、真の武士

として蘇

へることを熱望するあまり'この拳に出たのである。

である。

2

後述。なお課題の必然性から本稿には磯田に対する否定

的言辞が多いが'三島美学とバタイユの思想との親近性

に着目しながら論を組み立てている点では'本稿は磯田

の観点の継承者たり得ると自負している。

注3

『国文学』七八年九月号

注4

「ヘーゲル法哲学批判」の中にあるこの青葉を'棟川は

前掲書の題詞として掲げている。傍点は原文。

注5

田坂昂宛書簡'七〇年九月三日。田坂著

「増補三島由紀

夫論」あとがきによる。

注6

平野謙

「東京新聞』七〇年

一二月

一日'夕刊

注7

「情況

への発言」の内'「暫定的メモ」(七

一年)。傍点原

文。

70

注 注 注 注 注12ll10 9 8

「三島由紀夫の世界」(六八年)

対談

「戦後派作家は語る」(七〇年)

「古今集と新古今集」(六七年)

「日本文学小史」(七〇年)

本引用に限り'全集未収録の為tF国文学」七〇年五月臨

注1

「三島由紀夫文学論集」序文

(七〇年)。なお三島作品の

引用は断わりない限り稔て'新潮社版

「三島由紀夫全集」

による。ただし、字体は新字体に改めた。また傍点は三

島作品に限らず断わりない限り総て引用者の付したもの

時増刊号による。

注13

「私の中の二十五年」(七〇年)

注14

新潮文庫'自選短編集

「花ぎかりの森

・憂国」自解

(六

八年)

注15

たとえば田坂は前掲書で'「仮面の告白」の精密な分析を

以て

(三島文学の世界に迫ってゆ-端緒)としている。

注16

「太陽と鉄」

注17

「オレは実はオレぢゃない」。なお文中の(あなた)は村

松剛。

注18

--マス・マンはその典型であろう。

注19

たとえば岸田秀

(「三島由紀夫論」七六年)や渋沢龍彦

(「三島由紀夫覚書」七六年)などの観点は、これに属する

だろう。

注20-26

「太陽と鉄」

注27

これは三島美学を支える基本思想の一つであり、またバ

タイユのそれでもある

(渋沢龍彦訳

「エロティシズム」

参照)。ただしこの考え方を近親相姦にも適用できるかど

うかは'問題がある。

注28

後'「中世に於る

一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜

葦」と改題。

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

注29

(それに存分に応へることは何か極めて美しいことしか

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ

し人間のしてはならないことだと息ほれた)

注30

「仮面の告白」「禁色」(五

一-五三年)等に見られる同

性愛ばかりが喧伝される傾きがあるが'「軽王子と衣通

姫」(四七年)「家族合せ」(四八年)「熱帯樹」(六〇年)

等に見られる近親相姦にも相応の注意を向けるべきだろ

(特に兄妹相姦が目だつ)。尤も同性愛は

‖生活世界へ

の遠帰を促さない

仙肉体崇拝に通じるtという意味では

やはり三島には大きな関心の対象だったと考える。

注 注 注333231

前記三好との対談'及び

「私の中の二十五年」

「太陽と鉄」

「サド侯爵夫人」

注34

着の観念を支える倫理の核は禁制であるから'違反を目

ぎす文学は恵である。

注35

(たとへばエレキは有害で'青少年に対して危険であり'

ベ1-tヴエンは有益で'何らの危険がないのみか人間

性を高めるといふ考

へは'近代的な文化主義の影響を受

けた考

へであって--しかし毒であり危険なのは音楽自

体であって、高尚なものほど毒も危険度も高い)(「危険

な芸術家」六六年)(文化主義とは

一言を以てこれを覆

ば'文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切

り離して'何か喜ばしい人間主義的成果によって判断し

ょうとする

一傾向である)(「文化防衛論」六八年)

注36

「われらからの遁走」(六六年)

注37

傍点原文

注38

梯川'前掲書

注39-42

「私の遍歴時代」

注43

「仮面の告白」

注44

「金閣寺」(五六年)

注45

「太陽と鉄」

注46

注14に同じ

注47

「反革命宣言」〓ハ九年)

注48-49

「太陽と鉄」

注50

もちろん芸術的原理を生活世界に無秩序に持ち込む事は

許されない。それは禁制意識の衰滅をもたらし'禁制意

識の衰滅は即ち違反の快楽の減退だからである。

注51

大岡信が

「保田与重郎ノー-」(五八年)で指摘している

71

ように

(「行動」こそ絶対的意味での(言い換えれば自殺

的意味での)美意識の崇高な表現だという保田氏自身は

ヽヽヽヽヽ

行動しないのであり'そしてそれはイロニックに肯定さ

れる)(傍点原文)。これは恐ら-保田の発想の基盤であ

るショーヴィニズムと関係がある。

52

「小説とは何か」(六八~七〇年)。バタイユの

「マダム

・エドワルダ」に関する記述。

注53

「仮面の告白ノー-」(四九年)

注54-55

「私の遍歴時代」

注56

「ボクシングと小説」(五七年)

注57

「私の遍歴時代」

注58

野口が前掲書で指摘しているように'(「仮面の告白」か

らは死の基調音が響いて来ない)0

59

田坂が

(仮象の仮象)という厄介な読み方をして'この

小説を三島美学の原質に据えつけえたのはこの為である。

60

夏祭りの場面や聖セヴァスチャン殉教図の場面や近江へ

の片恋によって象徴される前半部分の蕩尽的世界

への渇

望と'園子への愛によって象徴される後半部分の生活世

界への渇望とが、三島自身の中で等式化されている

(ち

ちろん錯誤である)からこそ、この亀裂が起ったのだ。

注61

引用は長-なるので省略するが'この定義には蕩尽的原

理と生活的原理とが混靖されている。

注62

傍点原文。

注63

この辺を第二節と比較すれば、「金閣寺」が芸術家小説で

ある事がはっきりする。

注64

「私の小説の方法」(五四年)「わが創作方法」(六三年)

にこの種の記述がある。また生前の三島と親交のあった

佐迫彰

一は

(「最後の一行が決まらな-ては'書き出せな

い」というのは'三島の愛用句というのに近かった)(中

公文庫

「作家論」解説)と述べている。誇張はあろうが'

小説の特性であるブランショの所謂

(祐捜)を三島の小

説が殆ど欠いている点から言って、この事実は核心をつ

注 注 注 注 注 注706968676665

注 注 注 注74737271

いている。再びプランショに依拠して言うなら'三島の

作品に対するこの

(性急さ)は'そのまま彼の死に対す

(性急さ)である筈だ。

三好行雄

「背徳の倫理」〓ハ七年)

既出'三好との対談。

「詩を書-少年」お-がき

(五六年)

「十八歳と三十四歳の肖像画」(五九年)

「二

・二六事件と私」(六六年)

尤も三島は後に

「古今集と新古今集」の中で'このよう

な縫い合せが起ったのは

(人間の至純の魂が--至上の

行動の精華を示したのにもかかはらず'神風は吹かなか

ったから)だとしている。結局同じ事だが'「海と夕焼」

(五五年)のような作品の存在を考えると'私は幾分「金

閣寺」の位置を過大視しているのかもしれない。

対談

「戦後派作家は語る」参照

対談

「戦後派作家は語る」

生田耕作訳

「呪われた部分」。傍点原文。

「無神学大全」の内

「内的体験」(出口裕弘訳)'「エロス

72

注 注 注777675

注 注 注 注 注8281807978

の涙」(森本和夫訳)参照

1に同じ

平岡梓

「倖

二二島由紀夫」参照

「文化防衛論」。三島は同稿を収めた

『文化防衛論』のあ

とがき

(六九年)の中で

(本書は政治的言語で書かれて

ゐる)と言っている。

「英霊の声」(六六年)

「文化防衛論」

「行動学入門」(六九-七〇年)

「太陽と鉄」

この記述の背後には'戟後の日本が軍事を安保条約によ

って外国に委ね'経済成長だけを事として来たという現

実認識がある。楯の会の為に書かれた未発表原稿

「問題

提起」参照

注83

同じ-

「問題提起」参照

(昭和五十四年三月卒業

・千葉県立船橋芝山高校教諭)

- 73-