1992年インドネシア・フローレス島地震・津波災害 …Flores N 0 200 400km Babi...

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1992 年インドネシア・フローレス島地震・津波災害後の再定住地の変容プロセス 員○  *、 員  **、 員  ***、 員  **** *  フロンティア センター、 チームリーダー、 学) **  大学大学院 学) ***  大学 学大学院、 ****  大学 、Ph.D. 、1992 フローレス プロセス、 1. はじめに るすまい 1 、多く 活を したい る。しかし、一 、「 」に われる それ して あり、 みに対 して があ 2 けた 多く くされる。 すまい について、ランダムサンプリングにより一 について らかにした 3 による 25.3% 々が移 している。 により けた すまいを きる あろ うが、 して けた する けられ ある。 った ため して (ResettlementSite)がし される。1998 にパプアニュー ギニア った において するため、 て、 に移 した 4 。1999 トル コ、マルマラ 、アダパザリAdapazari いう ンゾーニングを い、 が悪い から を移 する われている 5 かった ため いえる。こういった対 から らかに 1)以 リスクが される、 2) するより する る、 いう ある。しかし、 いう しく、 ってしまう いか する。1998 パプアニューギニア 100 に1 われている。 1907 われ、 に移 した、 いう されている 6 。しかし、び による けた。 して多く されている あるに かかわらず、これま われてい 7 1992 12 12 したインドネシア・フローレス された し、移 8 較から、1) たして けている か、2) まり けた かを らかにし、 あり について る。 1993 8 、12 、2001 9 3 ある 8

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1992年インドネシア・フローレス島地震・津波災害後の再定住地の変容プロセス

正会員○ 牧 紀男*、正会員 三浦 研**、正会員 小林 正美***、正会員 林 春男****

* 防災科学技術研究所地震防災フロンティア研究センター、副チームリーダー、博士(工学)** 京都大学大学院工学研究科環境地球工学専攻、助手、博士(工学)*** 京都大学地球環境学大学院、教授、工学博士**** 京都大学防災研究所、教授、Ph.D.

自然災害後の住宅、再定住地、1992年フローレス島地震津波災害、復旧・復興プロセス、環境適応

1.はじめに

 自然災害の復興の最重要課題は生活の基盤となるすまいの再建であ

る1 。災害後、多くの人々は被災前と同じ生活を取り戻したいと考え

る。しかし、一度、「被害」に見舞われるとそれは現実問題として不可

能な事であり、災害後の新たな社会の枠組みに対応して行く必要があ

る2 。住宅に被害を受けた人々の多くは住居移転を余儀なくされる。被

災者のすまい再建について、ランダムサンプリングにより一般的な状

況について明らかにした研究3によると、阪神・淡路大震災の場合でも

被害に関係なく全体の25.3%の人々が移住している。災害により被害

を受けた場合も同じ場所ですまいを再建できるのが最良の解決であろ

うが、現実問題として被害を受けた場合、居住地移転が発生する事は

避けられない事態である。

 大規模災害の場合、住宅を失った人のための住宅として再定住地

(Resettlement Site)がしばしば建設される。1998年にパプアニュー

ギニア北部を襲った津波災害においては津波の危険性を回避するため、

海岸部の集落は全て、内陸部の再定住地に移動した4。1999年のトル

コ、マルマラ地震災害後、アダパザリ Adapazari という都市では、既

成市街地のダウンゾーニングを行い、地盤が悪い現在の場所から郊外

の地盤の良い地域へ都市を移転する事業が行われている5。阪神・淡路

大震災の被災者向けの住宅団地も、火災の危険性が高かった木造密集

地域の人々のための再定住地といえる。こういった対策から明らかに

なる再定住地建設の利点は1)以前と比べて被害リスクが軽減される、

2)元の場所で住宅を再建するよりも早期に住宅を再建する事が可能

になる、という事である。しかし、再定住地という新たな環境への適

応は難しく、数年後には誰も住まなく成ってしまうのではないかとい

う危惧も存在する。1998年のパプアニューギニア地震津波災害の被災

地は約100年に1度地震、津波の被害に見舞われている。前回は1907

年に被害に見舞われ、人々は津波を恐れ内陸部に移転した、という記

録が残されている6。しかし、再び同じ場所で津波による被害を受けた。

 再定住地は災害後の住宅復興手法として多く採用されている手法で

あるにもかかわらず、これまでほとんど研究が行われていない7。本論

文では1992年12月12日に発生したインドネシア・フローレス島の地

震・津波災害後に建設された再定住地を事例とし、移住直後と8年後

の調査結果の比較から、1)果たして人々は再定住地に住み続けている

のか、2)再定住地に留まり続けた理由は何かを明らかにし、今後の災

害後の再定住地建設のあり方について新たな知見を得る事を目的とす

る。本研究は1993年8月、12月、2001年9月の3回の現地調査に基づ

くものである8。

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図1 再定住事業の概要図2 バジャウ集落の分布/インドネシア海域(R.E.アシャー他(2000)より筆者作成)

2.被害と再定住地事業の概要

1)被害

 1992年12月12日13時29分(現地時間)、フローレス島東部の北側

沿岸でM7.5(USGS)の大きな地震が発生し、フローレス島および付近

の島で大きな地震動による建物の倒壊、津波により、死者1,712人と

いう大きな被害が発生した。津波による死者は震央近傍のバビ島 Babi

で 263人、沿岸部の漁業集落ウリン Wuringで 87人に及ぶ9。

2)再定住地事業の概要

 災害直後、被害の大きかったマウメレ市 Maumere の中心部に2ヶ

所、ウリンに1ヶ所、バビ島民用にナンガハレ Nangahaleに 1ヶ所の

避難所が設置された。インドネシア政府は被災地域の復興にあたり、

インドネシアの専門家からその効果を疑問視する声もあった10が再び

津波による被害を受ける恐れがあるマウメレ市の沿岸部(クルラハン・

ウリン Kelurahan Wuring の全域、クルラハン・ウォロマラン 

Kelurahan Wolomarang、クルラハン・コタウネン Kelurahan Kota

Uneng、クルラハン・ベル Kelurahan Beruの海岸部)11ならびにバビ

島を居住禁止とし、この地域の人々のための再定住地をナンガフレ

Nangahure,並びにナンガハレに建設した(図1)。再定住地の土地、住

宅は基本的には無料で供給され、移住は、災害から4ヶ月が経過した

1993年3月9日から開始された。本論文では主としてウリンの人々が

移住したナンガフレ再定住地を対象として分析を行う。

3.居住地環境の概要

1)災害前の居住地

 ナンガフレの再定住地に移住してきた人々は大きく2つのグループ

に分かれる。1つは、ウリンから移住してきた人々であり、もう1つは

ウリン以外のマウメレから移住して来た人々である。

 ウリンの人々は、イスラム教徒であるバジャウ12とブギス13から構

成されるが、大多数はバジャウである。漂海民として知られるバジャ

ウは、現在フィリピン南部のスルー諸島からインドネシアにかけて分

布しており、ほとんどの人々は漁業により生計を立てている。現在も

ウリンの人々は図2に示すバジャウのいくつかの集落と現在でも相互

に交流・移住を行っている14。こういったバジャウの住宅は基本的には

水上に建てられた杭上住宅である。以前は漂海民として、国境に関係

なくこの海域を移動し、住宅を所有せず家船で文字通り漂海していた

のであるが、各国の定住化政策のために現在は水上集落に定住するよ

うに成ってきている15。ウリンに住むバジャウの人たちがいかなる経緯

でこの地に集落を構築しはじめたのか詳細は不明であるが、イン

フォーマント16によると1938年頃から集落が構築しはじめられたとい

う事である。移住当初は海岸部に杭上住宅を勝手に建設して居住した

と考えられるが、現在は1970年代に行われた調査で土地の所有権が確

定されており、政府が発行した土地の権利書を保持している。元々海

上であった土地に対して権利書を発行するというのも、インドネシア

政府の定住政策の一環によるものであると考えられる。

 一方、ウリン以外からの移住者は主としてキリスト教徒であるシッ

カ族 Orang Sikka であり、職業は様々である。インドネシアではイ

スラム教徒が人口の9割を占めるイスラム教国であるが、イスラム教、

ヒンドゥー教、カソリック、プロテスタント、仏教の5つの宗教を公

式に認めており、フローレス島、ティモール島は早くからポルトガル、

オランダに支配された経緯もあり、キリスト教徒の多い地域となって

いる。

2)再定住地の概要

 ナンガフレ再定住地は1つのクルラハン、6つの町内会にあたるエ

ル・ウェ RW(Rukun Warga)、24の隣組にあたるエル・テー RT(Rukun

Tetangga)から構成されている(クルラハン>RW>RT)17。正式名称

はクルラハン・ウリンであるが、通常、以前のウリンと区別するため

ウリン・バル(新ウリン)と呼ばれている。この再定住地は名称からも

分かるように、基本的にはウリンの人の再定住地として建設されたも

のである。しかし、一部にはウリン以外の居住禁止となったマウメレ

の海岸部の人も移住してきており、海側並びに山側のRW4にウリンか

らの人々、それ以外の山側の地域にウリン以外のマウメレの人々とい

う形式(図3)で移住が行われた。

 さらに、ウリンからの移住者の再定住地内での入居場所は、基本的

にはウリンでの居住場所に従って、すなわち海に近い場所に住んでい

た人は海の近くになるように決定された18。しかし、住民の話によると

実際の住宅供給を巡って様々なトラブルが発生したようであるが、詳

細は不明である。また、入居後、入居者間で住宅の交換も行われた。再

定住地の計画戸数は760戸であった。

 ライフラインについては、水は山側に貯水池が設置され、約40戸毎

Sulawesi

Halmahera

Seram

Ambon

Settlements of BajauTimor

Sumba

Sumbawa

Flores

N 0 200 400km

Babi Island

NangahaleNangahure

Maumere

Epicenter

MaumereKel.Wuring

Kel.Wolomarang

City center of Maumere

Air Port

Kel.Kota Uneng

Kel.Beru

0 300 600m

0 10 20 km

N

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に設けられた水タンクから給水が行われた。電気については再定住地

までは電線が敷設されており、各戸が経済状況に応じて電気会社と契

約を行っている。熱源としてはプロパンガス、薪が利用されている。

 公共施設としては、SD(小学校)2校、SMP(中学校)1校、幼稚園

1校、教会1カ所、モスク2カ所、マドラサ(イスラム学校)1カ所、

役場1カ所が設置された。再定住地の配置図を図3に示す19。

3)8年後の再定住地

 8年経過した2001年の調査時、多くの人が現在も居住禁止であるウ

リンに戻っていた。しかし、クルラハン事務所で得たウリン・バルの

人口は表1に示すように、人口規模では1.8倍、世帯数も74世帯増加

している。公式には旧ウリンは現在、人が住んでいない事になってお

り、この人口データには旧ウリンに戻った人も含まれている。従って、

この人口データからは、現在、実際何人の人が再定住地に住んでいる

のかは不明である。2001年9月の調査で、空家、新築戸数、再建戸数

に関する悉皆調査を行い表1、図4のようなデータを得た。悉皆調査の

データから明らかなように空家数は1993年と比べると114戸減少して

おり、1993年当時より多くの人がこの再定住地に住んでいる事は明ら

かになった。また、建設から8年が経過し、建物の更新も進んでおり、

RW1

(Wuring)

Kinder

Garden

Elementary School

Elementary

School

Church

Musjit

Community

Hall Junior High School

Musjit

RT10 RT9

Madrasa

RT8

RT7

RT6

RT5

RT4

RT3

RT2

RT1

RT19

RT20

RT21

RT24

RT23

RT22

RT18

RT11

RT12

RT13

RT14

RT15

RT17

N

0 100m50

RW2

(Wuring)

RW3

(Wuring)

RW4

(Mainly

Wuring)

RW5

(Maumere)

RW6

(Maumere)

RW7

(Maumere)

RW6

(Maumere)Government

Office

RT16

Sea Side Mountain Side

Fishery Harber

Newly constructed or renovated

HousesSmall Shops

Vacant Houses

Public Buildings

Newly constructed or renovated

HousesSmall Shops

Vacant Houses

Public Buildings

N

0 100m50

図4 8年後のナンガフレ再定住地の状況

図3 ナンガフレ再定住地配置図

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全体の7%に当たる73戸で大幅な改装、改築が行われていた。

4. 住宅の変容

1)災害前の住宅

 図2に示したバジャウの集落はほとんどが珊瑚礁の浅瀬に設けられ

た杭上集落である。災害前のウリンの住宅も海上に建てられた杭上住

宅であった。床までの高さは1.5m~2m程度であり、かまども床上に

設けられ、床は竹で葺かれる。屋根は切妻で棟飾りが付いており、飾

りのデザインはそれぞれのクランと関係があると言われるが詳細は不

明である。ウリンの住宅を図5に示す。

2)再定住地への適応

 再定住地の住宅は延床面積26.8㎡、屋根は亜鉛メッキされた波板鉄

板、壁は合板の地床式の住宅である(図6)。再定住地における住宅供

給は、コアハウジング20と呼ばれる1室のみの住宅を供給し、居住者

が、経済状態やライフスタイルに応じて、間仕切り、内装等を追加的

に改良する手法で行われた。1993年8月、12月の調査で住みこなしに

関する調査を行い図7のような結果を得た。多くの住宅で、内部の仕

切りの設置や、ベランダ部に壁を設置し台所として利用している事例

が見られた。

 また、この地域の住みこなしの特徴として見られたのは、図8に示

すような高床の小屋掛けの増築である。供給された住宅は、地床式、屋

根はトタン、壁は合板であり、日中の室内は非常に高温となる。水上

の高床住宅に住んでいたウリンの人々は、従前の住宅と同じ高床を増

築し、そこにカマドを設置し台所として、また暑くなる日中は居室と

して利用していた。

3)8年後の住宅

 先述のように海側25棟、山側48棟の住宅で建て替えが行われてい

る。建て替えられた住宅のタイプは海側と山側で異なる。海側では、コ

アハウスをバジャウの伝統的な屋根様式を活かした住宅や、高床の住

3880

7500

2000 3600

3750

図6 コア・ハウス図5 ウリンの住宅

N

0 100m50

Detailed

Surveyed

Area

Sea Side

Mountain

Side

図7 住みこなしの状況 Sea Side

Mountain Side0 5 10m

0 5 10mN

N

表1 8年後の再定住地の状況

Dec-93 Units Vacant Rebuild House Holds PopulationSea Side 305 12 0 293 1290Mountain Side 455 149 0 304 1305Total 760 161 0 597 2595

Sep-01 Units Vacant Rebuild House Holds PopulationSea Side 305 16 25 297 1372Mountain Side 468 32 48 374 3323Total 773 48 73 671 4695

Data from field survey Data from Kelurahan office

0 5m0 5m

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宅に建て替えているものが多いのに対し(写真1)、山側では煉瓦造や

コンクリートブロック造の住宅(写真2)に建て替えられ、被災してい

ない人向けに販売されている事例が多く見られた。

5. 居住者の移動

 1993年12月のヒアリングによる詳細調査(家族構成、出身地、職業、

移住日、住宅の使われ方)を行った住宅に対し、再定住

地へ移住した人が、1)果たして人々は再定住地に住み続

けているのか、2)再定住地に留まり続けた理由は何か、

を明らかにする目的で、再定住地への移住から8年が経

過した2001年9月に追跡調査を行った。調査は対象地域

の全戸を訪問、ヒアリング形式でデータを収集するとい

う形式で行った。調査対象戸数は、67戸であり、65戸に

ついてデータを得た。データを得られなかった住宅は近

隣の人も誰が住んでいるのかを把握していない住宅(図

11、表4の17番並びに図12、表5の59番)である。

 調査対象地区は以下のような居住者/再定住地の地理

的特徴から選定された。再定住地における居住者は、ウ

リンからの移住者と、ウリン以外からの移住者に分かれ

る。また、ウリン以外からの移住者は全て山側に居住し

ているが、ウリンからの移住者は海側と山側に居住して

いる。この組み合わせから、1)海側のウリンからの移住

者、2)山側のウリンからの移住者、3)山側のウリン以

外からの移住者という3つの地区を選定した。

 詳細調査を行った地域を図9に記す。ただし、2)山側

のウリンからの移住者の地区、については1993年の調査時にはデータ

が得られて居らず、2001年の調査時に1993年当時の状況について追加

調査を行った。

1)海側に住むウリンからの移住者

 この地区の住民はウリンから移住してきた人々であり、全世帯イス

ラム教徒である。この地区の1993/2001年の居住者の移動を表2に示

N

0 100m50

detailed survey area

図9 移動調査エリア図8 増築された高床の小屋

0 5m

写真1 伝統的な屋根の形の住宅 写真2 煉瓦造の住宅

表2 居住者の移動

in 2002 At the time of EQ Occupation Religion Status Occpation Remark

221 Same Wuring (own) Fisherman/Retail Trader

Muslim Same Fisherman/Retail Trader Lost land

223 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman225 Sulawesi

(Rent)Wuring (own) Fisherman Muslim Children of 223 Fisherman

227 Wuring (Sell) Wuring (own) Fisherman Muslim 1 family from Wuring Fisherman229 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land231 Same Wuring (N/A) N/A N/A Same N/A233 N/A (Sell) N/A N/A N/A 1 family from

MaumereN/A

235 Same Wuring (own) Retail Traider Muslim Same Retail Trader Lost land237 N/A (Sell) N/A N/A Childeren of 239 Fisherman239 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman241 N/A N/A N/A Children of 239 Fisherman243 Same Wuring (N/A) Fisherman Muslim Same Fisherman245 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land284 Wuring

(Keep)Wuring (own) Fisherman Muslim Children of 284

moved from 286Fisherman lived with

parents285 Ende (Sell) Wuring (own) Fisherman Muslim 1 family from Wuring Fisherman286 284 (Rent) Wuring (parents

home)Fisherman Muslim 1 family from Ende Fisherman

287 Wuring (Sell) Wuring (own) Fisherman Muslim 1 family from Wuring Fisherman lived withparents

288 Kupan (Sell) Wuring (N/A) Fisherman Muslim 1 family fromMaumere

Retail Trader

289 Missing (N/A) Wuring (N/A) Fisherman Muslim 1 family from Bali N/A290 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land291 Vacant N/A N/A N/A 1 family from Penida

IslandN/A

292 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land293 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land294 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land295 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land296 Wuring (N/A) Wuring (own) Fisherman Muslim Vacant N/A297 Same Wuring (own) Fisherman Muslim Same Fisherman Lost land

UnitNo.

Lost landsame family

Lost landsame family

Dwellers in 1993 Dwellers in 2002

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す。

 ケーススタディー地区の27戸中、1993年の調査では22世帯につい

て情報が得られており、職業(主たる収入源)では20世帯が漁業、1

世帯が小売業、1世帯が漁業兼小売業であった。2001年の調査でも22

世帯について情報が得られ、19世帯が漁業、2世帯が小売業、1世帯が

漁業兼小売業であった。

 1993/2001年では、7世帯が転出しており、被災した場所であるウ

リンへ4世帯、他のバジャウの集落(エンデ Ende /フローレス島南

部、クパン Kupang、スラウェシ Sulawesi)へ3世帯移住している。

政府から無料で供給された住宅であるにも関わらず、転出者の多くは

再定住地の住宅を他の人に転売していた。転入者は、7世帯のうち被災

者でない世帯が4 世帯(バリ島 Bali、エンデ、ペニダ島 Penida

island、マウメレ)、ウリンで親族と同居していた1世帯、ウリンで住

宅を借りていた1世帯、不明1世帯であり、移動率は25%であった。図

10に移動の状況(転出先(住宅の処分方法))を示す。

 現在、この地域に残っている人は地震・津波により元の土地が水没

したり、災害前はウリンで親族と同居していたりと、土地をウリンに

持たない世帯がほとんどである。

 この地区に見られるもう一つの特徴として、親族により住宅を複数

所有して行くという動きがある。また、再定住地内で婚姻関係を結び

移動するという事例も見られた。表3に事例を示す。以前は大家族で

居住していた家族が、両親、子供がそれぞれの家族毎に住宅を持つ

ように成っており、この地域でも核家族化が進行してきていること

が分かる。

 ほとんどが漁業に従事するウリンの人々にとって海に近いこの地

区は漁業を営む上で好都合な立地であり、定量的なデータではない

がヒアリングによると、山側に住むウリンからの移住者の多くが海

側に住みたいと考えていた。図9から分かるように海側の地区は山

側と比べ空家が少ない。

2)山側に住むウリンからの移住者

 この地区の住民はウリンからの移住してきた人々が多数を占める

が、ウリン以外の地区から移住して来た世帯も若干存在していた地

区である。情報が得られた限りでは移住者はすべてイスラム教徒であ

り、イスラム教徒の居住地域であったと考えられる。この地区の1993/

2001年の居住者の移動を表4、図11に示す。

 ケーススタディー地区の24戸中、職業については2001年の調査で

11世帯について情報が得られ、職業(主たる収入源)では5世帯が漁

業、3世帯が小売業、1世帯が商業、2世帯が給与所得者であった。

 この地区の住民の入れ替わりは激しく、1993/2001年を比べると、確

認のできた21戸の内、12戸で変化が生じており、移動率は57%であっ

た。既に売却された/売却中の住宅が7戸、賃貸が2戸、そのまま所

有しているが現在入居者の居ない住宅が1戸、所有関係不明の空家/

空地が2戸である。また、移住先はウリンが6世帯、ウォロマランが1

世帯、不明5世帯であった。

 1993年から現在まで住み続けている9世帯は、被災時は親族/親と

同居していた・賃貸住宅に住んでいた等で土地/住宅を所有していな

かった世帯(5世帯)、土地が水没した(2世帯)、ウリンに土地を所有

しているが再建費用がない世帯(1世帯)、不明(1世帯)というよう

に再定住地以外に住むところがない人々であった。転入してきた5世

帯は、海側地区からが2世帯(兄弟が一緒に住むため、ウリン出身)、

2世帯がマウメレから、不明が1世帯であり、職業別に見ると2世帯が

給与所得者であった。

 移動の基本的なスタンスは、ウリンに土地が残っている場合は戻っ

て住宅を再建するというものであり、現在、この地域に残っている人

の多くは災害前はウリンで親族と同居していた等で土地を所有してい

Same Family

Vacant

Wurin

g(N

D)

Sula

wesi (R

ent)

NWurin

g (S

ell)

ND

(Sell)

ND

(Sell)

CC

B

Fro

m

Penid

a is

land (1

998)

Mis

sin

g (N

D)

Kupang (S

ell)

Wurin

g (S

ell)

284 (R

ent)

Wurin

g (S

ell)

Wurin

g

Small Shop

284285286

237 239 241223 225

A

All Dwellers are Muslim.

Occupation of dwellers are fishery, except one.

287

288

289290291292293 294

295

296297

221 227 229 231 233 235 243 245

表3A 家族の移動

図10 海側のウリンからの居住者

表3B 家族の移動

FR Age Occupation Status in 2002 Birth place Age FR Occupation RemarkA1 F 25 Fisherman Living Wuring A1 33 F FishermanA2 M 30 Fisherman Living Wuring A2 38 M FishermanA3 S 16 Fisherman Married,move to Kupang Wuring A3 13 SA4 D 13 Fisherman Married,move within Nangahule Wuring A6 11 SA5 S 7 Married, move within Nangahule Wuring A7 10 SA6 S 5 Living WuringA7 S 3 Living WuringA8 S 2 Living Wuring

X1 33 Fisherman Move to Didibo, Slawesi Wuring A5-1 22 F Fisherman RentX2 27 Trader Move to Didibo, Slawesi Wuring A5 16 M Fisherman

A5-2 2 CA5-3 1 CA4 21 F FishermanA4-1 M

A Dwellers in 1993 Dwellers in 2002

N/A

225

223

RT3

FR Age Occupation Status in 2002 Birth place Age FR Occupation RemarkB5 22 F Fisherman BoughtB5-1 20 MB5-2 4 C

B1 F 45 Fisherman Living Wuring B1 53 F FishermanB2 M 38 Fisherman Living Wuring B2 46 M FishermanB3 D 20 Fisherman Married,move within Nangahule Wuring B6 16 S FishermanB4 S 18 Fisherman Married,move within Nangahule WuringB5 S 12 Fisherman Married,move within Nangahule WuringB6 S 8 L Wuring

B4 25 F Fisherman BoughtB4-1 22 MB4-2 4 CB4-3 2 CB4-5 3m CB3-1 ND F FishermanB3 28 M FishermanB3-2 7 CB3-4 4 CB3-5 3m C

Dwellers in 2002

RT2

Dwellers in 1993B

N/A

N/A

N/A

239

241

237

N

123456789101112

13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24

WuringWuring

Musjit

Small ShopNDWuringWuring

Sold/On Sale

Same Owner

SS

SS

S

SSS

S

Same Family

ND ND ND

Wolomarang

ND Wuring

Vacant

図11 山側のウリンからの居住者

Page 7: 1992年インドネシア・フローレス島地震・津波災害 …Flores N 0 200 400km Babi Island Nangahale Nangahure Maumere Epicenter Kel.Wuring Maumere Kel.Wolomarang City

なかった世帯であるという、海側のウリンと同じ傾向が見られる。し

かし、この地区が海側と異なっているのは、被災者ではないマウメレ

の給与所得者の2世帯が再定住地の住宅を購入しているという事実で

ある。現在も3戸が販売中、売却されたが居住者の居ない住宅が1戸、

所有関係が不明の空家/空地が2戸あり、今後、この地域はマウメレ

の給与所得者向けの郊外住宅地としての性格を持っていくものと考え

られる。

 現在もこの地域に残っているウリンからの移住者もほとんどが漁業

に従事しており、多くの人々が先述のように海側の地区に住みたいと

考えている。しかし、1)海側の地区に売家がない、2)海側の売家が

高価である等の理由により、山側の地区に住み続けているという事で

あった。

3)山側に住むマウメレからの移住者

 この地区はウリン以外のマウメレから移住して来た人が占め、宗教

についても情報が得られた12世帯中、カソリックが8世帯、プロテス

タントが3世帯、イスラム教が1世帯とキリスト教徒が多数を占める

地区である。この地区の1993/2001年の居住者の移動を表5、図12に

示す。

 ケーススタディー・地区の16戸中、1993年の調査では14世帯につ

いて情報が得られ、職業(主たる収入源)では5世帯が農業、2世帯が

漁業、建設関係3世帯(Mason, Carpenter)、給与所得者(Office

Worker, Mechanic, Port Worker) が 4世帯であった。2001年の調査

では14世帯について職業についての情報が得られ、3世帯が農業、1世

帯が漁業、建設関係3世帯(Mason, Carpenter)、給与所得者(Office

Worker, Mechanic, Port Worker, Teacher) 5世帯、商業1世帯で

あった。このようにこの地域の職業構成は、ウリンからの移住者の地

域と大きく異なる。

 1993年/2001年では、5世帯が転出しており、マウメレへ2世帯、

フローレス島内の都市への移動が2 世帯(リオ Rio、ララントゥカ

Larantuka)、不明が1世帯である。転入者は3世帯で、いずれも被災者

ではなく、1世帯は再定住地の小学校の先生、1世帯はリオからの転入

者、1世帯は不明であり、この地区の移動率は33%であった。

 1993年から現在まで住み続けている10世帯の被災時の住宅の所有状

況を見ると、確認できた8世帯全てが親族との同居、会社の住宅等の

賃貸層であった。この地域も山側のウリンからの移住者の地区と同様、

マウメレの郊外住宅地としての性格を持ち始めており、住宅を購入し

て転入が1世帯、改築後、販売する予定で中国人により買い上げられ

た区画が1区画存在していた。

4)移住の論理

 ウリンから移住して来た人の基本的なスタンスは戻れる場所があれ

ば海に面した元の場所に戻るというものである。これは、バジャウの

基本的な生活文化を反映したものであると考えられる。家族毎、コ

ミュニティー毎の移住形態が文化的特質を反映したものかどうかにつ

いては、旧ウリン地区における移住形式との比較が必要であり今後の

課題であるが、ウリンの人々は漁業を生業とし、可能であれば従前の

海上集落に戻り、再定住地においても、高床の小屋掛け・住宅を建設

し、海側の地区に住みたいと考えている。

 8年が経過した現在も再定住地に住み続けているウリンからの移住者

は、津波からの安全性を求めて住み続けているのではなく、これまで

明らかにしてきたように再定住地以外に住むところが無いためここに

住み続けているのである。同様にマウメレからの移住者も災害前は住

宅を所有していなかった人々であり、再定住地以外に住むところがな

いためここに住み続けている。

 また、再定住地はマウメレの郊外住宅地としての性格も持ち始めて

おり、空家が改装・新築され被災者以外の人に転売され、被災者以外

表5 居住者の移動

in 2002 Impacted House Occupation Religion59 N/A N/A N/A N/A60 Same Maumere(Beru)/Rent Mason Catholic61 Same Maumere(Beru)/Rent Port Worker Catholic62 Same Maumere/Rent Mechanic N/A63 Same N/A Office Worker N/A

64 Move to Rio Maumere/ND Farmer Catholic

1 family fromKeeping, Trader,Catholic

65 Same Maumere/ND Fisherman Protestant66 Move to Maumere Maumere/ND Fisherman Protestant Vacant67 Same Maumere/Rent Office Worker Catholic

68 Move to Maumere Maumere/ND N/A N/A1 family, Carpenter,Catholic

69 SameMaumere(Beru)/Rent(Company Farmer Catholic

70 Same Maumere(Beru)/Rent Farmer Protestant71 Same Maumere(Beru)/Rent Carpenter Muslim72 Move to Larantuka Maumere(Beru)/ND Farmer Catholic Under renovation

for sale(Chinese Own)

73 Same Maumere(Beru)/Rent Farmer Catholic74 Move Maumere(Beru)/ND Mason Catholic Teacher of SD

Dwellers in 1993UnitNo.

in 2002

表4 居住者の移動

in 2002 At the time of EQ Religion Status Occupation Remark

1 N/A(Rent) N/A N/A from Maumere Retail TraderAnotherhouse atMaumere

2 Same Maumere(N/A) Muslim Same Traider3 Wuring(Sell) Wuring(Own) Muslim from Lower side N/A4 Wuring(Sell) Wuring(Own) Muslim from Lower side N/A

5 Same Wuring(Relative'sHouse) Muslim Same Fisherman No Land

6 Same Wuring(Own) Muslim Same Fisherman Lost landat Wuring

7 Wuring(on sale) Wuring(Own) Muslim On sale N/A8 Wuring(Keep) Wuring(Own) Muslim Vacant N/A

9 Same Wuring(Rerative'sHouse) Muslim Same Timber Co. No Land at

Wuring

10 Same Wuring(Own) Muslim Same Fisherman Own Landat Wuring

11 Same Wuring(ParentsHouse) Muslim Same Fisherman No Land at

Wuring

12 Same Wuring(Rent) Muslim Same Retail Trader

Small shopatWuring/Noland

13 No house N/A N/A No house N/A14 N/A (Sell) N/A N/A Vacant N/A

15 Same Wuring(Parents'house) Muslim Same Fisherman No Land at

Wuring16 N/A (on sale) N/A N/A On sale N/A17 ND N/A N/A N/A N/A18 N/A (on sale) N/A N/A On sale N/A

19 Wolomarang (Sell) Wolomarang(Own) N/A Moved inin 1994

TransportationOffice

20 Wuring (unknown) Wuring(Own) Muslim Vacant N/A21 N/A (Rent) N/A N/A From Maumere N/A22 Wuring (No house) N/A Muslim No house N/A23 N/A N/A N/A N/A N/A

24 Same Wuring(Own) Muslim Same Retail Trader

Shop nextto MusjitLost landat Wuring

Occupation: N/A

UnitNo.

Dwellers in 2001

Samefamily

Dwelles in 1993

N

RioMaumere

60616263646566

67 68 69 70 71 72 73 74

MaumereLarantuka

59

Renovation for sale

72

Vacant

図12 山側のマウメレからの居住者

Page 8: 1992年インドネシア・フローレス島地震・津波災害 …Flores N 0 200 400km Babi Island Nangahale Nangahure Maumere Epicenter Kel.Wuring Maumere Kel.Wolomarang City

の人も住むように成っている。これは核家族化の進行に伴い、この地

域では住宅に対する潜在的需要が存在していたためであると考えられ

る。

 以上から、この再定住地に現在も多くの人が住んでいる理由は、1)

再定住地に住まざるを得ない、2)この地域に潜在的な住宅需要が存在

し、再定住地がこういった人々を吸収する魅力のある住宅地であった、

という事である。逆に考えると、こういった条件が存在しない場合に、

安全性の観点からのみ再定住地を建設すると、しばらくすると再定住

地に誰も住まなくなるという事態が発生する可能性がある事を示唆し

ている。

6. まとめ

1)1992年インドネシア・フローレス島地震津波災害の復興では、津波

被害の軽減のため、マウメレ市の沿岸部ならびにバビ島を居住禁止と

し、この地域の人々のための再定住地をナンガフレ並びにナンガハレ

に建設した。

2)災害から8年経過した2001年までに、多くの人が現在も居住禁止で

あるウリンに戻った。

3)ナンガフレの再定住地では建設から8年が経過し、全体の7%に当た

る73戸で大幅な改装、改築が行われていた。

4)再定住地の住宅は地床式の住宅であり、日中の室内は非常に高温と

なるため、水上の高床住宅に住んでいたウリンの人々は、暑くなる日

中は居室として利用する高床の小屋を増築していた。

5)ウリンからの移住者の対応行動として以下の3つが見られた。1)ウ

リンに土地が残っている場合は戻って住宅を再建する、2)他のバジャ

ウ集落へ移住する、3)再定住地に留まる。

6)ウリンからの移住者で、現在、再定住地に残っている人は1)地震

動、津波により土地が水没した、2)災害前はウリンで親族と同居して

いた等で、現在、ウリンに土地を所有していない世帯がほとんどで

あった。

7)ウリンからの移住者が住む海側の地区では親族により隣接する住宅

を複数所有して行く、再定住地内で婚姻関係を結び移動するという動

きが見られた。

8)ウリンからの移住者は、漁業を生業とし、海上に建設された杭上住

宅に住むといったバジャウの基本的な生活文化を反映した生活をした

いと考えている。

9)ウリン以外のマウメレからの移住者で、現在まで住み続けている世

帯は災害前の賃貸/親族と同居に住んでいた層であった。

10)核家族化の進行が見られた。

11)山側の地区では、マウメレの給与所得者向けの郊外住宅地として

の性格が出てきていた。

12)被災者でない人に転売されている事例が多く見られた。

13)8年が経過した現在も再定住地に住み続けている人は、津波からの

安全性を求めて再定住地に住み続けているのではなく、ここ以外に住

む場所がないため再定住地に住み続けている可能性が高い事が示唆さ

れた。

(謝辞)

2001 年 9 月に行った調査では、国立民族学博物館の林勲男助教授、

Teddy Boen Konsulta,pt.の Irinanto Edward 氏に御協力を頂いた。

ここに記して謝意を表する。

注釈1 神戸市が震災5年後に行った震災復興に関する検証において、すまいが生活再建において最も関心の高い項目である事が明らかになっている、神戸市震災復興総括・検証研究会(2000)。

2 林(1998)3 木村他(1999)4 牧他(1999)5 文部省科学研究費補助金・基盤研究A(1)課題番号13372007(研究代表者:中林一樹)での現地調査での知見による

6 Welsch (ed.) (1989)7 Boen (2001)8 第 1次調査は1993年 8月 9日~26日にかけて小林正美、牧紀男、三浦研が、第2次調査は1993年 12月 2日~9日にかけて牧紀男、三浦研が、第3次調査は林勲男(国立民族学博物館)、牧紀男が2001年 9月 3日~16日にかけて行った。

9 地震データ、被害データについては都司(1993)による。10 Boen (2001)11 この地域の行政組織は下から、エル・テー RT(隣組)、エル・ヴェー、RW(町内会)、クルラハン Kelurahan (区)、クチャマタン Kecamatan(郡)、カブパテン Kabupaten (県) という構成になっており、再定住地はエンデ県シッカ・コプタ郡 KecamatanSikka Kopeta, Kabupaten Ende。(Nakagawa, 2001)

12 バジャウは、移動生活または半移動生活をおくる航海者として知られ、語群的にはフィリピンのサマ語群に属する (ニモ(2001))。

13 ブギス族はスラウエシ島を出身地とする海洋民族である。(京都大学東南アジア研究センター編(1997))また、バジャウとブギスが混住している事例は多く見られ(秋道(1995))、「昔からブギス族とバジョ族(バジャウ)<筆者加筆>は商人と漁民という関係だった。ブギスの人たちはバジョ�に船を貸し与えたり、どこでどんな魚が捕れるか、あるいは、今は何が高く売れるかなどの情報を与えていた。」(門田修(1996)、p135)

14 主たる移住先はスマウェシ島のバジョエ Bajoe、フローレス島のラブハンバジョRabuan Bajo、スンバワ島のブンゲン Bungeng、ティモール島クパン近郊のスラムSeramのバジャウとは現在も相互に移住を行っているとの事であった。

15 門田(1996)、pp.129-130.16 ウリンの歴史、民族、生活については、RTリーダーであるDaming DAHDUからのヒアリングによる。

17 倉沢(1992)18 BAPEDA(Badan Perencanaan Daerah、地域開発庁)のマウメレ事務所でのヒアリングによる。

19 Departemen Pekerjaan Umum (1993)20 1970年代、スラムの居住者の移転を目的としたサイツ&サービス事業の住宅供給でよく利用された方法である。

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京都大学東南アジア研究センター編:事典東南アジア : 風土・生態・環境、弘文堂、1997木村玲欧、林春男、立木茂雄、浦田康幸:阪神・淡路大震災後の被災者の行動とすまいの決定に関する研究、地域安全学会論文集、No.1、pp.93-102、1999

倉沢愛子:日本占領下のジャワ農村の変容、草思社、1992神戸市震災復興総括・検証研究会:神戸市震災復興総括・検証生活再建分野報告書、神戸市、2000

都司嘉宣:1992年インドネシア国フローレス島地震とその津波に関する調査研究、平成4年度科学研究費補助金(総合A)研究成果報告書(研究課題番号04306024)、1993

ニモ、アルロ著、西重人訳:漂海民バジャウの物語 : 人類学者が暮らしたフィリピン・スールー諸島、現代書館、2001

林春男:災害対応を考えるための理論的枠組み、第7編緊急対応の教訓-震災からの最初の100日-、大震災に学ぶ-阪神・淡路大震災調査研究委員会報告書-、土木学会関西支部、p11、1998

牧紀男、林勲男、林春男:1998年 7月 17日パプアニュ-ギニア津波の災害対応-社会のフロ-の安定とストックの回復-、地域安全学会論文集、第1号、pp195-200、1999

門田修:海が見えるアジア、めこん、1996Boen, T.,et.al. : Post Earthquake Disaster Reduction: Indonesian Experience, APECWorkshop on Dissemination of Disaster Mitigation Technologies for HumanisticConcerns Phase I: Earthquake Disaster, 2001

Departemen Pekerjaan Umum : Program Pembangunan Kawasan Permukiman Nelayan WuringBaru dan Pusat Kota Maumere Flores, 1993

Nakagawa, s. : History of Flores, http://bunjin6.hus.osaka-u.ac.jp/~satoshi/, 1996Welsch, R., L.ed. : An American Anthropologist in Melanesia: A.B. Lweis and theJoseph N. Field South Pacific Expedition 1909-1913, Univ. of Hawaii UniversityPress, pp.128-131, 1989